080:ラストダンス

Über das glückliche Leben(ÜGL)-Lion & Uwe -

 夏の柔らかな雨が降る空を、カフェの路面席からぼんやりと見上げたのは、愛しのウーヴェと仕事後にデートの約束をしているリオンだった。
 少し行儀悪く足を組んであまり高価ではないカフェの椅子に腰をおろし、横にあるテーブルに頬づえをつきながら、雨だなぁ、あまり降るとダーリンが濡れてしまう、だから程々にしてくれねぇかと、雨を降らせている雲を見上げながら椅子の細い肘置きを指先でタップする。
 だが、その横顔はどこか楽しげで、雨に対する不満など本当は思っていないのではないかと言いたくなる程だった。
 誰かに、何がそんなに楽しいのかと問われても不思議ではない顔で、リズムを刻む様に指先で椅子をノックしていたリオンは、注文したまま口を付けていないラドラーのグラスに水滴がじわりと浮かんではその重さに耐えられない様に流れ落ちた事に気付き、どれぐらい待っているのだろうかと思案する。
 その小さな動きに目をやり、水滴が全てなくなる頃に待ち人はやって来るだろうかと、歌う様に目を細めて呟くと、どうだろうなと言うように雨脚が強くなる。
 リオンが座っているテーブルはカフェの軒先ではあるが直接雨がかかることは無く、春の雨の下を足早に歩き去る人々を傍観者の目で見ることが出来ていた。
 雨の中を走ったり諦めた様に歩いたりと、人それぞれの行動をぼんやりと見守っていたリオンは、この雨の中、もしもウーヴェがレインコートの裾を翻しながら颯爽と歩いて来たらと想像し、思わず足を組み替えて座り直してしまう。
 シルバーの握りのステッキは雨が降っていようが晴天であろうが、彼の歩みを助ける為に力を発揮するだろう。
 そのステッキを使う様になった出来事は思い出すだけでも辛い事だが、今ではもう無くてはならないものになっていて、ステッキがある事が当たり前の光景になっていた。
 そんなステッキをつき、ゆっくりとした歩調で雨の中を歩いてくる。
 想像するだけで掌が熱を帯びてしまいそうになる。
 スーツ姿のウーヴェが好きで仕方がないとは以前から思っていたが、雨の中でもきっちりとスーツを着こなし、雨に濡れた髪をかき上げる、そんな当たり前の仕草を見せられると、正気でいられる自信がないと微苦笑する。
ぼんやりと雨脚が強くなった世界を見つめていると、カフェ近くの路面駐車スペースに一台の白いBMWが、周囲の車の多さを物ともせずに一発で縦列駐車を決め、ドライビングテクニックを持った運転手だなと感心したリオンだったが、運転席のドアの下から手入れが行き届いている高級そうな革靴の先が見え、両足が石畳に降ろされると同時にステッキの先が見え、たった今脳内で想像した映像が目の前の現実となって現れる。
 「・・・・・・ヤバイよなぁ」
 ステッキを頼りにドアを閉め、雨が降る空を視線だけで見上げた後、カフェに向かってゆっくりと歩いて来る姿にリオンが唇を少しだけ噛むが、口の端が緩んでしまうのを抑えることは出来なかった。
 タイトルは忘れてしまったが、雨の中、傘も刺さずに歌いながら街灯やショーウィンドウのレディ相手にダンスを踊る男の様に軽やかに踊ることは出来ないが、それでも出来るのなら、雨の中の見るものを惹きつけるあんなダンスを踊ってほしい。
 そう、思わず願ってしまう様な姿に口元がにやけるのを抑えられず、頬に当てていた拳を開いて掌で口元を覆い隠す様に僅かに姿勢を変える。
 彼が踊る姿はほとんど見たことはないが、きっと似合っていただろうし、その時同じフロアにいて相手に選ばれたであろう、想像上の、実在するかどうかも分からない、見た事がない女性に嫉妬してしまいそうになる。
 あぁ、可能であれば一緒に踊りたかった。足を悪くしてしまったが、そんな彼でも踊ることは出来るのだろうかと、めまぐるしく脳味噌を働かせていたリオンは、不意に頭上に影が落ちたことに気付いて顔をあげ、そのまま動きを止めてしまう。
 「・・・・・・待たせたな、リーオ」
 予定より少し遅くなってしまったと、申し訳なさそうに目を細めたのは、往診が入っている為、今日はクリニックに戻らずに直帰するつもりだから仕事が終わればデートしようと誘い、このカフェで待ち合わせをしていたウーヴェだった。
 少し上体を屈めるウーヴェを呆然と見上げたリオンは、どうしたと問われて我に返り、犬か何かの様に頭をブンブンと振る。
 「大丈夫か?」
 何か顔が赤いようだが、雨に濡れてもいないのにどうしたと、当たり前の顔でリオンの額に掌をあてがってくれる為、意識していなかった顔の火照りに気付き、ピアス穴がいくつも空いた耳へと今度は熱が移っていくのを自覚する。
 「────っ!!」
 「本当にどうした?」
 ウーヴェの心配そうな声に魚のように口を開閉させることしかできなかったリオンは、咄嗟に水滴が半ば流れ落ちたグラスを掴んでそれを呷る。
 ああ、悔しい。本当に悔しい。
 「・・・・・・くそー、オーヴェのクソッタレ」
 「は?」
 待ち合わせに少し遅れただけでそこまで言われるのかと、ウーヴェの目がドライブ用のサングラスの下で細められるのを見たリオンが手を伸ばし、着崩れが少しだけ起きているウェストコートの裾を軽く引っ張ると、ウーヴェの視線がさらに下がる。
 その瞬間、座っていた椅子から少し腰を浮かせたリオンがウーヴェの唇に触れるだけのキスをする。
 「────!」
 悪戯が成功した子供のような、それにしては色も情も欲も全てを内包しつつも軽いそれに驚いたウーヴェの目が今度は見開かれるが、一瞬で左右の様子を伺った後、浮かせた腰を落ち着かせてふふんと言い出しかねないリオンの顎を人差し指で軽く持ち上げると、見開かれるロイヤルブルーの双眸に楽しいと言いたげに、されたものよりはしっかりとしたキスをする。
 付き合い出した頃などは外で手を繋ぐことも気恥ずかしさからできなかったが、今ではそんな可愛い時もあったと笑い話にできるほどで、外出先での頬や唇へのキスも当たり前のようにするようになっていた。
 そのキスに何か言いかけたリオンだったが、雨空を背負って少し陰になったウーヴェの表情に思わず息を止めそうになる。
 どうして。
 どうして俺の愛するダーリンは、こんなにも綺麗な顔で綺麗な笑顔を浮かべられるのだろうか。
 ああ、悔しいと、その一言だけを口に出すと、綺麗な笑顔に少しだけ意地の悪い色を滲ませる。
 「────雨が降っているのは、太陽がここで休憩をしているから、だな」
 だから、早くそれを飲んでしまってカフェを出よう、そしてお前とのデートを楽しみたいから雨を止ませてくれないか。雨は嫌いではないが晴れている方がもっと好きだ。
 耳元で囁かれる言葉にぞくりと背筋が震えたのを感じたリオンだったが、言われるままにラドラーを飲み干し、小さな笑みを浮かべて立ち上がる。
 「なぁダーリン、今度さ、一緒に踊って?」
 雨の中、街灯相手に踊るあの映画のような軽快なものは無理かも知れないが、互いに支えあいながらゆったりと踊れる曲もあるはずだと、軽い口調でウーヴェをダンスに誘ったリオンは、差し出した掌に同じ熱を持つ手を重ねられて目を瞬かせる。
 「それも良いな」
 二人で歩いて来た道を、二人だけで振り返る様穏やかな、そんなダンスが出来る時が来れば踊ろうかと、誘いを受け入れた顔で頷くウーヴェにじわじわと笑みを顔中に広げてしまう。
 「雨、上がって欲しかったけど、お前と一緒なら降ったままでも良いなぁ」
 「そうだな・・・雨も悪くないな」
 お前の言うように、二人でいれば雨も悪くないとカフェを出た二人は、すぐそばに停めてある車に向かいながら小さく笑い合い、ほぼ同時に空を見上げて雨粒を顔中で受け止めてしまう。
 それがおかしくて二人揃って肩を揺らすが、珍しくウーヴェが運転席に座り、助手席にリオンが乗り込むと同時に、ノットが緩んでいるリオンのネクタイを軽く掴んで顔を引き寄せると、さっきとは比べられないほどしっかりとしたキスをする。
 「────ん」
 「・・・待たせたな、リーオ」
 「大丈夫」
 お前を待つ時間もデートだと、他の人間が言えば揶揄い倒した甘酸っぱい言葉を自然と告げたリオンは、シートベルトを締めて頭の中でずっと流れている歌を口ずさむ。
 「・・・家でその映画を観るか?」
 「良いな、それ」
 雨の中、楽しそうに歌いながら軽快なダンスを見せる映画を見るのも悪くないと笑い、ウーヴェが右手を伸ばしてくすんだ金髪を撫で付けたため、くすぐったそうに首を竦める。
 「早くメシ食ってさ、家に帰ろうぜ」
 「そうだな、そうしようか」
 二人を乗せた車は雨の中予約をしておいた店へと向けて走って行くが、その後、美味しい食事で腹を満たした後、好きな映画を見ながら心を満足させる為に自宅へと戻るのだった。

 

 

 美味しい食事を好きな人と一緒に食べる、それだけでどんなに不味いと言われているものでも美味しく感じてしまう。
 そんな事を密かに実感しつつ満腹になった腹を一つ撫でたリオンは、助手席で余程機嫌が良いのか、シフトレバーに載せた己の手に手を重ねるウーヴェの横顔をちらりと伺い、酒のおかげでほんのり色づく目尻にヤバイと呟いてしまう。
 「ん?」
 「・・・何でもねぇ」
 「そうか?」
 自宅があるアパートの駐車場に車を進ませ、定位置に止めて運転席から軽やかに飛び出したリオンは、当たり前の仕草で助手席のドアを開けてウーヴェが降りる手助けをする。
 己の手を借りる事にも抵抗感がなくなった様子のウーヴェにじわりと嬉しさを感じつつ、雨の中タップダンスをする映画のことを考えていた延長線上にいたため、気分はまるでダンスホールに向かう時の様で、ついついウーヴェをエスコートする様な丁重さで腕を回させる。
 「なんかさ、エスコートしてるみてぇ」
 「そうか?」
 「そう。こんなにもカッコいいダーリンをエスコートできるなんて幸せだなぁ」
 自宅のドアを開けて長い廊下を進みながらリオンが顔をニヤつかせると、ウーヴェが目を瞬かせた後、何かを言いたそうに視線を彷徨わせるが、蒼い双眸と視線が重なった瞬間、リオンが確実に息を止めてしまいそうな笑みを浮かべる。
 「────今頃気付いたのか?」
 「・・・っ!!」
 その言葉が示す意味を察したリオンの顔がわずかに赤くなり、どう返そうかと目を泳がせるものの、素直に認めようと肩を竦めてウーヴェの耳元に口を寄せる。
 「なあ、世界一ハンサムなダーリン、これからもずっとこうしてエスコートさせてくれる?」
 「そうだな・・・太陽を独り占めするのは気持ちがいいからな」
 互いにクスクスと笑いながら囁き合った言葉は、これから先もずっとこうしていようというもので、それに気付いてさらに笑みを深めたウーヴェは、そう言ってくれるのなら、その時が来るまでカッコいい俺でいようかと一つ頷く。
 「・・・お前とラストダンスを踊るその時まで、カッコいい俺でいようか」
 リオンの顔を正面から見つめながら、気負うことはないが必ずその言葉は守ると言いたげな顔で約束と告げるウーヴェにリオンが息を飲んでしまうが、お返しにしてはお釣りがくる様な満面の笑みを浮かべてウーヴェの腰に腕を回して抱き上げる。
 「こらっ!」
 「もちろん!じゃあ俺もかっこいい俺でいる様に頑張るから、俺以外のヤツとダンスはダメ!」
 「暴君君臨だな」
 「ダメなものはダメ」
 だからダーリン、ラストダンスだけではなく、これから先ダンスをする機会があれば一緒に踊ろうと、子どもの顔で誘われればウーヴェに断る術はなく、見下ろす顔を両手で挟んで鼻の頭に小さな音を立ててキスをする。
 「楽しそうだな」
 「Ja!ぜってぇ楽しいって」
 「ああ・・・どうする、リーオ。映画をみるか?」
 それとも、このまま一緒に風呂に入るかと、ピアスが嵌る耳に口を寄せて囁いたウーヴェにリオンがしばらく考え込むが、映画を見た後に一緒に風呂に入ると宣ったため、奇遇だな、俺もそれが良いと思っていたとウーヴェが頷く。
 「じゃあリビングで飲み物とお菓子を用意して映画を見よう」
 「ああ」
 だからこのままリビングに連れて言ってくれと笑うウーヴェにリオンも同じ顔で頷き、歓喜の声を上げながらリビングへと突進するのだった。
 

 

 二人が食事を終えて帰宅した時には小降りになっていた雨だったが、その頃にはすっかりと上がっていて、春の茫洋とした夜空に星が瞬いているのだった。
   


2020.04.02
Singing In The Rain 〜🎶


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