大切な家族であるゾフィーを喪ってから表立っていたり隠されていたりするもののどうやら心境の変化が多大にあったらしいリオンが、そろそろ初夏を迎えようとするある日の朝、トーストしたライ麦パンに温めて溶かしたチーズを落とさないように載せつつ宣った。
「オーヴェ、プチ贅沢してみてぇ」
「は?」
リオンが望む朝食を仕上げる為にフライパンを握っていたウーヴェが背後から聞こえてきた言葉に顔を振り向け、スクランブルエッグが焦げると悲壮な声で注意を促されて慌てて顔を戻しながら、もう一度言ってくれと苦笑する。
「贅沢まではいかねぇけど、プチ贅沢ってのをしてみてぇ」
「・・・・・・・・・何について贅沢をしたいんだ?」
そもそもお前の中で贅沢とされる基準は一体何だと苦笑を深めつつスクランブルエッグを皿に盛りつけ、古来より昼の鐘は聞かせるなと言われるソーセージをボイルしている鍋ごとテーブルに置くと、何が贅沢なんだろうと逆に問い返される。
「俺が聞いているんだ、リーオ」
「んー・・・改めて考えてみりゃあ今の暮らしは贅沢だもんなぁ」
二人で暮らしても有り余る部屋がある家での暮らしや、こうして朝からとっておきの朝食を毎日のように食べさせてくれる人がいる今が贅沢なんだと高い天井を見上げて呟いたリオンは、頬にキスをされて着席を促されていることに気付いて椅子を引き、二つのマグカップをコーヒーで満たしながら何が贅沢だろうともう一度呟く。
「じゃあさ、質問。オーヴェは何が贅沢だと思う?」
「うん?そうだな・・・・・・」
何が一体贅沢なんだと問われると確かに即答できないことに苦笑したウーヴェが出した答えは、やや哲学的な回答だった。
「こうしていられること、か?」
その短い一言に込められた膨大な思いは以前のリオンならば薄々としか感じられなかっただろうが、ウーヴェと付き合いだして喜怒哀楽のすべてと心の裡のすべてをさらけ出さなければ一緒にいられない出来事を乗り越えた今ならば、哲学的なものであろうが何であろうがその思いに共感出来る為、二人で並んで腰を下ろす小さなテーブルとその上に乗る朝食が五つ星のホテルやレストランで食べるものと同等の価値を持つように感じてしまう。
「・・・・・・・・・そっか」
「ああ。で、お前はどうなんだ?」
「ん?んー、オーヴェと同じだけど・・・あ、分かった」
「何だ?」
今日も今日とて絶品のスクランブルエッグにフォークを突き立てるとウーヴェが眉を顰めるが、これが贅沢ならばプチ贅沢は高級ホテルで朝食かなと笑うとウーヴェも確かにそれはプチ贅沢だと笑う。
「だよな。────決定!」
「うん?」
ナイフとフォークを握りしめて決定と宣言するリオンの横顔を見つめたウーヴェの脳裏にはある言葉が浮かんでいたが、予想通りのそれが流れ出したことに肩を竦めると、不安な目で見つめられて首を左右に振る。
「そうじゃない、リーオ。お前の言うプチ贅沢は朝食だけなのか?」
「へ?あー、うん、そのホテルで一泊して朝飯食っていつものように仕事に行くって最高に贅沢だなぁって思ったらさ、宿泊は良いから朝飯だけでも良いなーって」
泊まってしまえばプチではないただの贅沢になると力説する気持ちが理解出来る様な出来ないような不思議な感覚に陥ったウーヴェだったが、確かに朝食だけを高級ホテルで食べていつものように出勤するのも良いかもしれないと頷く。
「ホテルはどこが良い?」
朝食がミシュランガイドで星を取得しているホテルもあるし、二人の職場に程近いホテルもあるとウーヴェがいくつか思い当たるホテルを並べ上げると、リオンが感心したような声を出す。
「俺、ホテルって言われたらセフレと遊ぶ時に使った安いボロっちぃのしか知らねぇ」
「こら」
「や、もう時効だって!今セフレなんていねぇし!」
お前と付き合いだしてからセフレとは手を切ったと大げさな態度で示すリオンを一睨みしたウーヴェは、朝食を贅沢にしたいのならばマンダリンにしようかと告げてリオンの頭を何度も上下に振らせることに成功する。
「一度で良いから泊まってみたいんだよな、そのホテル」
「職場にも近いし、今度はプチじゃなくて本当の贅沢で泊まってみても良いかもしれないな」
きっと、二人で一緒にいられる時間が贅沢なのだから、何処にいても二人でいればそれは贅沢になるだろうと笑うウーヴェにリオンも笑い、二人が取得する夏の休暇は分散している為に今回はまず高級ホテルに宿泊して贅沢をし、秋の訪れとウーヴェにとっては過去からの声を伝えてくれるヴィーズンの始まりに合わせて取得する休暇は何処かに旅行でもしようと提案をする。
「そうだな・・・それも良いな」
「じゃあ決定」
近いうちにホテルの朝食を食べに行こうと笑い、今は目の前にある朝食を食べようとチーズを載せたライ麦パンを頬張るのだった。
リオンがプチ贅沢をしたいと宣った数日後、その願いを叶えたウーヴェは、目を輝かせて己が提案したことを実行するリオンを笑顔で見守っていた。
そして、プチ贅沢と銘打った割には本格的な贅沢になった朝食を終え、食後のコーヒーで心身の空腹を満たした二人は、支払いを済ませてお互いの職場に向かう為にホテルの前で恒例の儀式のようなキスを手の甲に交わしあう。
生きていることが辛くなるような出来事を互いの手を取ることで乗り越えてきたが、その手を敬う最大限の表現として手の甲へのキスをするようになっていた。
互いの手の甲へのキスを終え、今日も一日頑張って働くことを確かめ合った二人は、通り過ぎる人達が奇異の目を向けたり嫌悪の目を向けたり、また無関心を装って受け入れてくれる視線に気付いて苦笑するが、リオンが大きく伸びをして今日も一日働く気力を受け取ったと告げて拳を晴れ渡る空に向けて突き上げ、ウーヴェも同意を示すように僅かに目を伏せる。
「な、オーヴェ、もう一回ここに来ようぜ」
「もう一回などと言わずに気に入ったのならいくらでも来れば良いだろう?」
プチ贅沢が一度だけである必要はないはずだし、気に入ったのであれば定期的に来れば良いと提案をしたウーヴェにリオンが満面の笑みを浮かべ、一ヶ月か二ヶ月に一度ここに来たいと提案を返す。
「ああ。そうしようか」
お前が来たいと思うのならばそうしようと、ひっそりとした声でだが、その約束が必ず果たされることを感じさせる声で返して頷いたウーヴェは、リオンが嬉しそうに鼻の頭を掻いた手を掴んでもう一度キスをする。
「オーヴェ・・・」
「行って来い、リーオ」
今日もこの手で悲しみや困難に暮れる人達を助けてこいと囁き、お前もと短く返されて頷いたウーヴェは、手を挙げて己の職場に足を向けたリオンの背中を見送り、その背中が見えなくなると同時に己も自らの戦場であるクリニックに向けて歩いて行くのだった。
2013.05.27-06.23までwebclapお礼として掲載


