061:ポイズン

天球座標

 大阪のキタと呼ばれる街に近いが昔ながらの下町の雰囲気も残している町の中、年季の入った店構えの中華料理屋があった。
 その中華料理屋は、香港から移住して来た夫婦が切り盛りし、今では三代目になる孫が店を手伝うようになっていた。
 その年季の入った厨房でランチの営業を終えて店員−と言っても家族ばかり−で賄いの昼食を食べていた時、ドアが勢いよく開いて人が飛び込んでくる。
 「ごめんなさい、ランチの営業は終わったので、夕方また来てくださ────」
 「ユンファ!聞いてよー!!」
 カウンターから身を乗り出すように飛び込んで来た客を断る言葉を投げかけた青年、潤發は、その声に目を丸くし、飛び込んで来たのが客ではなく幼馴染の一央だと知り、何があったと問いかけながらカウンターを回り込んで出てくる。
 「あら、カズくんやないの。お昼はもう食べたん?」
 良かったら食べて行くかと、恰幅の良い人懐こい笑顔で客の心を掴む潤發の母が立ち上がるが、おばちゃんありがとう、昼飯食べたいんやけど、腹たつ事あるからそれ話してええかと、目尻を赤くしながら一央が肩で息をした為、何があったと、中国語訛りがまだ抜けない潤發の父が心配そうに己の妻に囁きかける。
 「何あったんや?おばちゃんが聞いたるから言ってみ」
 「ありがと、おばちゃん。昨日發仔にもろた水餃子と豚まん、全部あいつに食われた!!」
 信じられへん、普通一つや二つ残すやろと、カウンターの椅子を幼馴染に勧められて腰を下ろした一央だったが、憤懣やるかたない顔で幼馴染とその両親を見つめると、楽しみにしてたのにと今度は誰が見ても理解出来るほどの落ち込みを見せる。
 「あららら、全部食べられたん?」
 「せやねん!信じられへんわ!しかも、俺が前に發仔の作る豚まんの皮が好きって話したゆーて、中身だけ食いやがった!」
 信じられないと、何度目かの不信の怒声をあげる一央に呆気にとられて何も言えなかった三人だったが、一央の激怒の理由を正確に理解した瞬間、三人の口から突き抜けたような朗らかな笑い声が一斉に流れ出す。
 「あははははは!あの先生、お茶目な事をするねんなぁ!」
 「ホンマやなぁ。豚まんの中身だけ、食べたのか?」
 「おっちゃんもおばちゃんも發仔も笑い事ちゃうわー!」
 どこの世界に豚まんの皮だけ−つまりは饅頭部分だけを好んで食べる人が居てると、涙すら浮かべて絶叫する一央に三人がなおも笑い続けると、豚まんの皮は中身と一緒に食べるから美味しいのであって、そのまま食べても美味しくない、發仔のは皮だけでも美味いけど、それだけやったら嫌やねんと、子供のように鼻をすする一央に流石に三人も気の毒さを覚えたのか、潤發の母が一央の前に立つと、幼い頃から当たり前のようにして来た行為、頭に手を乗せて少しだけ力を込めて髪を撫でる。
 「今から仕込むから今日の分持って帰り」
 そして、先生用には別に作ってやるから、カズくんの分は確保するんやでと、いつまでたっても子供扱いする幼馴染の母に不満を若干感じつつも素直に頷いた一央だったが、怒りをぶちまけたことで落ち着きを取り戻したのか、腹の虫が盛大に泣き喚いた事に気付いて顔を赤くする。
 「チャーハンとスープ、食べるか、カズくん」
 「うん、食べる。ありがと、おっちゃん」
 己の両親にも負けず劣らずの世話焼きの幼馴染の両親の言葉にもう一度素直に頷いた一央は、隣に腰を下ろしていた潤發が立ち上がった事に気付いて仕込みあるのにごめんと、己もバイト先でのランチ後の裏方の忙しさを思い出して肩を落とすが、潤發は何も言わずにただニコニコとしながらカウンターの中に入ると、あっという間に少し小さめの肉饅を作り上げる。
 「カズくんが食べる分、先に取り分けときや」
 でないとまた先生に食べられてしまうでと、カウンターから皿に盛られた肉饅を差し出され、幼馴染の気遣いに目を潤ませた一央は、食べてから分けると伝えて同じく出されたチャーハンとスープ、水餃子が載ったトレイを受け取り、笑顔で礼を言う。
 「ありがと、おっちゃん、おばちゃん────いただきます」
 「どうぞ」
 いつどんな時に駆け込んだとしても、こうして温かく出迎えてくれる幼馴染家族に心の中で感謝しつつ、腹の虫を抑えるためにチャーハンを食べ始め、あっという間に綺麗に平らげる。
 「ごちそうさまでしたー!」
 「いつも気持ちよく全部食べてくれるのん嬉しいわぁ」
 綺麗になった皿を洗うために下げる母の言葉に息子が頷き、父もニコニコと頷いている。
 そんな家族にさっきは感情のあまり恥ずかしい姿を見せたと反省した一央は、反省すると同時に、持ち帰り用の肉饅を分けるために二つの袋が欲しいと伝え、受け取ったそれに均等に肉饅を詰めて行く。
 「半分も先生にあげるんか?」
 「・・・せやかて・・・、あいつ、めっちゃ美味しそうに豚まん食べるねん」
 あまり表情は豊かではない恋人だが、自分の前で好物を食べる時、珍しいほど表情が豊かになるのだ。一度その顔を見てしまうと、常習性のあるドラッグやじわじわと体に浸透する優しい毒のように気がついたときには手遅れになっていると、俯きながら口早に言い放った一央は、カウンターに腕をついて頬づえをつく潤發に見つめられている事に気づき、更に顔を赤くしてしまう。
 「・・・カズくんは甘いなぁ」
 「あ、後でなんやかんや言われるのん、嫌やし!」
 甘い訳じゃないと叫んで否定するものの、幼馴染には全てを見抜かれているようで、威勢の良い否定の声が段々と尻すぼみになっていく。
 「まあええよ」
 夜の仕込みの直前のわずかな休憩時間、潤發の父がテーブルに座って店の小さなテレビを付け、向かいに母も腰を下ろしたため、一央が照れ隠しにテレビへと顔を向ければ、そこにはコメントを求められて涼しい顔で己の研究室で自説を広げる恋人がいて、真面目な話は終わったようで、珍しく小さな笑みを浮かべてリポーターの言葉に頷いていた。
 その横顔を見ているだけで心の中のささくれが解消されていくのを感じた一央は、意味ありげに見つめてくる潤發に上目遣いで頷くと、袋に詰めた肉饅の数を一方の袋を多めに入れ替え、その作業をただ黙って潤發は見守っているのだった。

 

 ランチ後に起きた嵐の様な幼馴染の襲撃は、照れた顔でいつも美味い料理をありがとうという言葉を残して店を出ることで終わりを迎えたが、夜の閉店時間を迎える直前に潤發のスマホに一央からのメッセージが届けられる。
 メッセージに書かれていたのは、昼に持って帰った豚まんをあの後帰ってきた恋人と一緒に食べたが、今度は中身だけを食べられることなく無事に皮と中身を一緒に食べられた、やはり美味しかったという感想メッセージだった。
 律儀に送ってくる一央にらしいと肩を竦めた潤發は、いつもと変わらないけどいつも以上に嬉しそうに食べていたとも教えられ、恋人のいない己にとってはある種の毒だと呟きつつも、幼馴染が楽しそうにしているのならいいと、いつも感じる想いにたどり着くのだった。


2020.01.18
天球座標の主役の一人、一央とその幼馴染の潤發(ユンファ)の小話です。


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