096:オートマチック

Garden of Southern Cross.ーテッドとノアー

 日中の陽が高い時間、今から帰ると恋人から帰宅前の連絡を受けたノアは、以前のゲストルームを改装してノアの仕事部屋になっている部屋から出てリビングのソファで寝転がっていた所だった。
 今日は一日部屋にこもって作業をしている事を伝えていたが、ランチはどうするとも問われ、作業の進捗状況が思わしくないために出来れば家から出たくないとメッセージを返せば分かったという素っ気無い一言が返ってくる。
 その素っ気なさは一歩間違えれば自分に対して興味がないのかと言いたくなるようなものだったが、半年間の遠距離恋愛を経てようやく一緒に暮らせるようになった今、ただ言葉が素っ気ないだけでノアが考えるように無関心というわけではなかった。
 それを分かっている為に特に気にせずにソファから起きあがろうとしたノアは、ふとテレビを置いているテレビボードへ目を向け、一番上の細い引き出しが少し開いている事に気付き、それを閉める為に手を伸ばす。
 何かの拍子に引き出しが開いてしまったのだろうとそっと手で閉めようとするが、中で何かが引っかかっているのか、引き出しは元に戻ろうとはしなかった。
 「?」
 何が引っかかっているのだろうと首を傾げ、中身を確かめようと引き出しを引っ張り出してみる。
 細い最上段の引き出しには公的機関から発行されているらしい書類等が束ねられて入っていて、それが引っかかっているのかと引き出しの奥を覗き込んだ時、影になっているからではない黒い塊のようなものを発見して手を突っ込み、ヒヤリとした感触を覚えて咄嗟に手を引き抜く。
 「!?」
 光が当たらない為にその感触をノアに覚えさせた物体がなんであるかが理解できずに眉を寄せ、一体何が入っているともう一度引き出しの奥を覗き込んだ時、その物体の正体を理解し、今度は一目で分かるほど顔面を蒼白にしてしまう。
 己の予想が間違っていなければ、手を突っ込んで指先に触れた冷たい感触を与えたもの、それは拳銃だろう。
 ウィーンで暮らしていた時には母が俳優をしていた為に小道具で見たことや手に取ったことはあっても、本物の拳銃を手にしたことはなかった。
 刑事や軍隊、もしくはSPなどといった限られた職種に就かない限りは手にする機会が少ない拳銃に触れた手をじっと見つめ、どうしてそれがこの家にあるのかをぼんやりと思案した時、己の友人であり実際は実の兄であるリオンが、永遠の伴侶であるウーヴェの前では絶対に見せないが、警察の許可を得た拳銃を持っていた事を思い出し、そういえばリオンの前職は刑事だったことも思い出す。
 暴力を心底毛嫌い−というよりは生理的嫌悪感−を抱いているウーヴェには秘密だとも教えられたが、まさか己の恋人が拳銃を所持しているとは思いも寄らなかった。
 護身用の拳銃だとは思うが、己の恋人が暴力的な言動を取ったことがあっただろうかと、長くはない過去を振り返り、一度たりともそんなことはなかったと己を安心させるように呟く。
 ならば何故、拳銃という一般家庭にはあまり存在しないものがあるのかと顎に手を当ててソファに再度腰を下ろした時、玄関のドアが開く音が聞こえ、程なくしてリビングへ入るためのドアが開いて仕事を終えて少しだけ疲れを滲ませた顔のテッドが入ってくる。
 「ノア?どうした?」
 作業をしていたんじゃないのかと目を丸くして問われて上の空で返事をしたノアだったが、話しかけてきたのがテッドだと思い出し、慌ててソファから立ち上がって潮の匂いがする逞しい体に抱きつく。
 「今日も仕事お疲れ」
 「ああ」
 オフィスワーカーとは違って肉体的にも厳しい仕事をしている恋人を労う言葉をまず伝えてカサカサになっている唇に小さな音を立ててキスをすると、同じようなキスがノアの唇にも返ってくる。
 「飯はどうする?」
 「う、ん・・・」
 ノアの歯切れの悪い返事にどうしたとテッドが首を傾げるが、そんなテッドの前で言うべきかどうするべきかとぶつぶつと何かを呟きながらノアが三度ソファに座り込んでしまう。
 「どうした?何かあったのか?」
 仕事が思うように進まないのかと問いかけつつノアの横ではなく少し前の床に腰を下ろしたテッドは、じっと見つめられた後何事かを決意した顔のノアに名を呼ばれて深い海の色をした双眸を見開いてしまう。
 「・・・黙ってるのも嫌だもんな・・・テディ、教えてくれ」
 「何だ?」
 深呼吸を二度行い、それから勇気をもらったかのような顔でノアがじっとテッドを見つめると、一番上の引き出しにもしかして拳銃が入っているのかと問いかけるが、返ってきた言葉に目と口を丸くしてしまう。
 「ああ、入っている」
 「は、いって・・・るんだよなぁ」
 あの拳銃は護身用かと、今帰ったと伝えるときと同じ口調で教えられて拍子抜けしてしまったノアだったが、テッドが引き出しの中に手を突っ込んで黒光りする拳銃を取り出したのを見た瞬間、ウーヴェほどではないが己も暴力やそれを連想させるものが実は苦手であったことを腹の底に得体の知れない不気味な感覚が芽生えたことで気付く。
 「そ、れ・・・」
 「そういえば前に紛争地域などには行かない、その手の仕事は引き受けないと言っていたな」
 大きな掌にずしりと重さがあるだろう拳銃を乗せて−もちろん銃口はノアと反対側を向けていた−目を細めるその横顔をノアは初めて目の当たりにし、恋人が昔海軍に所属していたことも思い出す。
 「うん・・・情けないかもしれないけど、紛争地域で現実を写すのは・・・俺には無理だ」
 紛争地域で目にする現実はメディアを通したものであっても直視できない時があり、自嘲しつつ俺の中の選択肢にはないと肩を竦める。
 「情けないことじゃない」
 それが当たり前なんだとノアの選択を称賛するように頷き、手の中でくるりと拳銃を回転させて慣れた手つきで窓に向けて拳銃を構えると、ノアが無意識にクッションを引き寄せて膝を抱えてしまう。
 それを視界の隅に捉えながら安心しろと笑って安全装置がしっかりと掛かっている拳銃をノアの目から隠すように床に置く。
 「────これは、どうしても処分できなかったものだ」
 「そっか・・・だからそこに入れていたのか?」
 「ああ」
 この拳銃は軍に入ってすぐに親友が譲ってくれたものだと語るテッドの横顔から寂寥感や罪悪感を読み取ったノアが目を丸くして次の言葉を待っていると、申し訳なさそうな顔で見つめられてしまう。
 「お前に使わせるつもりはないしあの引き出しを開ける必要はない」
 「・・・うん」
 「でも、いざという時、これがここにある事を覚えておいてくれ」
 この辺りは特に治安が悪い場所でもないが、何があるか分からない為、万が一の時にはこの引き出しの中にこれがある事を思い出してくれと、怯えつつも真正面から受け止めようとしてくれるノアに感謝しつつ再度繰り返したテッドは、うんと頷くノアの頭に拳銃を握っていない手をポンと乗せ、お前の前でこれを使うつもりはない、次にこれを使うときは俺たちの命が危ない時だけだ、約束するとしっかりと伝えるとノアの手が上がって頭上のテッドの手をぎゅっと握りしめる。
 「お前が無闇矢鱈に拳銃を使うような人じゃないって思ってるし信じてる」
 だから、それを使う時はお前の判断に任せると、拳銃に関する全ての判断をテッドに委ねる事を伝えたノアは、テッドが引き出しの奥に拳銃を入れてそっと引き出しを閉めたのを確かめて無意識に安堵のため息をこぼすが、テッドを手招きして近寄る巨体にしがみつくように腕を回す。
 「拳銃、初めて見たから驚いた」
 「そうだな、いつか話そうと思っていたけど、機会がなかった」
 「ドイツではリオンがウーヴェに絶対に見つからないように持ってたけど、持ってたものとまた形が違うんだな」
 少しだけ目の当たりにした二人が持っている拳銃のデザインの違いをフォトグラファーの目で見つめた素直な感想を口にすると一瞬テッドが驚いたように目を見張るが、どんな銃を持っていたと問いかける。
 「銃身にスリットみたいなデザインが入ってた」
 「そうか。俺のものは、ああ、オーストリアで作られているものだ」
 たった今引き出しに戻した拳銃の生産国は確かオーストリアだったはずだと思い出しながら小さく笑うテッドに、母国に拳銃メーカーがあったのかとノアの目が丸くなる。
 「映画でも良く使われてるぞ」
 「ふぅん・・・テディと一緒にいると知らなかった事を知れるから嬉しいな」
 拳銃という今まで接点が殆どなかったものだが、知らないことを知れるのは嬉しい、知らない世界を教えてくれてありがとうと素直な感謝の言葉を告げてテッドの頬にキスをし、腹が減ったから一緒にランチを食おうと笑みを浮かべる。
 「・・・ノア」
 「ん?」
 大きく伸びをして名を呼ばれて振り返ったノアは視界が不意に陰った事に驚くが、痛みを覚えるほど強く抱きしめられている事に気付いたのは、テッドの声が肩の辺りから聞こえたからだった。
 「・・・礼を言いたいのは俺だ」
 拳銃という苦手なものを目の当たりにしながらも受け入れてくれるその素直さ、寛容さに救われると、今のノアには理解できないだろうがテッドの深い場所にある傷に手を当ててくれたように感じて礼を言うと、何だかわからないが礼を言われることをしたのかと小さく問われて頷けば広い背中にそっと手が回される。
 「・・・お前を助けられたのなら、嬉しいな」
 今まで生きてきた中できっと同じような状況で違う結果を目の当たりにしてきたのだろうが、今の俺の言葉でよければいくらでも言うと笑って背中を撫でられ、ああ、お前は本当に素直ないい男だなとテッドの口から感慨深い声が零れ落ちる。
 初対面に近い人の前で涙を流せる、その強さや素直さは一歩間違えれば子供っぽい印象を相手に与えてしまうだろうが、それを恐れることなく表現できるのは紛れもない強さだと以前から感じていたことを口にすると、俺は強くない、周りにいる人が俺を強くしてくれるんだと返される。
 「リオンやウーヴェもそう・・・でも今はお前だ、テディ」
 お前がこうして抱きしめてくれて俺の言葉を認め受け入れてくれるから強くなれると、己の肩に頬を当てながら囁かれ、どんな言葉を返せばいいか分からなかったテッドは、言葉の代わりにノアの瘦躯を強く抱きしめ、だからベアハグは止めろと悪戯っ気が籠った声で笑われ、それにつられたようにテッドも肩を揺らしてしまうのだった。

 

 息も絶え絶えになり、白熱した瞬間を過ぎて気絶するように眠ってしまったノアの汗ばんだ髪をそっと撫でたテッドは、起こさないように気を付けつつベッドを抜け出し、昔の癖で足音を立てないでリビングに入るとテレビボードの引き出しを開けて拳銃を取り出す。
 仕事から帰宅し、拳銃を発見したと驚きの顔で問いかけてきたノアを見たときは腹の底に冷えたものが生まれたが、理由やノアには触らせるつもりはないことを説明すると、驚きながらもそれを受け入れてくれた。
 ただそれだけの事で己の血と硝煙に塗れた過去が許されたような気持になってしまう。
 夢の世界では常に誰かが己が手にした拳銃やライフルから発射された弾丸によって命を奪われていた。
 退役してからは当然ながら人の命を奪う事などなく、また自らの命を危険に曝すことも無かったが、夢という時間も空間も何もかもを超越する世界では己はまだ命じられるままに命を奪う殺人兵器だった。
 その殺人兵器が最後に犯した大罪、それがこの拳銃を譲ってくれた親友であり上官でもあった男のかけがえのない宝、ただ一人の娘の命を奪ってしまったことだった。
 正確無比な射撃で陰で殺人兵器と噂されていた己のミスがまさか親友の娘の命を奪う事になるなど想像もできず、またその現実をなかなか受け入れることもできなかったテッドは、その作戦が終わると同時に軍を退役したのだ。
 退役直後の荒んだ生活を思い出し、あの頃の暮らしをノアに話して聞かせればどんな反応があるだろうかと自嘲するものの、ノアならば驚きながらもきっと受け入れてくれるだろうという願望がむくむくと沸き起こってくる。
 「・・・殺人マシーンなのにな」
 親友の宝、幼いアメリアの命を奪った最低な人殺しに許しなど与えられるのだろうかと、あの日以来常に胸に抱き続けている疑問を口にし、手の中で黒光りするオートマチックの拳銃を見下ろす。
 手にしている事すら意識することがないほど馴染んでいる一種の道具のような拳銃。
 これ程までに手に馴染んでいる拳銃を己はいつか手放すことができるのだろうか。
 トリガーを引く事すら自動的に流れ作業のように行ってきたこれを、手放せるのだろうか。
 ノアと一緒にいれば、いつか手放せるのだろうか。
 今まで考えたことも無いその疑問を脳裏に浮かべたとき、不意に拳銃の重さが増した気がし、慌てて引き出しに戻して視界に入らないようにする。
 ノアと一緒にいることで己の過去が僅かでも許されるのだろうか。
 回答の出ない問いがいつものように脳裏をぐるぐると回り始め、一つ頭を振ってそれを追い出すと、眠そうな声が何をしているんだと問いかけてくる。
 肩越しに振り返ればバスローブをおざなりに着込んだノアが欠伸を堪える顔で立っていて、その顔に微苦笑しつつ何でもないと返すと、安心したのか何なのか、糸が切れたマリオネットのように前のめりになる。
 慌ててその体を受け止め、眠いのなら無理をするなと苦笑するテッドだったが、脳裏に浮かんでいるのはいつか見た光景で、過去の映像とリンクした光景が網膜に焼き付いてしまう。
 己が支えるノアの体から命の証である血が流れだしていないかを血相を変えて探るが、どうしたと眠気交じりの声に再度問われて目を瞬かせる。
 「・・・お前が支えてくれてるから、大丈夫」
 あの時、スコープで拡大された世界では誰にも支えられずにその場に膝から崩れ落ちた少女の姿が映し出されていたが、今はそうではない、それは過去の光景だとノアが教えてくれる。
 「テディ、時々夢で魘されてるよな」
 「!!」
 「うん、でも・・・俺は今生きてるから」
 夢の中で誰が亡くなったのかは分からないけれど、俺はちゃんと生きているから安心してくれと笑うノアを無言で抱き上げたテッドは、誰が聞いても無理だと言いたくなる声で降ろせと言われるのを無視し、ベッドルームに戻ると二人が抜け出した形になっている掛布団の下にノアを押し込んでその隣に潜り込む。
 「・・・お休み、テディ」
 多分また見るかも知れないけれど今日はもう怖い夢は見ない、だから一緒に寝ようと子供が添い寝を強請るような声で誘われて鼻の頭にキスをされてしまえば断れるはずもなく、柔らかな髪にキスをし、頭を抱え込むように腕を回すと窮屈だなぁと嬉しそうな声が腕の中から聞こえてくる。
 「・・・朝飯に美味いスクランブルエッグを食わせてくれるか?」
 「良いよ・・・特別に美味い紅茶もつけてやる」
 だから大人しく寝ろと笑うノアに目を閉じたテッドは、その言葉通りに夢を見ない眠りが訪れればいいと願うが、顎にキスをされて片目を開ければ、悪戯と労りの気持ちが綯交ぜになった蒼い双眸に見つめられていることに気付く。
 「・・・お休み」
 「うん、お休み」
 明日は仕事は休みだから好きなだけ寝ていられると欠伸交じりに答えたノアだったが、限界と呟いた後瞼を閉ざす。
 そしてほどなく聞こえてくる穏やかな寝息につられるようにテッドも目を閉じると、己が想像するよりもたやすく眠りに落ちるのだった。

 

 結局ノアの言葉通り悪夢を見ることなく朝まで眠ることができたテッドは、朝食の用意が庭になされていること、己の言葉を守るようにスクランブルエッグが山盛りになった皿と紅茶を温めているポットを自慢げに見せつけられて目を丸くする。
 「ご希望に沿ってるか?」
 「・・・最高だな」
 サプライズというよりは悪戯が成功した顔で笑う恋人を手招きし、何だと小首を傾げるノアの頬にキスをしたテッドは、うっすらと目尻を赤く染めるノアの髪を撫でて美味そうな朝食をありがとう、食べようかとベンチを指し示す。
 休日の朝の庭を海風が足早に吹き抜け、体内に溜まっていた昏い感情が一緒に体内から出ていくような錯覚に囚われたテッドは、正面でベーグルを二つに分けてスクランブルエッグを乗せて今まさにかぶりつこうとしている恋人を頬杖をついて見つめ、目が合うと同時に昨日も伝えた感謝の気持ちを口に出す。
 「・・・テディに礼を言われるのって嬉しいな」
 「そうか?」
 「そう!あ、だからって機械的に言うなよ?」
 機械的に感謝の言葉を言われると嬉しく無いぞとじろりと睨むノアの頬を撫でてそんなつもりはないから安心しろと頷くと、自分のために用意されているバケットを半分に切り、チーズやスクランブルエッグを挟んで食べ始めるのだった。

 

 そんな二人の上を、夏の風が爽やかに通り過ぎていくのだった。


2021.10.28
テッドの過去がまた少し出てきました。それにしても、ノアが素直で兄貴との違いに驚いてしまいます(・_・;


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