097:後れ毛

It’s a Wonderful Life.ーリアムと慶一朗ー

 金曜の夜は仕事終わりに市内の行きつけのパブで待ち合わせをする。
 そんな、以前ならばまどろっこしいと一笑に付していただろう、ある意味ままごとのような約束を金科玉条のように崇めている己に気付いたのは、待ち合わせ相手が早く来ないかと思案しつつ一杯目のカクテルをカウンターで飲んでいる時だった。
 これから夏へと向かう空は日に日に太陽が威張り散らす時間が長くなっていて、行きつけのパブへの客足もまだ少なかった。
 比較的静かなパブで待ち合わせている相手とは店のオーナーが押さえてくれているテーブルで飲むため、恋人がくるのを待っている間はカウンターで客が少ないために話し相手になってくれるオーナーと談笑し、カクテルを時間をかけて飲んでいた。
 そんな静かなパブのドアが開き、いらっしゃいと笑顔でドアを見たオーナーの目が一瞬軽く見開いたのを見逃さなかった慶一朗は、肩越しにドアを振り返り、オーナーが驚いたような顔になった理由に気付く。
 入って来たのはいかにも仕事ができそうなお堅い印象を持たれる女性で、夜には早いがランチには遅すぎる時間に一人でこの店に来るような雰囲気では無かった。
 だが、驚くオーナー以上に慶一朗自身が驚いてしまい、入って来た彼女の目も目一杯見開かれた事に気付いてスツールを回転させる。
 「・・・久しぶりね、ケイ」
 「・・・久しぶりだな」
 驚きに目を見張る彼女に微苦笑混じりに久しぶりと手を挙げた慶一朗の横を細くて綺麗な指が指し示し、少しの時間ならどうぞと掌を向けると、にこりと笑みを浮かべてスツールに座る。
 「この後緊張する打ち合わせがあるの」
 「軽めの何かを作りましょうか」
 オーナーの笑顔の問いかけに一瞬上目遣いになった彼女だったが、軽く一杯とオーナーに返し、隣の慶一朗のグラスへと目を向ける。
 「あら、珍しい」
 私と遊んでいる時はカクテルなんか飲まなかったのにと、久しぶりの再会で気づいた変化に口元を綻ばせる彼女に慶一朗が肩を竦めてカクテルを飲み干す。
 「俺も待ち合わせをしているからな」
 約束の相手がまだ来ていないからカクテルを飲んでいるだけだと返し、いつ頃だったかは忘れてしまったが、随分と昔に一時期恋人関係にあった彼女との再会に驚いていると口にする。
 「何、今はカクテルを飲みたくなる相手と遊んでいるの?」
 オーナーが自分のために作ってくれるカクテルを待ちながら頬杖をつき、皮肉にも聞こえる疑問を口にした彼女に慶一朗が一瞬どう返そうか口籠ってしまうが、どう思われても気にしないものの、彼女の言葉のただ一つの箇所だけは否定したい思いからオーナーにソルティドッグを注文し、青い目で射抜くように見つめられて再度肩を竦める。
 付き合って欲しいと告白されて嫌いでも無かったために付き合ったが、当時慶一朗にはいわゆる大人の友達が幾人かいて、それが許せないと口論になった結果、呆気ないほど簡単に別れたのだが、その時最後に見た視線も今と同じものだったと思いつつ、オーナーが彼女の前に出したグラスに目を向けて相応しいなと小さく笑うと、ブラッディメアリーは嫌いじゃないと彼女も笑う。
 そんな慶一朗の前にオーダーしたソルティドッグが置かれると、彼女がタンブラーを軽く掲げて乾杯と笑い、慶一朗もグラスを目の高さに持ち上げる。
 「・・・今日は誰と遊ぶの?」
 まさかここで会うとは思ってもみなかったけど、今でもあの当時遊んでいた人と付き合いはあるんでしょうと問われ、ブラッディメアリーが似合う昔の彼女に嫣然と笑いかける。
 その笑みはある意味彼女よりも色香のあるもので、一瞬彼女の目が見開かれた後、悔しそうに視線が逸らされる。
 「お前の期待に添えなくて残念だけど、もう遊んでないね」
 「・・・え?」
 「セフレは切った」
 「そう、なの」
 昔付き合っていた頃からは考えられないが、セフレと手を切ったのかと驚く彼女に素っ気なく頷き、今はただ一人と付き合っていると答えた後、急に覚えた喉の渇きを癒すためにカクテルを飲み干す。
 「・・・お前と一緒にいて誤解されるのも嫌だからな」
 オーナーがリザーブしてくれている席に移動する、チャオと笑ってスツールから降り立った慶一朗に随分と嫉妬深い相手と付き合っているのねと悔しそうに目を釣り上げた彼女だったが、私も仕事があるから失礼するわと血の色を連想させるカクテルを飲み干して大きく息を吐く。
 「オーナー、美味しいカクテルをありがとう」
 次は仕事の終わりに打ち上げで来るわとオーナーに笑い、荷物を片手に立ち上がる彼女に向けて手をひらひらと振る。
 「あいつとお前の恋人を一緒にしないでくれ。────元気でな、レイチェル」
 「・・・ええ、あなたも元気で、ケイ」
 その言葉と表情から次の再会など望めない事に気付いた彼女は、一瞬芽生えたやり直せるかもしれないという気持ちを押し隠すように頭を一つ振ってさっぱりとした笑みを浮かべる。
 その顔の横にきっちりとまとめてある髪がはらりと落ち、お堅いイメージが少しだけ和らいだものになる。
 その柔らかさで気性の鋭さを覆い隠せと内心で笑い、彼女と入れ替わるようにドアが開き、ラガーマンか格闘家かと思えるような巨体を少しだけ窮屈そうに屈めてドアを潜ってくる男の姿に一瞬で表情を切り替える。
 それを、男の体の脇からチラリと見てしまった彼女は、遥かな昔に己と一緒にいる時にも絶対に見せなかった慶一朗の甘さすら滲んだ顔に無性に苛立ちや悔しさを覚えるが、もう私には関係のない人だと胸の中で呟いて仕事へと意識を切り替えるのだった。
 「────待たせたか?」
 「そうだな、少し待ったから今日はワインを飲みたい」
 オーナーがリザーブしてくれている、店の奥まった席に並んで向かい、いつものように向かい合わせに腰を下ろした慶一朗は、少し遅れたと申し訳なさそうに告げつつも今夜のデートが嬉しいと顔を綻ばせる恋人の額に浮いた汗に気付き、指の背でそっと拭う。
 「汗かいていたか?」
 「ああ、でも大丈夫だ」
 お前は汗をかいていてもいなくても男前な事に変わりはないからと、自宅以外では滅多に見せない甘い顔に愛嬌のある顔が驚きに彩られ、その顔から慶一朗が己の言葉から羞恥を感じたように真っ赤になってしまう。
 「・・・ワイン、フルボトル飲んでも良いぞ」
 「一本で済むと思うな!」
 己の言葉に真っ赤になった顔を背け、赤と白の両方を飲むと宣言する慶一朗に少し遅れてやって来た恋人、リアムがくすくすと笑みを零し、リアムだけが出来る事だと言うように大きな手で慶一朗の髪をそっと撫でる。
 外出先でのスキンシップにいつもならば目を釣り上げる慶一朗だったが、今夜はどうやら違ったようで、ふんと鼻息で返事をするだけだった。
 「今日はルカの店に行く?」
 「行きたい気分だけど、帰って二人で踊ってもいいな」
 ワインを二本飲んだ後の気分次第だと笑う慶一朗にリアムも笑い、オーダーを聞きに来てくれる顔馴染みの店員に今食べたいものを注文し、適当にワインを選んでくれとも伝える。
 オーナーが選んだワインが運ばれて来た頃には店の外もオレンジ色の世界が濃紺に変わり始めていて、週末の夜をどう過ごそうかと街に繰り出して来た人たちが窓の前を通り過ぎて行く。
 その中に、さっき別れたレイチェルがいて、仕事仲間だと思われる人と一緒に颯爽と歩く姿を目で追いかけてしまう。
 「・・・誰か気になる人でもいるのか?」
 「ん?ああ・・・知り合いに似ているなと思っただけだ」
 「ふぅん」
 昔付き合っていた–リアムと付き合い出してからは付き合っているとは言えない関係だった事に気付いた–彼女が颯爽と歩く姿が見えなくなると同時に気分を切り替えた慶一朗は、訝るリアムに頬杖をついて今日は家に帰ろうと、その後の行動を期待させるような声と表情で笑いかけるのだった。


2021.10.09
元カノ登場(笑)なかなかに気性の鋭い方ですね(笑)


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