067:切り札

Uwe&Lion

 その日、自宅リビングのソファに腹這いになって雑誌を読んでいたウーヴェは、すぐ傍に置いた携帯が映画音楽を流したことに気付いて耳に宛がうが、聞こえてきた声がまるで地の底を這うような低さと暗さを伴っていたことに気付いて眉を寄せる。
 『・・・・・・・・・今、終わったから帰る』
 「ああ。お疲れ様」
 『・・・・・・・・・今日の晩飯、何にしたんだ?』
 ウーヴェの労いの言葉にすらロクに返事が出来ない程疲れているようで、今日の晩ご飯は美味しそうな米が手に入ったからチーズリゾットを作ったと、ある期待を込めて告げると、伝わってくる声にほんの少しだけ明るさが混ざる。
 『チーズいっぱい入れてくれよ、オーヴェ』
 「もちろん。色んなチーズを買ってきてある。好きなチーズを好きなだけ食べればいい」
 『ん、ダンケ』
 身体が疲れているのならば美味しいものを食べてシャワーを浴びてぐっすり眠ればいいし、心が疲れているのならば一緒にいるから早く帰って来いと告げながらソファから身体を起こすと、暖炉の上にいつも置いているリザードのキーホルダーが着いたスパイダーのキーを手に取る。
 「迎えに行こうか?」
 『・・・ダン。でも平気だから待っててくれねぇか?』
 迎えに行こうかと言葉を掛けても滅多なことでは来てくれとは言わないリオンだった為にさり気なく告げてみたウーヴェだが、やはり迎えに来る必要はないと言われて苦笑し、更に家で待っていて欲しいと言われて口を閉ざす。
 『もうすぐ帰るからさ、待っててくれよ、オーヴェ』
 迎えに来てもらってもスパイダーの車内じゃお疲れ様のハグもキスも出来ないと、まだまだ沈んだ声で懇願されてしまえばウーヴェにはそれ以上何も言えず、ならば望んでいるハグとキスをすぐにする為に早く帰って来いとだけ伝える。
 『ダン』
 「ああ。チーズリゾットをすぐに食べられるようにもしておいてやる」
 だからあと少しだけ頑張れと励まして通話を終えたウーヴェは、すぐに帰って来るであろうリオンを出迎える準備を完璧にしておこうと決め、読んでいた雑誌には見向きもせずにキッチンに向かい、チーズリゾットと分厚いハムを用意して帰りを待つが、電話を通じて聞こえてきた声に滲んだ疲労が心身のどちらを根源としているのかを考えながらリビングに戻り、コーヒーテーブルの中央に置かれているチョコ専用ケースからビターチョコを手にキッチンに戻るのだった。

 

 今帰って来たと玄関の呼び鈴で伝えたリオンは、程なくしてドアが自分を招き入れる為に内側に開いたことに自然と溜息を吐く。
 「・・・・・・ハロ、オーヴェ」
 「お疲れ様、お帰り、リーオ」
 俯き加減に帰って来たことを短く伝えたリオンの頭を抱き寄せ、冷えている髪に労いの口付けをしたウーヴェは、ゆっくりと持ち上がった手が背中に回った事に気付いて今度はリオンの腰に腕を回す。
 肩にリオンの頭が預けられる重みをしっかりと支え、背中を撫でてお疲れ様ともう一度労うと、ようやく安堵したのか、幼子が眠りに落ちる直前に零すような小さな溜息が肩にこぼれ落ちる。
 「・・・チーズリゾットがあるぞ。お代わりをしてもまだ余るぐらいある」
 「へぇ・・・すげー楽しみ」
 「今日は美味しいハムをベルトランに貰ったからそれも焼こうか」
 「リゾットにも入れて欲しい」
 「うん?リゾットにはベーコンが入ってるぞ」
 じゃあそれを食べると呟くリオンだったが、ウーヴェの肩に頭を預けたまま動こうとしない為、ウーヴェが言葉ではなく腰をぽんと叩いてキッチンに移動しようと伝えてようやく一歩を踏み出す。
 「ベーコン入ってるんだ」
 「ああ」
 二人互いの腰に腕を回してキッチンへに入ったあと、リオンは壁際のテーブルに寄り掛かり、ウーヴェはそんなリオンの為にチーズリゾットを暖め、分厚く切ったハムを焼き始める。
 「・・・・・・美味そう」
 「ああ」
 コンロの前で作業をするウーヴェの背後から覗き込んだリオンは、その姿勢のままウーヴェの肩に今度は顎を預けて溜息を零した後にチーズが美味しそうだと笑う。
 その小さな笑い声にウーヴェが自然と目を細めて笑えるだけの力が戻って来たことを察すると、リゾットとハムを食べればお楽しみのデザートがあると告げ、焼き上がったハムを皿の代わりにもなる小さなまな板に載せて背後のリオンに差し出すと、恭しく受け取ったリオンがテーブルに無造作に置いてそのまま椅子に座った為、リゾットの器を手にウーヴェがリオンの横に腰を下ろす。
 「どうぞ召し上がれ」
 「・・・・・・ダンケ、オーヴェ」
 いつもならば目を輝かせて嬉々として料理に飛びつくリオンだが、今夜はそんな気持ちになれないほど疲れているのか、小さく笑みを浮かべただけで食べ始めた為、ウーヴェの瞳が心配に曇る。
 「なあ、リオン」
 「んー?」
 食べているところを悪いが、今日は随分と疲れているみたいだなと問いかけて指にリオンのブロンドを絡めると、ハムを切っていたナイフの手が止まり、そのままウーヴェの方へと身体が傾いてくる。
 「ちょっと・・・疲れたなぁ」
 「そうか。お疲れ様」
 甘えるように寄り掛かってくるリオンの髪を撫で、そんな疲れているリオンの為にデザートを作るから今はそれを食べてしまえと告げて撫でた髪にキスをしたウーヴェは、視線でウーヴェの言葉の真意を探ろうとするリオンに片目を閉じるとその言葉に従う様にリオンが食事を再開する。
 去年の夏以降にこのように甘えるような言動を見せるようになったが、そうなった理由を探れば胸が痛む事件を思い出してしまう為、いつもの元気を取り戻す為の通過儀礼なんだと受け入れ、前を向いて歩き出す為の一歩を踏み出す力になれればいいと願っていたウーヴェは、いつもよりは鈍い動作ながらもしっかりとリゾットやハムを食べるリオンに安堵し、ビターチョコを小気味良い音をさせながら割ってマグカップにその欠片を入れる。
 「オーヴェ、何してんだ?」
 「今日も頑張ってきたご褒美だな」
 「?」
 最後の一切れを食べ終えて満足そうに腹を撫でたリオンがウーヴェに問いかけた時、ミルクパンで暖めたミルクをマグカップに注いでいる所で、背後の問いかけに声だけで答えてマグカップ片手にリオンの横に戻るとそれをそっと差し出す。
 リオンの前に出されたのは湯気を立てるミルクと渦を巻く褐色の液体で、何だと瞬きをするリオンにホットチョコだと笑うと、心身の疲労が滲んでいた蒼い瞳がきらりと光る。
 「ミルクにチョコを入れただけだからホットチョコじゃないな」
 「美味そう」
 どうぞ召し上がれと、再度掌を向けるとリオンがマグカップを両手で掴んで息を吹きかけ、一口飲んで優しい甘さと少しの苦みを感じているように目を伏せるが、一口目のそれが胃袋に収まるが早いか、もう一口とカップを傾ける。
 「・・・・・・美味いなぁ」
 「そうか?」
 美味いと、ただその一言を繰り返すリオンを見守るウーヴェだが、その横顔がまだ暗く沈んだままであることに目を細め、早く笑顔を取り戻してくれと願って一度目を閉じる。
 「リーオ」
 突然名前を呼ばれて目を丸くしたリオンの頬を撫で、労いと笑顔を取り戻してくれとの思いを込めて額にキスをすると、リオンの丸かった目が更に大きく見開かれるが、次いでくすぐったそうに顔をくしゃくしゃにして首を竦める。
 「くすぐってぇ、オーヴェ」
 「疲れて帰って来ても構わない。でも、少しでも元気が戻って来たら笑ってくれ」
 やはりお前にはいつも笑っていて欲しいと、小さく笑うリオンの前髪を掻き上げてもう一度額にキスをしてマグカップのミルクチョコを飲めと促すと、笑って飲めないからベッドルームに持って行って飲みたいと片目を閉じられ、さすがにそこまで甘やかすつもりがないウーヴェが腕を組むと、リオンが上目遣いに見つめてくる。
 「オーヴェ」
 「・・・・・・・・・仕方がないな」
 仕方がない、本当にそう思っている風を装いつつリオンの手からマグカップを取り上げると、リオンがテーブルの上の食器を大慌てで食洗機に放り込んでウーヴェの横に戻って来る。
 「今日だけだぞ」
 「はいはい」
 ウーヴェの言葉にリオンもいい加減な返事をしつつも、その腕はしっかりとウーヴェの腰に回されていて、どちらも言葉だけの不満やいい加減なやり取りで、その心は別であることを理解していると伝えるのだった。

 

 ウーヴェに許しを貰ってベッドの中で飲んだミルクチョコがリオンに与えたのは、一日の疲れを労う優しい気持ちと明日への力と笑顔を取り戻す力だったが、満足そうに溜息を零して眠りに落ちるまでリオンの髪を撫でていたウーヴェは、思いつきで作ったミルクチョコがリオンにとっては意外なほどの回復力をもたらしたことに気付き、今後もしもリオンの心が疲労困憊していて、自分たちが望む笑顔を喪い掛けている時の切り札として利用しようと目を閉じるのだった。

 

2013.3.13-4.21までwebclapとして公開


Page Top