092:君を探していた

天球座標ー総一朗と一央ー 

 都内でも高級住宅地として認知されている町の、その中でも大きな家に煌々と明かりが灯り、煌びやかに飾り立てた男女が談笑しながら屋敷の門を潜って中に入っていく。
 その光景を自室の窓から見下ろしていた少年は、ドアがノックされて返事の前に開いたことに気づき、面倒くさそうな色を隠さないで窓に背を向ける。
 『…総一朗、皆様がお待ちしているわ』
 だからあなたも早くいらっしゃいと、ナイフとフォークより重いものなど持ったことがないと思われるーまたそれも事実だったー手が少年の頭にそっと載せられそうになるが、その年の夏に経験した少年にとっての大きな事件以来、どれほど綺麗に見える手であっても実際は見えない血に染まっている事に気づき、生理的に触れられることを拒否するようになっていた。
 だから今も自然とその手を躱して一歩を踏み出すと、軽く驚きつつも何とも思っていない顔で笑みを浮かべ、パパも待っているわと、十年前に腹を痛めて生んだ少年の背中に手をまわし、あなたの誕生日を祝いに来てくれているのよと笑われ、とっさに脳裏に浮かんだのは、自分と同じ顔をした、生気のない目でただぼんやりと見つめてくる弟の顔だった。
 『…母さん』
 『なぁに?』
 どうしたのと、己の息子の顔を覗き込むように上体を屈める母に小さく首を左右に振った少年は、今は何も掴むことはできないが、大きくなれば必ず弟をあの世界から救い出すと決めた手を握り締め、その為にと練習した笑顔を浮かべる。
 『僕、したいことがあるんだ』
 『何がしたいの?』
 あなたが望むのなら何でも買ってあげると、少女の頃と全く変わらないと言われる笑みを浮かべる母を見上げ、色々な人達と話をしたい、大阪のオーマとも話をしたいからドイツ語の勉強がしたいと笑うと、一瞬母の顔に何とも言えない表情が浮かぶが、あなたが望むのならと、少年の希望を叶えようと頷く。
 『本当に?嬉しいな』
 『そう?パパの友人にドイツ出身の人がいるから、その方に教えてもらいましょうね』
 パパ、つまりは母の父―少年にとっての母方の祖父の人脈の広さを思えばドイツ人がいても不思議はない為、嬉しいなと己が最も白々しく感じつつ喜んだ少年だったが、ドイツ語を習いたいと言い出した本当の理由は、大阪で意思を持たない人形のように暮らす弟とコミュニケーションを取りたいが為だった。
 まだ己は子供だから、誰も同じ顔をした弟と離れて暮らさなければならないのかを教えてくれないが、勉強をすれば大人達が密かに話すことも理解できる様になる。そうすることできっと分かってくるはずと、子供ながらに必死に考える。
 その為に自分が何をしなければならないのか。
今年の夏休み、大阪の祖父母の家で衝撃の出会いを果たした少年は、両親や祖父母が気付かない内に大人への階段を一段飛ばしで駆け上がってしまっていた為、目的を果たすためには何かが必要だと考えられるようになっていた。
 大阪で、己と同じ遺伝子を持つ同じ顔をした、だけど生気のない目をした、やっと会うことができた弟を救い出すにはまだ己は非力だということも理解していた。
 『今日の誕生日プレゼントは何をくれるのかしら』
 あなたは何が欲しいのと、息子が笑顔の裏で何を考えているのかを理解できるはずもない母の言葉に何でも嬉しいなと笑いながら一緒に部屋を出る。
 階段の下から聞こえる賑やかな談笑の声に一瞬腹が痛くなるが、唾を飲み込むことでそれを堪え、母とともに階段を下りていく。
 今日、自分が誕生日というのなら、大阪にいる弟、慶一朗も誕生日のはずだ。
 だが、弟は自分と違い、誰にも祝われることも無く、暗い部屋で人形の様にただ寝転がっているだけなのだ。
 同じ両親の血を引き同じ日に生まれた自分達だが、この違いは一体なんだと、子供とは思えない強い疑問と怒りを腹に抱えながら、母の白い手に背中を押されて大人達が集まる部屋に入る。
 今は無理だが、いつか必ず二人で過ごせるようになった時、自分の誕生を祝うフリをして両親や祖父に媚を売りつけに来ている大人達とは比べられない心のこもった誕生日祝いをするんだと思いながら。

 

 夢の中で衝撃を受けて現実の体がそれに反応したのか、総一朗の身体がびくりと揺れた後、色素の薄い目が瞼の下から姿を見せる。
 次第にクリアになる視界に飛び込んできたのは己と同じ顔で、ああ、今夜もまた一人で眠れないからとベッドに潜り込んで来たのかと微苦笑する。
 十歳の夏に存在を知った弟だが、子供の己に出来る事など無く、夏休みなどの長期休暇にしか大阪に遊びに行く事が出来ないでいた。
 日本の大阪という土地に暮らしながら、祖父母とその周囲にいる人達がドイツ人ばかりというある意味特殊な環境の中、人形のように部屋にポツンと置かれていた慶一朗が理解できるのは当然ながらその人達が使うドイツ語で、日本語はテレビやラジオなどもない為に耳にする機会が殆どなかった。
 総一朗が大人顔負けの早さで吸収したドイツ語で慶一朗に話し掛けては慶一朗が理解しているドイツ語を教えてもらい、逆に慶一朗は総一朗から日本語を教わる様になっていて、総一朗が学校の宿題だけでは足りないからと、各種教材を両親に買わせ、それを持ち込んで慶一朗と一緒に日本語の勉強もするようになっていた。
 今思えばがむしゃらだったと苦笑してしまう総一朗だったが、そのがむしゃらな総一朗に慶一朗は難なく付き合えるだけの能力があったようで、慶一朗がドイツ語を、総一朗が日本語を互いに教えあい、いつしか二人の間ではコミュニケーションを取る事に不自由はしなくなっていった。
 その後、中学の入学に際し、東京の所謂名門男子校に入学する事が当たり前のように思われていた総一朗が、将来宇宙の研究をしたい、学校に望遠鏡などの観測設備のある大阪の中高一貫校に入学したいと言い出し、東京の両親や祖父は手を替え品を替え総一朗が心変わりしないかと期待していたが、総一朗が抱いていた目的を達成する為には変心などするはずがなかった。
 その後、どうしても諦めない息子に根負けした父親が、学校の見学会に参加する為に大阪に来た際、大阪の祖母の協力を取り付けた総一朗は、祖母とその協力者の助言を受け、今まで家から外に出ることのなかった弟、慶一朗とともに同じ中学に入学できるようにして欲しいと父親に取引を持ちかけたのだ。
 取引と言えば聞こえは良いが、総一朗は自分と弟の命を賭けて父を脅迫したのだ。
 慶一朗と一緒に希望する学校に入り、大学を卒業して社会人になるまでの金銭的・社会的な援助、それが終われば父の望みを叶えてやると脅迫し、総一朗を喪えば妻や妻の父が半狂乱になることを想像した父に、あなた達大人が慶一朗を閉じ込めて不幸にした、その責任を取れと言い放ち、あなたも本当は好きでもない妻から解放されたいだろうと持ちかけ、父の協力を得ることに成功したのだ。
 大人達の思惑など本当はどうでも良かった。ただ、慶一朗を、己の双子の弟を人として扱って来なかった大人達の中からただ救い出したかったのだ。
 総一朗は小学校の卒業と同時に大阪の祖父母の家に住民票などを移動させ、慶一朗と二人で希望する学校に入学できる様になり、その後、大学を卒業するまでは東京の家に一度も帰る事はなく、両親とも必要最低限の連絡しか取らないのだった。
 そんな、中学からは二人で学校の寮に入り、こうして同じ部屋で毎日過ごす様になったが、慶一朗は良く夜中に目を覚ますと、総一朗のベッドに潜り込んで来ていた。
 それは高校生になった今でも続けられている癖で、総一朗にしてみれば当たり前のことだった為に何を思うことも無く受け入れていた。
 傍目から見れば奇妙だと思う関係であっても、総一朗が大切にしているのは、弟、慶一朗の心で、その心が少しでも穏やかになるのなら、安らいだものになるのなら何でもするつもりだった。
 その役割を、引き受けてくれる誰かが現れる、その時までは何があっても慶一朗を守らなければならない、それが、己のスペアとしてしか周囲の大人達に扱われることの無かった慶一朗へ己が出来る贖罪なのだ。
 両親や祖父母の元を離れ、初めてこの部屋で夜を迎えた時、ベッドの片隅でガタガタ震えていた慶一朗を見た時に抱いた気持ちを思い出して小さく欠伸をした後、隣から聞こえる穏やかな寝息につられるように目を閉じ、顔を寄せ合って世界中に自分達二人しかいない錯覚に囚われそうになりながら眠りに落ちるのだった。

 

 ふ、と意識が浮上した時、ぼやける視界で天井を見上げた総一朗は、不明瞭な世界で何かが規則正しく鳴っていることに気付き、手探りで音の発生源を探すと、枕元に置いていたスマホであることに気付く。
 目覚ましを合わせていたかと手に取った総一朗の視界に入って来たのは、慶一朗からの着信を知らせる表示で、寝ぼけ眼のまま通話ボタンを押す。
 「・・・もしもし」
 『ソウ?・・・寝てたか?』
 「・・・寝てたな・・・どうした?」
 寝ていたところ悪いと謝られ、気にするなと返しつつ起き上がった総一朗は、隣で気持ち良さそうに眠る恋人に気付いて苦笑をするが、電話の向こうの弟に誤解させてしまったことに気付き、大丈夫だとはっきりと伝えると、疑うような声が返ってくる。
 「ケイ、俺が大丈夫と言えば大丈夫だ。それよりも、どうした?」
 何か用があって電話を掛けてきたんだろうと欠伸交じりに問えば、やや躊躇った後に折角新しい模型を送って貰ったのに、ジオラマを壊してしまったと小さな声が聞こえ、前髪をかき上げながらそうかと返すと、お前に買って貰ったのにという、地の底に沈んだような声が続けて聞こえて来た為、気にしなくて良いと告げ、無意識に空いた手で恋人の手触りの良い髪を撫でる。
 「怪我はしていないか?」
 『大丈夫だ』
 「そうか。・・・次に欲しいものがあったらまた教えてくれ」
 今は遠く離れた、時間だけではなく季節も違う国で暮らす弟が、精神的に堪え切れなくなると室内にある何かを壊してしまう癖について総一朗は誰よりも理解していたが、その際、本人も負傷する可能性が高く、大丈夫かと問えばそれについては大丈夫だと返って来て安堵する。
 ジオラマを壊してしまったというのならまた作り直せばいいのだ。プレゼントした模型が壊れたのなら、また新しく買えばいいだけのことだった。
 本人の心が壊れていないのなら、ほかに何が壊れてしまおうとも問題はなかった。
 『少し、アザが出来そうだったけど・・・リアムが、手当をしてくれた』
 「そうか」
 そう思案していた総一朗の耳に密かな自慢の滲んだ声が流れ込み、それが最近付き合いだした弟の恋人の名前であることを思い出し、そう言えば彼も医者だったなと呟くと、優秀な小児科医だと笑われる。
 「・・・リアムは体を鍛えているんだったな?」
 『ん?ああ、マッチョマンだな』
 「はは。今度面白そうなのを見つけたら送るから彼に渡してくれ」
 髪を撫でているうちにどうやら目を覚ましたようで、なんや、ソーイチローという間延びした声が手の下から聞こえ出し、何でもないと伝える代わりに髪を撫でていた手で頬を撫でれば、満足そうな吐息が一つ零れ落ちる。
 『・・・ダンケ、ソウ』
 「どういたしまして」
 小さく聞こえるドイツ語に同じ言葉で返した総一朗は、もう一度寝るからまた夜にでも電話をすると弟に伝え、ああ、こちらも電話をすると返されて通話が終わったスマホを枕元に投げ出す。
 「ソーイチロー?もう一回寝るんか?」
 「ああ・・・ヒロ」
 己の手に頬を乗せて満足そうに笑っている恋人に覆い被さるように横臥した総一朗は、名を呼ばれて上目遣いに見つめられ、その頬にキスをする。
 「・・・っ!」
 総一朗からのキスなど珍しいと思いつつも嬉しさを隠せない恋人、一央にもう一度キスをした後、慶一朗が落ち込んでいる時に傍にいてくれる人ができた、それが何よりも嬉しいと告げつつ恋人の背中に腕を回すと、感慨深げな声がそうかと返してくる。
 「ああ」
 「良かったなぁ。ケイさんの心配事が一つ減ったな」
 その傍に居てくれる人とは最近付き合いだした恋人なのだろうが、どんな人なんだと疑問に感じたことを口にする一央に思い出す様に上目遣いになった総一朗は、お前なら軽々と抱き上げられる人だと笑い、お前より大きいんかと問われて素直に頷く。
 「確か190センチくらいあったはず」
 体を鍛えることが趣味らしく、暇があれば筋トレをしていることを慶一朗が送って来た写真を思い出しながら答えると、筋肉バカじゃないよなぁと欠伸混じりの声が聞こえ、慶一朗が付き合う相手だからバカではないだろうと総一朗も欠伸混じりに返す。
 「そっか・・・それやったら、良いな」
 「ああ」
 二人揃って欠伸をし、今日は休日でまだまだ眠って居られるからもう一度寝ようと、いけないことをする様な顔で笑い合い、互いの腰に腕を回して目を閉じるのだった。
 学生の頃、常に己が守らなければと思っていた慶一朗に、どんな顔を見せても傍にいて守ってくれる人が出来た、それが本当に嬉しいと思いつつ、今もきっと傍にいるであろう弟の恋人に感謝しつつ、目の前にいる己の恋人にも密かに感謝し、そのまま眠りに落ちるのだった。

 


2021.02.02
総一朗、お前ホンマに12歳か!?(º ロ º๑)親を脅迫するなよ(・・;)


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