日中は夏の暑さが気になり始めるが、日が沈むと過ごしやすくなる11月のある金曜日の夜。
ハロウィンのオレンジと紫からクリスマスの赤と緑に街が変化したことから月が変わったことに気付いたのは、仕事一辺倒ではないが、それでも何故か最近の忙しさは尋常じゃないと、身体に蓄積する疲労から溜息の回数が増えていた杠慶一朗だった。
その隣には逞しい腕を組んで、時々指先を腕から覗かせてはぴこぴこと動かしていることから、視線が合った子供の相手をしているのだと慶一朗に理解させていたリアム・フーバーがいて、今日は珍しく電車でシドニー市内の行きつけのパブに向かっていた。
パブでの食事だけなら車でも問題無かったが、その後友人が経営しているクラブに遊びに出かけ、約束の月に一度のナイトライフを満喫することにしていたのだ。
だから電車に乗っているのだが、揺れる電車の中でリアムが慶一朗に少し顔を寄せて一言二言囁くと、そちらへと慶一朗が顔を向け、ほんの少しだけ唇の端を持ち上げる。
それだけでもリアムにとっては嬉しいことなのか、隣から伝わる気配に優しさが増した気がし、リアムが座っている席の斜め前あたりから子供の楽しそうな笑い声が小さく聞こえて来る。
さすがは小児科医、子供の相手はお手のものだなと少しの皮肉を込めた呟くと、大きな子供の相手も得意だぞと笑みを浮かべられ、誰が大きな子供だと憤慨したくなるものの、仕事を離れた日常生活では間違いなく己は今リアムが相手にしている子供と同じくらい何も出来ない事を思い出し、大きな子供で悪かったなと頬杖を付いて窓の外へと顔を向ける。
「・・・すぐ拗ねる所も、だよなぁ」
そんな声が聞こえてきそうな顔が窓に映り込み、図星を突かれた腹立たしさを解消する為に鍛えられている脇腹に一つ拳を叩き込む。
「痛いなぁ」
「うるさい」
鍛えている体を殴ったこちらの手の方が痛いと、手をひらひらと振りながら憎たらしげな顔で小さく舌を出した慶一朗だったが、気分を切り替えようと腹が減ったと小さく笑う。
「そうだな、今日は何を食べる?」
「・・・何でも良い」
リアムの楽しそうな声に同じ温度で返せなかった慶一朗だったが、その理由を理解している為か、愛嬌のある男前と慶一朗が褒める顔にじわじわと笑みが浮かぶ。
「ビールがあればそれで良い」
素直じゃない事を言うとここでもしリアムが返そうものなら、今夜は一緒にではなく一人でクラブで踊り狂うことが簡単に予想できる為、そうだなと軽く返すが、どうして店で金を取るのにお前の料理ほど美味くないんだと不満そうに呟かれる声に驚いて端正な顔を見れば、窓に反射する顔が本気の不満に歪んでいることに気付く。
ストレートな言葉として料理を褒めるわけではない慶一朗の性格も、そろそろリアムは理解し始めている為、感謝の思いを込めて小さくダンケと礼を言う。
「・・・ルカに会えるのが楽しみだな」
リアムの礼の言葉の意味を受け止め変化球で返した慶一朗は、パブの最寄駅に着くまでそれ以上口を開かなかったが、機嫌が悪くなったわけではない事を教えるように爪先でリズミカルに電車の床を叩き、それに気付いたリアムもまた少し前のシートで不機嫌そうに顔を歪める子供を発見し、手を使ってその事コンタクトを取り、程なくして子供の小さな笑い声を発生させるのだった。
行きつけのパブは名前をリトル・シスターと言い、パブの上層階には部屋数は少ないが宿泊できるホテルもあった。
そもそもは慶一朗がこの店を発見したのだが、リアムと付き合いだしてからは二人で来ることが増え、オーナー兼料理人のヒースとリズことエリザベスの料理を楽しみにしていた。
同僚達と飲みに行く店はまた他にあり、ここは月に一度のナイトライフの起点となる店で、店の奥まった席がいつも用意されていた。
今日も二人で肩を並べ、店に辿り着くまでの間リアムが話題を振って慶一朗がそれに答えるを繰り返しながら歩いていたが、店に入るといつもの笑顔でヒースが出迎えてくれる。
「よく来たなぁ、ケイ、リアム!」
「こんばんはヒース。リズも元気か?」
笑顔の出迎えに慶一朗が少し照れたような笑みを浮かべてヒースの料理人の手を握るが、その奥ではスラリとしたモデルよのうなエリザベスがはぁいと片目を閉じてキスを投げてくる。
二人同時にそれを受け止めてニヤリと笑い、今日のオススメは何だと聞きながら席へ向かう。
ここのパブはデザートまで楽しめる店で、ランチもディナーもどちらも評判だった。
リアムの実家も同じような雰囲気だと初めて訪れた時に懐かしそうに呟いていたのを思い出した慶一朗は、料理の味も何となく似ているとも教えられてふとした疑問に首を傾げそうになる。
ヒースとリアムが作る料理の味が似ているのにどうして美味しさに差がつくのだろうか。
これが料理人の個性なのか、それとも食材の新鮮さの違いなのかとぼんやりと考えつついつものテーブルに座ると、リアムが飲み物を先に買ってくると残してカウンターへと向かう。
こうした、まるでレディーファーストのような扱いはリアムと付き合いだしてから経験する事で、戸惑いと羞恥と少しの理解出来ない感情を覚えてしまうのだが、そんな事をしなくても良いと言っても、好きでやっている事だと返されて何も言えなくなってしまうのだ。
基本的な性格として、誰に対しても優しいのだとは思っていたが、最近はその優しさの種類が何か違う気がしていた。
その違いが何であるのかまでは気付けない慶一朗にいつものようにリアムがビールグラスを二つ手に戻ってくる。
「ダンケ」
「どういたしまして」
向かい合わせに座り、乾杯とグラスの縁を軽く触れ合わせて澄んだ音を響かせると、慶一朗が美味そうにそれを飲み干す。
食事に関して驚くほど興味が薄く、腹が膨れれば何でも良いと思っている節があり、リアムからしてみれば信じられないことだった。
だが、ビールとコーヒーだけは違うようで、好みのメーカーのビール─例えば毎日飲むのはラガーだが、少し気分がノっている時は苦味の強いIPAだったりと、気分に合わせて飲むものを変えているようだった。
その時に浮かべる顔を今また目の前に見出したリアムの顔に嬉しそうな笑みが浮かび、料理の時に飲むのはどうする、ラガーかと顎の下で手を組むと、慶一朗がスッと目を細め、赤い唇をぺろりと舐める。
「IPAかな」
「・・・りょーかい」
俺もお代わりはそれにしようかなと笑うリアムに同じ顔で小さく笑った慶一朗は、店の奥のドアが開いて観光客らしき男女が出てくるのに気づき、ああと小さく呟く。
「なぁ、リアム」
「どうした?」
二人分の料理を勝手に注文していたリアムだったが、それが気に食わなかったかと問いかけ、そんな事全く気にしていないと返される。
「食い終わったらポーキーで遊ばないか?」
いつもここに来ると店の奥にあるポーキー─スロットマシン─で遊んでいるが、今夜も遊ばないかと問われて目を瞬かせたリアムは、まあ10ドル迄ならと肩を竦めれば慶一朗が指を鳴らして口笛を吹く。
「この間は大勝ちしたからなぁ」
「ケイはギャンブラーか」
パブによく設置されているポーキーと呼ばれるスロットマシンだが、上限を決めて二人は上手く遊んでいた。
だが、前に店の奥で遊んだ時、慶一朗が5ドルの元手を倍にして稼いだことがあったのだ。
二匹目のドジョウを狙っているわけではないが、楽しみたいと笑う慶一朗にリアムがニヤリと笑ってギャンブラーと指差すが、確かにギャンブラーかも知れないと意外な程真面目に返されてヘイゼルの双眸を丸くしてしまう。
「ケイ?」
「ソウにもよく言われる」
お前は一か八かの賭けに出るようなことが多いギャンブラーみたいだと過去に何度か言われたと苦笑されて首を傾げるが、慶一朗の過去を思い出すと確かにギャンブラーかも知れないと苦笑してしまう。
双子の兄と一緒に通った中高一貫校。
その先の進路を選択の際、いくらシドニーの病院に伝手があるからと言って、生活すらしたことのない国に単身移住するだけではなく、大学を卒業後の医師としての試験なども全て優秀な成績でパスし、今働いている病院で研修を終えて働くようになったのだ。
その間、挫折や諦めなどの弱気をどれだけ覚え、一人で解消したのだろうか。
その強さを思えばただ尊敬から頭が下がるリアムだが、目の前の端正な顔からはそんな苦労など微塵も感じられず、それが慶一朗がもつ強さなのかと感心してしまう。
己のように身体を鍛えた強さではない、頭のてっぺんから爪先までを真っ直ぐに貫く何かを見た気がし、それがあるからこそギャンブルのような移住を選択したのだろうとも気付く。
「・・・ケイは強いな」
「ん?」
その独白の意味が分からずに首を傾げる慶一朗に何でもないと肩を竦めたリアムは、程なくして運ばれてきた料理に顔を輝かせ、そんなリアムの顔に今度は慶一朗が小さく笑みを浮かべるのだった。
二人が食事をしたテーブルの更に奥のドアの向こう、何台かのスロットマシンがあり、約束通り10ドルを片手にそれぞれが気になるマシンの前に座るが、今夜はここで時間を使うよりも、二人の友人が経営しているクラブに行く方が楽しみだった為、半ば義務的にコインを投入し、絵柄を揃えていく。
今回は慶一朗が早々に資金を使い果たし、まだ粘っているリアムの後ろに立って見守っていたが、軽快な音楽が流れたかと思うと、スロットマシンの演出が変化する。
「おい・・・」
「・・・いくらになるかな」
その演出は大当たりのもので、慶一朗が珍しく呆気に取られる横でリアムが一つ口笛を吹く。
「リアム、喉が渇いた」
コインが出てくる音に慶一朗も口笛を吹いて喉が渇いたと呟きながら広い肩に腕をついて顔を覗き込む。
「ルカの店に行って飲もう」
「そーだな、それもいいな」
ヒースとリズには悪いがここでお金を落とすのは次回にしようと笑い、演出が終わってコインの排出も終わった為に席を立ったリアムだったが、すぐさま他の客が座ろうとした為、それを一瞥して肩を竦める。
「俺がギャンブラーだって言ったけど、今日はお前がギャンブラーだな」
「そうだな」
10ドル分のコインが倍になって戻ってきた為にジャラジャラと音をさせつつポケットにしまったリアムに慶一朗が小さく笑いかけ、この後のお楽しみでそれを使おうと提案する。
普通ならばそんな提案は断られるはずなのに、それも良いなと何でもないことのように返すリアムに呆れたような溜息を吐いた慶一朗は、お前は本当に甘いと、呆れから感心へと変化させた笑みを口元に浮かべ、リアムの顔を赤くさせる。
「?」
何故リアムの顔が赤くなっているのか分からない、そう言いたげに首を傾げる慶一朗に聞き取りにくい声で何かを呟いたリアムは、とにかく店を出ようと慶一朗の細くて薄い背中を押し、ナイトライフの第二ステージへと向かおうと笑うのだった。
結局、ルカの店で夜通し飲んで踊ってナイトライフを満喫し、始発電車で自宅に帰る事になったが、土曜日の始発でまだまだ人が少ない電車だからか、ボックス席に二人並んで腰を下ろしていると、慶一朗がリアムの肩にコツンと頭を乗せてくる。
付き合いだして半年以上が経過したが、リアムからすれば信じられないほどの恥ずかしがり屋の慶一朗が家の外でのスキンシップを許さない為、電車という公共の場でこうして肩に頭を預けてくれる事など滅多にない事だった。
だからではないが、その重さが意外と心地良くて、ここで髪を撫でたりキスをしようものなら、開くはずのない窓を開けて電車から飛び出してしまいそうだと恐怖を感じたリアムは、それでも我慢できない思いから、閉ざされている瞼に掛かる前髪をそっと掻き上げてみるが、眠いからか他に人がいないからか、制止の言葉は聞こえてこなかった。
最寄駅に着いたら起こせと、眠気混じりの声で命じられて了解と同じように欠伸をしながら返したリアムは、肩に慶一朗の温もりと重みを感じつつ、黎明の中を規則正しく走る電車に揺られているのだった。
2021.12.01
いつか書きたいと思っていたネタをやっと書けました・・・!ポーキー、楽しかったです(笑)デレデレ慶ちゃんwww


