日中の暑さが日が沈む頃まで続くようになった夜、仕事を終えた二人はいつものようにウーヴェの自宅リビングのソファで、一人は寝そべりながら録画しておいたサッカーを見、一人はそんなサッカー観戦者の頭を渋々-と口に出しているだけで本心は全く別-腿に載せながらクロスワードパズルに気も漫ろに取り組んでいた。
ソファから程良い場所に置いたガラスのテーブルにはビールとワインが注がれたグラスが並び、その横には四角いチョコレートを納める専用のケースの蓋が開けられていて、中からミルクたっぷりのチョコが顔を覗かせていた。
そのチョコを小さく割った一つを手に取り、クロスワードの紙面を鉛筆の頭で突いたウーヴェは、どうしても一つが分からないと溜息を零し、脳味噌の栄養補給だと苦笑しつつチョコを口に放り込む。
「もう終わったか?」
「うん?・・・・・・あと少しで終わるかな」
「どうしたんだ?」
いつもならばあっという間にそんな問題はあっさりと解いて空欄を埋めているだろうと、恋人の足を枕代わりにしていたリオンが起き上がり、ソファの上で器用に身体を回転させて向き直ると同時に首を傾げる。
「何か分からない事あるのか?」
俺よりも遙かに頭の良いお前が分からないのだ、俺に分かるはずもないだろうが見せてくれと笑うリオンにウーヴェが無言で肩を竦めるが、二人の間に紙面を広げて鉛筆の頭で悩んでいるマスを二度突く。
「・・・・・・へ?オーヴェ、本気で言ってるのか?」
ウーヴェが鉛筆で突くマスをじっと見つめたリオンは、恐る恐る恋人の顔を見つめて問いかけ、眼鏡の下でターコイズが不愉快そうに細められた事に気付いて慌てて手を振る。
「・・・・・・うるさい」
「あー、わかんないぐらいでうるさいなんて言わなくても良いだろ?」
本当にこのドクターは口が悪いんだからーと、暢気な声を挙げたリオンが彼の手から鉛筆を奪い取り、他に書かれている文字に比べれば遙かに乱雑に文字を記入していく。
「・・・・・・・・・・・・」
「携帯する電話機ってさ、携帯電話の事だろ?」
何を悩んでいたんだと、呆れるよりも驚愕が先立つらしく、鉛筆の頭でかりかりとこめかみを掻いたリオンが呟けば、何故それに気付かなかったのか自分でも不思議だし腹立たしいと言いたげな顔でウーヴェがそっぽを向く。
「・・・・・・えーと、オーヴェ、ちょこっと教えて」
「・・・・・・何だ?」
そっぽを向いた恋人の身体から立ち上る気配に内心で肩を竦めたリオンは、窺うように呼びかけて経った今解いた問題の上をとんと突く。
「レバノンの首都ってどこだっけ?」
学生の頃全く勉強しなかった為に社会ははっきり言って疎いと胸を張るリオンに呆れた様な溜息を零したウーヴェだが、一心に解答を待ちわびるリオンを前にするとそんな呆れすら愛おしさに変化を果たしてしまうのだ。
惚れた欲目という言葉が脳裏を過ぎり、冗談ではないと頭を振るが、何に対してなのか自身でも理解出来ない諦めの溜息をつくとベイルートだと答えてリオンの手元の紙面を覗き込む。
「ベイルート、と・・・・・・」
再び乱雑な文字で記入し、あと一つと楽しげな表情を浮かべるリオンだが、問題をじっと見つめたまま自然と口を尖らせるが、解答を得た事を示すように次いでその尖った唇を左右に開いていく。
その笑みを間近で見ていたウーヴェが無意識に息を飲んでしまい、胸の裡に動揺が広がるのを何とか押さえるように胸に手を宛がう。
「オーヴェ?どうした?」
「何でもない」
「そっか?」
「ああ」
胸に宛がった手で極力自然に見えるように前髪を掻き上げ、最後の解答は自分で書き込むから返してくれと苦笑すれば、さも楽しそうな顔でもちろんと明るく返されて胸を撫で下ろす。
「最後の答えは────お前、だよな、オーヴェ」
得られる回答を確信している男の顔で笑う恋人を思わず睨み付けたウーヴェは、どうしてなんだと精一杯の矜持を保って鼻で笑うが、素直にそうだと言えよと笑みを深められ、先程の動揺など可愛いとさえ思える様な早い鼓動が胸の裡で溢れて息苦しさを感じてしまう。
「えー、だってさ、俺に属するもの、だろ?」
ならばお前だろうと男の貌で笑われて絶句するが、問題が違うとようやく気付いてリオンを先程より強く睨み付ける。
「私に属するもの、つまりは『私のもの』という事だろう?」
「うん。だからオーヴェって言ってるんだって」
「・・・・・・・・・私のものは『Mein』だ」
決してウーヴェでも無ければオーヴェでもないと言い放ちながら眼鏡のフレームを撫でた後でリオンの手から紙面を奪い取ると、何故か紙面に大きな溜息が一つこぼれ落ちる。
「そこにオーヴェって書いてみれば・・・・・・あれ?」
「残念ながら問題は4文字で、終わりはNだ」
ウーヴェにしろオーヴェにしろ4文字でもないし、終わりにNなど付かないと胸中の動揺を悟られないように冷静さを保ちつつ、リオンよりは丁寧にMで始まる単語を書き込む。
「あ、ホントだ」
「当たり前だろう?だいたい市販のクロスワードに個人名を出してどうするんだ?」
「や、だってさ、ここに、ほら」
サッカー界の重鎮で皇帝と呼ばれている男のファーストネームは何だと言う問題があるとリオンが指し示せば、功績も実績もあった著名人と自分を一緒にするなと苦笑し、クロスワードをパタンと閉じる。
「絶対最後はオーヴェだと思ったんだけどなー」
「・・・・・・だから違うと言っているだろう?」
これ以上追求されればリオンが期待しまたMeinという言葉が表すように俺はお前のものだと口走ってしまいそうな恐怖から、ぶっきらぼうに言い放ってこの話題はもう終わりだと言外に告げると、ごろりと寝転がったリオンが再度ウーヴェの腿に頭を乗せて顎を擽るように手を挙げる。
「素直になれよ、オーヴェ」
ウーヴェの言動から何かを見抜いている、それを口に出さずに態度で伝えてくるリオンをじろりと見下ろしてみるが、その言葉の真意を読み取ったウーヴェには反論する力など無かった。
だがただ素直にそれを認めるのはやはり矜持が許さず、素直だと思うがと嘯けばうっそだぁと陽気な声にすかさず否定されてしまう。
「ま、いっか。例えお前が俺のものでなくても、俺はお前のものだし」
にやりと笑みを浮かべるリオンの言葉に目を瞠ったウーヴェは、どういう意味だと微かに震える声で告げ、言葉通りだと肩を竦められる。
「俺はお前のものだから」
言葉に込められた諸々の過去と声に潜む感情が胸を締め付けるようで、ウーヴェがその苦しさに一度瞼を閉ざすが、そっと目を開いて見上げてくる吸い込まれそうなロイヤルブルーの双眸に目を細める。
「リーオ」
「うん────オーヴェ」
軽く顎が挙がって何を求めているのかを伝えられ、違うことなくそっと唇にキスをしたウーヴェは、ついでとばかりに顎の先、鼻の頭、瞳と同じ色の石がきらりと光る耳朶にもキスをし、最後に有りっ丈の思いを込めて瞼に口付ければくすくすと楽しそうな笑い声が流れ出す。
「ほら、言葉にしなくても分かってくれるだろ?」
だからやはりお前は俺のものだし俺はお前のものだと笑い、恋人の思考の飛躍について行けないウーヴェだったが、不意におかしさが込み上げてきてしまい、軽く肩を揺らして笑ってしまう。
「あ、笑うなよ!」
「お前がおかしな事を言うからだろう?」
「それと、キスがすげー甘かった!俺のチョコ食っただろ!」
「アレはお前のものなのか?俺のものじゃないのか?」
二人そろって買い物に出かけた際、あれもこれもとカートの中に放り込もうとするリオンと、次々入れられるものを不要だと言って棚に戻していくウーヴェの攻防があったのだが、その些細な、それでも二人にとっては重要な戦いはこの時はどうやらリオンに軍配が上がったようで、買い物を終えたウーヴェの顔が苦渋に歪むのとは対照的に、浮かれ気分を全身で表現するようなリオンが買い求めたチョコレートの山を目の前に鼻の下を伸ばしていたのだった。
その時の光景を思い出せば未だに腑に落ちないウーヴェだったが、今日のようにリラックスしたときに食べるリオンを見る事や、また疲れを感じた脳味噌に栄養を送る為にはあっても良いと納得させた事も思いだし、お前のものであっても俺のものでもあると胸を張るが、己のその態度に不意におかしさを感じてしまい、口元に拳を宛がってこぼれ落ちる笑いを何とか押し止めようとするが、拗ねたように見上げてくるリオンの顔がさっきとは打って変わって子供じみたものだった為、笑いを堪える事が出来なくなってしまう。
「・・・・・・ま、いっか」
自分の意見を言って笑われた事には一抹の寂しさを感じるし、チョコを食べられたことは悲しい事だが、何よりも大切なお前が笑ってくれたから本当に嬉しいと諦めの吐息を零したリオンに笑いを止めたウーヴェは、その頬に手を宛がって目を伏せる。
「リオン」
「な、さっきのクロスワードはもう終わったのか?」
「ああ」
最後に書き入れたMeinで終わりだと頷くと、再度リオンの頭が足の上から離れていくが、不意に寒さと軽さを感じて身体を震わせると、終わったのならそろそろシャワーを浴びようと、この後の時間の過ごし方を彷彿とさせる顔で笑いかけられ、躊躇うようにターコイズの虹彩を左右に揺らすが、頷いてその意見を受け入れる。
「まだ他にもあるのか?」
「ああ。100問近くあるんじゃないか?」
「じゃあ当分楽しめそうだなぁ」
「そうだな」
つい先程一つを終えたばかりだが、まだまだ残りがあると肩を竦めたウーヴェにリオンが苦笑し、チョコは一問につき一つだからと口を尖らせる。
「一つでチョコ一欠片か?」
「そう!」
まだ沢山ある問題を解くときにチョコレートがあれば嬉しいと思っていたのだが、一つの問題を解くときに食べても良いのが一枚ではなく一欠片だけだと限定されてしまい、軽く目を瞬かせる。
「ふぅん・・・・・・意外とケチなんだな」
「チョコを3つ以上買うなって言ったオーヴェに言われたくねぇ!」
リオンの顎を指先で軽く持ち上げて目を細めるウーヴェにリオンが一声吼えれば、ああうるさいといつもの顔でウーヴェが耳を押さえるが、宝物を守ろうとする子供のような目線で見つめてくる恋人に艶然と微笑みかけ、尖っている唇に小さな音を立ててキスをする。
「お前は俺のものなんだろう?ならばお前のチョコも俺のものだな?」
「んなー!」
前言を翻すつもりは無いのだろうと目を細め、なぁ、リーオと歌うように呼びかけたウーヴェの目の前、恋人の顔に赤味が増したかと思うと、先程よりも大きく吼えたリオンがオーヴェのくそったれと叫ぶ。
「────チョコは没収だな」
「ちょ、ごめ、調子に乗った!ごめん、オーヴェ!」
目の前で謝り倒すリオンがおかしかったが、胸の裡にのみその笑いを納めてもう一度鼻先にキスをすると、先にシャワーを浴びてくると告げ、くすんだ金髪を一つ撫でる。
「ん、じゃあ用意しておく」
「ああ」
食べてしまえば終わるものの所有権を争うのは楽しいが、口に出さずとも伝わる同じ気持ちを所有しあおうと言外に告げると、リオンが青い目を細めて小さく頷いてリビングから出て行く。
その背中がやけに嬉しそうだった為、つられてウーヴェも嬉しさを口元に浮かべると、テーブルに置いたクロスワードの雑誌へと目を向け、この雑誌内の空欄を埋める為にはどのくらいのチョコが必要になるのだろうかと思案し、それを買う為にまた二人で賑やかな買い物での攻防を繰り広げなければならない事にも気付くが、それをも楽しめる気持ちになれる不思議に一つ溜息を零した後、そっとリビングを出るのだった。
2011/05/17


