063:星明り

リアム&慶一朗

 頭上を通るこの街のシンボルとも言えるハーバーブリッジを振り仰ぎ、煌々と灯される明かりの向こうに見えている筈の、名も知らない星々を見透かそうとするが、人工の明かりが強すぎて、何も見えないことに溜息を一つ零すと、停車中の車のドアを開けて長い足を外に突き出していた恋人が振り返る。
 「どうした?」
 「・・・・・・星が見えない」
 この場所で当たり前だろうが、無性に腹が立つと、滅多に出さないと言われる本音をため息の代わりに零すと、運転席から降り立った恋人が、助手席側に回り込んでドアを開ける。
 「確かにここじゃあ星は見えないな」
 「・・・大阪も似たようなものだけどな」
 大阪市内も高層ビルやマンションの明かりのせいで中々星明りを実感する事が出来ないと、己と同じ顔を脳裏に思い浮かべながら呟くと、頬を指の背で撫でられる。
 それが慰めの行為だと気付いたのは、付き合い出してすぐの頃だったが、こんな風に己に触れてくるのが、今目の前でまるで忠実な番犬のように小首を傾げている恋人を除けば、先程脳裏に浮かべた顔の持ち主とその恋人ぐらいだった。
 その二人と離れてどのくらい経つだろうかと、この街で医師として働くことになった日を思い出し、顔を見る事が出来ないのならば声だけでも聞きたいと胸中で呟いた時、ホームシックにかかったのかと問われて脳味噌の中を覗かれた気がし、思わず声の主を睨んでしまう。
 「兄が天文学者だって言ってなかったか?」
 だからホームシックにかかった事を証明するように星が見たいんじゃないのかと、からかっている色など一切ない真面目な声に問われて言葉に詰まってしまう。
 ここで素直に頷くことなど矜持が許さず、どうだろうなと、全く役に立っていない言葉で視線を躱そうとするが、頬を撫でた指が今度は己の手を掴んで曲げられていた指を開いていく。
 「・・・ケイ」
 「なんだ」
 「星を見るんだったら家に帰らないか?」
 俺たちが住むユニットはここに比べれば街灯も少なく、ベランダに置いたチェアから空を見る事ができる筈だと、己の手をおもちゃのように撫でたり握ったりしていたが、その手を止めてじっと見上げてくるヘーゼルの双眸には他の思惑も浮かんでいて、それに気付いたがどうしようかと瞬間悩むものの、1日の仕事が終わった後、ついふらりとここにやってきたが、確かに恋人の言うように星を見たいのであれば自宅に戻れば良かった。
 自宅から徒歩10分程度の所には大きな公園もあり、本気で星を見たいのならばそちらに行けば良かった。
 ただ、星明りも遮ってしまう人工の明かりに浮かび上がるハーバーブリッジと、その明かりを反射する水面の光景が、何をやっていてもざわめく心を少しだけ鎮めてくれるのだ。
 だが、じっと見上げてくる恋人の整った顔を見ていると、そのざわめきもまるで船が通り過ぎた後の水面のように鎮まったことに気付き、一度左右を見回し、周囲に視線がない事を確かめた後、端正な顔を手招きして伸び上がらせると、疑問に傾げられる頬を両手で挟んで掠めるようなキスをする。
 「────家に帰るぞ」
 「うん、帰ろう。星を見てもいいし・・・」
 気が変わったのならベッドの中で眠りに落ちる前に見てもいいと、キスをされた嬉しさに唇の両端を持ち上げた恋人が耳元に口を寄せて囁く。
 「・・・ルナ・パークの顔に聞かれるぞ?」
 「それは嫌だな」
 今車を止めている場所から見える、対岸にある遊園地のシンボルでもある大きな顔、それに聞こえてもいいのかと、くすくす笑いながら囁くと、心底嫌だと言いたげに顔をしかめながら立ち上がり、運転席に回り込んで勢い良くドアを閉める。
 「うるさい」
 「急いでいるから仕方がない」
 ルナ・パークの顔に話を聞かれたり追いかけられたりするのは嫌だと笑い、エンジンをかけた後、シートベルトに手を伸ばそうとするが、不意に視界が翳った事に気付いて目を丸くする。
 ほどなくして、先ほど己がしたのと同じ掠めるようなキスが一つ薄く開いた唇に落とされ、帰ってビールを飲もうと額と額が重なり合う。
 こんな風にスキンシップを取ることを許す相手も日本に残してきた気難しいと思われている双子の兄とそのパートナーだけだった為、どのような顔をすればいいか分からずに眉を寄せてしまうが、きっと望んでいるのはそんな顔ではないだろうと気付くものの、それを素直に出すことも出来ず、ただぶっきらぼうに帰るぞと告げると、少しだけ淋しそうに笑った恋人が姿勢を戻してステアリングを握る。
 恋人なのだから手を繋ぐことも肩や腰を抱き合うこともおかしなことではないが、余程気分が乗らないとそれが出来ないことを内心自嘲し呆れそうになるものの、ゆっくりと動き出した車を運転する横顔へ何気無く目を向けると、そこには真剣さと楽しさをブレンドした恋人の顔があり、一緒にいるだけで優しい言葉一つも言えないのにそんな顔をしてくれるのかと思い至り、再度小さく溜息を零すと、それに気付いたヘーゼルの瞳だけがこちらを向く。
 「────リアム」
 「どうした?」
 「・・・帰ったら、一緒に星を見よう」
 その言葉を伝えるのが精一杯で、吐き捨てるように告げた後、窓を開けて肘をついて頬づえをつくと、楽しそうな嬉しそうな小さな笑い声が一つ車内に零れ落ち、運転席から伸びてきた手が柔らかな髪に差し入れられて撫でて行く。
 頭を撫でられるなど、物心ついたときにはすでに経験はなく、慣れないそれに鼓動を早めると、早く帰ろうと歌うような声が運転席から流れてくる。
 「ああ、早く帰ろう」
 そして、撮り貯めている二人が大好きなドクターとその助手の活躍のドラマを観ようと笑い、星明かりを満喫するのはもう少し後になりそうだなとも笑うのだった。
 帰路に就く二人が乗った車を、対岸から大きな顔が見守っているのだった。


2020.11.20
リアムと慶一朗のお話、シドニー編。こんな雰囲気なんですね。(え?)


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