070:セピア色

It’s a Wonderful Life.ーリアムとケイー

 子供達から恐れられるが、その両親や家族からは信頼を得ている小児科医の仕事を終え、愛車に乗り込んで勤務先の病院からリアム・フーバーが帰路に着いたのは、多くの働く人達が家に帰り、一日の疲れを自分なりに癒している頃だった。
 スーパーが開いていれば良いなと思いつつ、病院から自宅の間にあるスーパーの駐車場に車を停めるが、すぐ近く見慣れた車があることに気付き、キーホルダーを指に引っ掛けてくるりと回転させる。
 病院を出る時にスマホに届いた一つのメッセージ。
 そこに書かれていたのは、今から帰ると言う素っ気無い一言だったが、その一言を伝えるまでにどれほどの葛藤があったのかを、その現場を図らずも見てしまった今ではそれだけで十分で、胸ポケットに突っ込んだスマホ本体が熱を持ったような錯覚をしてしまう。
 大学からこの街で暮らし、今の家に引っ越してからは最寄りのスーパーであるために通い慣れている店に入り、顔馴染みの店員に手をあげて挨拶をすると、カートを押して店内を回ると、少し先に見慣れた背中が見える。
 「ケイ!」
 周囲に人がいないのを確かめた後、そっと名を呼ぶと慌てることなく笑顔を少し浮かべて振り返った端正な顔に手を挙げると、その顔から一瞬笑顔が消える。
 「・・・お疲れ」
 「ああ、ケイも」
 顔から笑みが消え声も疲れが滲んだ様な暗さに染まるが、それを物ともせずに更に笑顔でお互いお疲れだなと告げると、同じ職場で働く年上の恋人、慶一朗が手にしていたマンゴーをリアムのカートに置く。
 「・・・明日の朝食べる」
 「他に欲しいのは?」
 あればカートに入れてくれと、ついつい甘やかす様なことを告げ、だからお前は甘いんだと小さく笑われる。
 「甘いかな」
 「大甘じゃないか?」
 ベリー類が纏められている袋をカートに入れつつ小さく笑う慶一朗に嬉しそうに頷いたリアムは、自宅のパントリーを思い浮かべ、買い置きがないと不安になってしまうものが無くなりつつある事を思い出すと、何種類かあるそれを手に取って見比べる。
 「・・・ジャガイモ?」
 「そう。そろそろ買い置きがなくなってきたかなと思って」
 ジャガイモがないと不安になると笑うリアムに、さすがはドイツ人と慶一朗が皮肉げに告げると、リアムの顔から僅かに笑みが引き、それに気付いたのか、慶一朗が咳払いをした後、リアムの腕を一つ撫でる。
 「どのジャガイモを買うんだ?」
 「そうだな、どれにしようかな」
 恋人の皮肉に顔色を一々変えても仕方がないと分かっているが、母国に関する事を揶揄われたり皮肉を言われるとやはり気持ち良いものではなかった。
 それに気付いて詫びるのではなく腕を撫でられただけでその嫌な気持ちが薄らいだことにリアムが口調を変えると、慶一朗の色素の薄い双眸に安堵の色が浮かぶ。
 「そういえば、ケイのお祖母さんもドイツ人だろう?」
 一緒に暮らしていたと聞いたが食事はどうだったと問われ、小首を傾げた慶一朗が記憶にないと呟くと、小さな頃何を食べていたのか覚えていないのかとつい盛大に驚いてしまう。
 リアムは母国ドイツに両親と祖父母が健在で、クリスマスやイースター、感謝祭などにカードを送ったり電話で話をしたりするのだが、己の恋人は特殊な家庭事情により、幼い頃はネグレクトと疑われてもおかしくない生活をしていたのだ。
 その為、国は違っていても変わらないはずの日常生活がリアムの想像から掛け離れている事を知ったのは、付き合い出して間も無くの頃だった。
 その事を思い出し、ああ、と納得しかけた事を伝えようとするが、慶一朗の口元にあまり見たくない笑みが浮かび、俺が覚えているのは中学の寮で総一朗が作ってくれたインスタントラーメンの味だと笑った為、グッと拳を握ったリアムは、周囲を見回して他人の気配がない事を確かめると、素早く掠める様なキスをする。
 「────!!」
 「ここにきて美味しかったものは何かあるか?」
 すでに離れて何年が経過するのかも忘れつつある日本での食事の事よりも、俺と出会ってから食べたものの中で何が美味しかったか教えてくれとドイツ語で笑いかければ慶一朗が手の甲で唇を抑えて上目遣いに睨んできた為、今ここでその顔をするなと呟くと、腹に拳がぶつけられる。
 「いて」
 「うるさい」
 外で不意打ちにキスをするなと、目元を赤らめながら言い放った慶一朗は、シリアルがないから買ってくれ、ヨーグルトも食べると言い残すと、スタスタと歩いて行ってしまう。
 照れているのかそれとも機嫌を損ねたのかと一瞬危惧するリアムだったが、少し先のショーケースの陰から見えた顔からは不機嫌さを感じ取ることはなく、単に照れているだけだと気付くと、命じられた通りシリアルとヨーグルトをカートに入れる為に移動しようとするが忘れてはならないジャガイモをカートに入れ、少し先であらぬ方を見ながら動かない背中にクスリと笑みをこぼし、あまり待たせるのも良くないからとカートを足早に押すのだった。
 

 

 二人が借りている部屋は、同じフラットの同じフロアの隣同士だった為、どちらかの家で食事をし朝を迎えることが多く、今夜は慶一朗の部屋で映画でも見ながら食事をすることが決まり、リアムがマンゴーやシリアルやらを抱えて慶一朗の部屋にやってくる。
 同じ間取りの3LDKの部屋の為に分かっているキッチンで食事の準備を始めたリアムの側に慶一朗がやってくるが、ジャガイモを使うのかと問いかけ、今夜はパンがあるから少な目に使うと答えれば、二つくれと、作業台に置いた袋からジャガイモを取り出し、水洗いをした後、ラップでそれを包む。
 「何をするんだ?」
 「俺が出来る料理というのも恥ずかしい料理だな」
 お前が作ってくれるものに比べればこんなものは料理とは言わない、ただの調理だと笑う慶一朗に一つ頷いたリアムは、電子レンジにジャガイモを放り込み、時間をセットすると冷蔵庫からビールを取り出してそちらも自然な動作でプルタブを開ける恋人の動きを目で追いかけてしまう。
 「飲むか?」
 「飲む」
 差し出された缶を掴む手の上から握りしめて驚く目に片目を閉じたリアムは、そのままビールを一口飲み、チキンソテーで良いかと逆に問いかける。
 「チキンソテー?」
 「そう。早く食わないといけないのを忘れてた」
 だからチキンソテーにするが、好きじゃないなら白身魚を焼くと、フライパンを出して準備を始める横で、シンクに腰を預けてリアムの作業を慶一朗が見守る。
 料理に関しては、得意な人がすればいい、苦手を克服するつもりはないと断言する慶一朗の為、手伝ったとしても邪魔になることは理解していて、その代わりに後片付けは手伝うと苦笑交じりに伝えると、リアムが顔を振り向けて気にする必要はないのにと言いたげに肩を竦める。
 「甘やかしすぎじゃないか?」
 「良いんだ」
 今までの彼女にそんな感情を覚えたことはないが、何故かケイには全てしてあげたくなると笑うと、慶一朗の顔が曇る。
 「俺が何も出来ないガキだとでも?」
 「まさか!逆にケイには何もして欲しくない感じかな」
 手助けが必要な子供というのではなく、あなただから何もしないでそこにいて欲しいんだと、少しの照れを表す様に口早に告げると、慶一朗の顔が一瞬で真っ赤になり、腰に拳が一つ叩き込まれる。
 「痛いな」
 「・・・総一朗もお前も俺に甘い」
 「兄貴と同じくらい甘い?」
 「ああ」
 腰に拳を押し当てつつついでに肩にも額を押し当てた慶一朗がくぐもった声で甘いと呟くと、これぐらい気にならないからなぁと暢気な声を上げ、チキンを焼くから少し離れてくれと腕をポンと叩く。
 「・・・腹が減った」
 「なるべく早く作るから待っててくれ」
 子供扱いをしないと言っておきながら、まるで子供をあやす様に額にキスをする恋人を睨みつけた慶一朗だったが、ビールを飲みながら待っていると再度腰に拳を叩き込み、お前と知り合ってから好きになった料理は、お前が作る料理すべてだと片手を上げて言い放つと、驚いて振り返るリアムの顔を見ることなくリビングに向かい、己の言葉を守る様にソファに座ってビールを飲みながら興味をあまり惹かれないテレビのチャンネルをぽちぽちと変更するのだった。

 

 とても手早く作ったとは思えない絶品のチキンと、慶一朗がレンジで加熱した後にアルミホイルで包んでトースターで更に温めたジャガイモにバターを乗せた、いわゆるじゃがバターとビールを夕食にした二人は、食べ終えて後片付けを食洗機に任せてリビングのソファでテレビを見ていた。
 何となく流しているだけのテレビだったが、料理番組が始まり、オーストラリアの自然豊かな農場の片隅でバーベキューを始める料理家と、それを楽しみにしている農場の人達の様子をビールを飲みながら二人並んで見ていた。
 「ケイ、さっきのジャガイモだけど、また作ってくれないか?」
 「あれで良ければいつでも作るぞ」
 こんな食べ方もあるのかと素直に感心するリアムに、何か凄く恥ずかしい気がするからあまり褒めるなとつい睨みつける。
 「あれはオーマの家でどうしてもお腹が空いた時に自分で作っていたものだ」
 いつも出された食事は一日に一度か二度だけで、オートミールにヨーグルトだけだったりした為、あの家での料理の記憶などほとんどないと笑う慶一朗にリアムが軽く目を見張り、今では遠い昔の出来事だから全てがセピア色の向こうの世界だと笑われ、そっと伸ばした手で前髪を搔き上げると、お前は本当に優しいと言いたげに目を細められる。
 慶一朗がオーマと呼ぶ祖母の家での暮らしは耳を疑いたくなる程のもので、最低限健康であれば良いという理由から、食事量も同年代の子供より少なく、お菓子やケーキなどもほとんど食べたことがなかったと教えられたことがあったが、このジャガイモの食べ方は大丈夫だったのかと問いかけつつ細い肩を抱くと、いつもなら抵抗するはずなのに素直に寄りかかってくる。
 「レンジで温めるだけだからな」
 オーブンで焼けば更に美味くなることを教えてくれたのは総一朗だと告げ、幼い頃にある意味命を救ったジャガイモ料理を思い浮かべたらしい慶一朗に、だからオートミールは嫌いだとも告白されてあれは俺も嫌いだから安心しろと返すと、明日の朝はマンゴーとシリアルにしようと肩の辺りから優しい声が返ってくる。
 「・・・ケイ?」
 その聞こえてきた声から睡魔との戦いに赴いている様に思え、伏せられた顔を覗き込めば、薄い色素の目は閉じられていて、口からは穏やかな寝息が流れ出していた。
 「ケイ、シャワーをしないのか?」
 「・・・・・・朝で、良い」
 「そうか」
 どうやら睡魔に負けてしまった様で、最後の力を振り絞った声が呟いた後、肩に寄りかかる恋人の重さが増してしまう。
 痩身の慶一朗をベッドに運ぶぐらい体を鍛えているリアムにとっては何ら苦痛では無い上に、甘えてくれている証拠だとも気づいている為、髪にキスをした後、テレビを消して掛け声一つで慶一朗を抱き上げると、寝惚けているからか慶一朗がリアムの頭を抱きしめる様に腕を回す。
 「・・・・・・帰るな」
 いくら部屋が隣同士とはいえ、今夜は隣の部屋に帰るのではなく泊まって帰れと、睡魔に操られている様な声が耳元で小さく響き、返事の代わりにその背中を撫でると、嬉しそうなため息が一つこぼれ落ちる。
 薄暗いベッドルームのドアを開けてベッドに慶一朗を寝かせたリアムは、少し待っていてくれと告げて慌しくベッドルームを出て行き、程なくして戻ってくると、慶一朗の隣に潜り込み、自然と身を寄せてくる恋人の背中を抱きしめつつ欠伸をするのだった。
 辛い過去をセピア色の向こうの世界に押しやり、今を生きている恋人がそれに飲み込まなければ良いと夢の入口で呟いたリアムは、母国語のありがとうという言葉を聞いた気がしたが、それを確かめる余裕は無いのだった。

 

2021.01.11
じゃがバターは、何とか作れる様です(笑)それにしても、リアムが甘い!上げ膳据え膳どころか、下にも置きたくないと思ってそうです(・・;)


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