055:スイッチ

Über das glückliche Leben(ÜGL)-Lion & Uwe -

 秋の日は釣瓶落としと言われるように、世界が暗くなる時間が早くなり出した秋のある日、いつものようにそれなりに全力を出して働いて来た、それを愛する人に褒めてもらおう、そして出来るのなら美味い飯を二人で食べて自宅でのんびりと録り溜めているサッカーを見ようと鼻歌交じりにクリニックへの階段を駆け上がったのは、仕事の疲労など一切感じさせない陽気さを撒き散らしているリオンだった。
 両開きのドアにぶら下がる診察終了の札に目をやり、重厚なドアを開けて今日も疲れた、愛する人に癒してもらおう、そうだそうしようと、自作ソングを鼻歌で披露しながら顔をあげると、いつもいるはずの超がつくほど優秀な事務全般を担っているリアがおらず、一瞬だけ過去の事件を思い出してヒヤリとするが、診察室のプレートが掲げられているドアが開き、心配そうに柳眉を下げたリアに気付き、声を潜めて呼びかける。
 「リア、どうした?」
 「・・・リオン、ちょうど良かった」
 心配そうな顔の原因がリオンの最愛の人でありリアのただ一人の上司であるウーヴェであることに気付き、何があったと潜めた声で問いかけると、今日の朝一番の患者が中々にウーヴェにとって難敵だったようで、その疲労が出てしまい、立ち上がれなくなってしまったのだと教えられ、立ち上がれなくなったのは肉体的にかそれともメンタルかと肩を竦めつつ耳元に口を寄せると、どちらもという、リオンにとっても難敵な答えが返って来る。
 「・・・分かった、後は何とかする」
 「お願いね」
 ここまで酷いのは珍しいと、リアが心配と安堵が篭った溜息を零し、そんな彼女の肩を撫でて頬に安心させる為のキスをする。
 「さてさて、陛下のご機嫌伺いに行きますかー」
 陽気な声で己を鼓舞しながら診察室のドアをいつものようにノックすると、力のない声がどうぞと入室を許可してくれた為、肩越しに振り返りながらリアに親指を立てる。
 「多分何も出来ねぇから、鍵を掛ければいいだけにしておいてくれよ、リア」
 「ええ、お願い」
 ハロ、オーヴェといつもと変わらない声でドアを開けて中に入るリオンを心配そうに見守っていたリアだったが、頼まれたようにクリニックを閉める準備をしようと、キッチンスペースに向かい、食器類などを手早く洗うのだった。
 リアが安堵のため息を零したのを背中で確かめたリオンは、彼女の言葉通りに、お気に入りのチェアではなく、デスクに尻を乗せて二重窓の外をぼんやりと見上げるウーヴェの背中にもう一度呼びかける。
 「ハロ、オーヴェ。どうした」
 「・・・・・・うん」
 その短い一言だけで十分だった。
 ウーヴェと二重窓の間に割り込むと、丁重な手付きで眼鏡を外してデスクにおき、白とも銀ともつかない髪を一つ撫でて胸に抱え込むように抱きしめる。
 「お疲れだな、オーヴェ」
 「・・・・・・」
 無言のまま背中を抱き締められて頬をウーヴェの頭に充てがうと、同じように背中を抱き締め、家に帰ろうぜと囁きかける。
 「オーヴェ、家に帰ってさ、グリューワインを飲まねぇか?」
 秋も深まって来たら夜が寒い、そろそろお前の好物のグリューワインの登場の時期だと笑うと、ジャケットの背中にシワが寄る。
 「車まで歩けるな?」
 本当なら、このままお前を抱き上げたまま車に向かいたいが、だれかにそれを見られたら明日からお前が羞恥を感じてしまうだろうと軽口を装って問いかけると、握り締められていた手が離れ、拳が背中を一つ殴る。
 「いてて・・・・・・ごめんごめん」
 悪かったと謝罪をしつつウーヴェの背中を撫で、髪にキスをした後、機嫌を直してくれとやつれている頬にキスをする。
 「・・・・・・帰る」
 「ああ、帰ろうぜ。────あ、そうだ」
 のろのろと立ち上がろうとするウーヴェを支えつつ、いい事を思いついたと口笛を一つ吹いたリオンは、なんだと顔を上げるウーヴェに片目を閉じて帰りにドラッグストアに寄ることを伝える。
 「ドラッグストア・・・・・・?」
 「そう。新しい入浴剤を買おうぜ」
 そして、その入浴剤を渾身の力で泡立てて、そこに二人で飛び込もうと笑うと、いつもならば不満を訴えるウーヴェの頭が一つ上下する。
 「・・・・・・うん」
 「ん、じゃあ帰ろう」
 デスクからようやく降り立ったウーヴェの腰に腕を回して体を支えると、その身体が傾いで寄りかかって来る。
 「・・・新しい入浴剤は要らない」
 家にあるものでいい、だから早く帰りたいと、リオンや家族にしか見せない顔を覗かせるウーヴェの頬にもう一度キスをしたリオンは、さぁ、早く帰ろうと歌うように呟きつつ診察室のドアを開ける。
 デスクのそばで不安そうに見守るリアの視線に無言で頷き、後は頼むと片目を閉じると、ウーヴェが顔を上げることが出来ずに、明日、頼むとだけ小さく呟く。
 「ええ、心配しないで、ウーヴェ」
 だから今日は家に帰ってゆっくりしてとリアが告げると、ウーヴェの頭が上下する。
 ここまで弱っているウーヴェを見るのも本当に珍しいと思いつつ、リオンに支えられながらクリニックを出て行く背中を見送るのだった。

 

 

 自宅に帰り着いたリオンは、玄関ドアを後ろ手で閉めると同時にウーヴェを肩に担ぐように抱き上げる。
 「リーオ・・・っ!」
 「ああ、よく頑張ったな」
 今から風呂に湯を張るから、入浴剤を泡立てて一緒に入ろうと誘いかけると、リオンの肩の上でウーヴェが力なく頷く。
 湯が溜まるまでの間、ベッドルームのソファに座っていろとばかりにウーヴェを担いだままベッドルームに入ったリオンは、壁際のソファにウーヴェを流石に丁重に降ろすと、そのままウーヴェが体を丸めてしまう。
 その様子からもかなりメンタルがやられていると苦笑し、バスルームにすっ飛んで行ったリオンは、バスタブに湯を張り、ウーヴェが気に入っている入浴剤を無造作に投げ入れると、ネクタイを解きながらバスルームを出る。
 「オーヴェ、今日は本当に疲れる患者がいたんだな」
 「・・・・・・あの人は、もう、自信がない」
 「そっか。・・・他の医者に診てもらう事も考えてみればどうだ?」
 ソファで身体を丸めるウーヴェの肩を撫でて背中を撫でつつ苦笑すると、長い間逡巡する気配が伝わった後、それもいいなという、ある種の諦めのような声が自嘲に混ざって返って来た為、ウーヴェに覆い被さるように身を伏せる。
 「オーヴェ。お前の力が足りないからじゃない」
 お前も患者も人なのだ、相性というものがどうしてもあると、ウーヴェの選択を後悔しないようにリオンが優しくそれを肯定すると、でも、というまだ引っ掛かりを覚えている言葉が聞こえ、頬にキスをする。
 「真面目なオーヴェ、他の医者に紹介してそっちで合うかもしれねぇだろ?」
 一人の患者に真正面から向き合い、お前がこんな風になってしまえば、明日以降もお前を頼りにやって来る他の患者に対して無責任になると、ウーヴェならば理解できると思う声でそっと囁くと、リオンの身体の下でウーヴェが寝返りを打とうとした為、手をついて身体を浮かせると、首の後ろでウーヴェの両手が交差する。
 「・・・・・・分かった」
 「ん。じゃあさ、風呂に入って、泡を流す時に一緒にそれも流してしまおう」
 二人で一緒に入るから、バスタブの湯は半分ぐらいでも十分だろうと笑って身体を起こしたリオンは、まるでぬいぐるみか何かのようについて来るウーヴェの背中に腕を回して支えると、掛け声一つで立ち上がる。
 「ほら、服を脱げ、オーヴェ」
 「・・・面倒くさい」
 「もー、いつもの俺みたいなこと言ってー」
 陛下、そんなワガママを言わないで下さいと、軽く謙りつつもシャツのボタンを外すリオンのなすがままだったウーヴェは、少しだけ気分が浮上したことに気付き、目の前の目が覚めるような青いシャツに手を掛ける。
 「あれ、外してくれるのか?」
 「・・・一緒に入るんだろう?」
 「もちろん」
 互いのシャツのボタンを外し、アンダーシャツも脱がせてベルトに手を掛けた後、どちらからともなくクスリと小さく笑みを零してしまう。
 「ほら、入るぜ」
 「・・・うん」
 流石に互いのパンツを下げるのは微苦笑で止めて自ら脱いだ二人だったが、リオンがウーヴェを小さな子供のように抱き上げ、流石に反論する気力も無いのか、ウーヴェがおとなしくリオンの肩にもたれ掛かる。
 バスタブの湯はリオンが想像していた量を少しだけ超えていたが、湯を止めてウーヴェを先にバスタブに下ろすと、その後ろに自然と入り込んでウーヴェの腹の前で手を組んで己にもたれ掛かるように抱き寄せる。
 「・・・気持ち、良い」
 「そっか」
 お前がいつも使っている香水と同じ香りの入浴剤−この場合はシャワージェルかと笑うリオンの声にウーヴェがうんと頷くが、後頭部を己を支えてくれる揺るがない大地よりも盤石なリオンの肩にコツンとぶつけ、泡にまみれた手を払って目元を覆い隠す。
 「・・・な、オーヴェ」
 「なんだ」
 「お前の気持ちを切り替えるスイッチがあれば良いのになぁ」
 「・・・・・・なんだ、それ」
 リオンの言葉になんだそれと返しつつも、そんなものがあるのならば誰よりも俺が真っ先に欲しいと苦笑すると、ここには無いかなと歌うように呟きながらリオンがウーヴェの背中に指先を滑らせる。
 「くすぐったい・・・」
 「はは、悪ぃ。な、オーヴェ、ここは?」
 リオンの指が辿るのは、決して消えることのない傷跡の上だったが、己の気持ちを切り替えるスイッチの在り処を思い出す。
 それは、今リオンが指先で探っている背中ではなく、その指の持ち主の胸の中にあったのだ。
 それを伝えようとバスタブの中で振り返ったウーヴェは、蒼い目を瞬かせるリオンに、やっと浮かべることのできた小さなぎこちない笑みを浮かべ、左手を掴んで掌に、ついで手の甲にキスをする。
 「オーヴェ?」
 「・・・・・・スイッチのある場所を思い出した」
 「そっか?」
 「うん」
 不思議そうに首を傾げるリオンにもう一度、今度はさっきよりも自然に笑みを浮かべたウーヴェは、キスをした左手を己の頬に宛てがい、空いた手をリオンの胸にそっと重ねる。
 「ここに、ある」
 俺の機嫌の良し悪しを切り替えるスイッチはお前の胸の中にあると、リオンにだけ聞かせる声と見せる笑顔で告げたウーヴェは、頬に宛てがった手が包むように反転したことに気付き、小さく首を傾げてそれを受け入れる。
 「・・・・・・ダンケ、リーオ」
 この手と温もりがあれば、絶対に立ち直れる、だから今だけは情けない顔を見せることを許してくれと顔を伏せつつ呟くと、そっと頭を抱き寄せられる。
 「いつも言ってるでしょー。素直じゃないお前も好きだけど、素直なお前はもっと好きって」
 だから好きなだけ甘えなさい、寄りかかりなさい、お前が全力で寄りかかってきても倒れないだけの体力はあると、ウーヴェが信頼するリオンが、揺らぐことのない大地以上に頑丈な、まるでダイヤモンドか何かで出来ているような錯覚を覚え、肩に顎を乗せてクスリと笑う。
 「・・・リーオ、背中が痛い」
 「そっか」
 物理的なものではない、精神的なものがもたらす痛みを何とかしてくれと告げると、リオンが頷いた後、その背中を大きな掌で撫でる。
 「気持ち良いか?」
 「・・・う、ん・・・」
 ウーヴェが満足するまで背中を撫で続けたリオンだったが、そろそろ疲れたから止めても良いかと問いかけるが、それに対しての明確な返事は無く、オーヴェと呼びかけつつ顔を覗き込むと、疲労が滲んでいる顔で煌いているターコイズ色の双眸は瞼の奥に姿を隠し、薄く開いた唇からは微かな寝息が流れ出していた。
 ウーヴェが、入浴剤やシャワージェルの類を入れると高確率で眠ってしまう事をリオンは熟知していたが、やはり眠ってしまったかと微苦笑すると、眠っているウーヴェを起こさないように気をつけつつ立ち上がり、壁のシャワーヘッドを操作してウーヴェと自身の身体に纏わりつく泡を洗い流すのだった。

 

 

 完全に寝入ってしまったウーヴェに下着を穿かせてパジャマを着せる気力が流石になかったリオンは、ベッドルームの暖房が効いている為風邪も引かないだろうと、水気だけを拭き取ってコンフォーターの下に押し込む。
 「・・・ん・・・」
 流石にその少しだけ乱暴な動作にウーヴェの口から不満の声が零れ落ちるが、額にキスをして許しを乞うたリオンは、流石に少し腹が減ったと呟きつつキッチンに大股に向かうと、冷蔵庫に一つ寂しく残っていたベーグルサンドを無造作に掴んでかぶり付き、恐るべき速さでそれを食べ終えると、炭酸が入っていない水のボトルに直接口を付けて流し込む。
 「ふー」
 これで胃袋も満足したはずだと己の腹を撫でたリオンだったが、明日の朝飯を楽しみにしようとベッドルームに戻ると、ベッドの上でウーヴェが座り込んでいることに気付き、ベッドに飛び乗る。
 「起きたか?」
 「・・・起きたら・・・」
 お前がいなかったと、リオンが思わずなんとも言えない声を発してしまうような事を呟きつつ柔らかな笑みを浮かべたウーヴェにリオンが一つ肩を竦めるが、体が冷えてしまうからコンフォーターの中に入ろうと笑いかけ、ウーヴェの横に同じように潜り込む。
 「・・・今日は・・・ダンケ、リーオ」
 「うん。明日の朝飯、楽しみにしてるぜ、オーヴェ」
 「・・・う、ん・・・」
 リオンの言葉にウーヴェが睡魔に捕らわれた事を示す不明瞭な言葉で返し、それに釣られるようにリオンが大きな欠伸を一つ。
 「おやすみ、オーヴェ」
 「・・・うん・・・」
 クリニックに迎えに行った時よりは遥かに顔色も良くなったウーヴェの額にキスをし、一足先に眠りに落ちたウーヴェを守るように背中を抱きしめたリオンは、どうか今夜の眠りが最愛の人の心身の疲労を解消してくれるものでありますようにと願いつつもう一度欠伸をし、目を閉じて眠りに落ちるのだった。

 

 

 翌朝、いつものようにウーヴェに起こされたリオンは、キッチンの小さなテーブルに並ぶ朝食の豪華さに顔を輝かせ、ウーヴェのどうぞ召し上がれの合図と共に昨夜からの空腹を埋めるように気持ち良いほどの勢いでそれらを食べるのだった。
 そんなリオンの様子を呆気にとられながら見守っていたウーヴェだったが、昨日リオンが提案してくれた事を前向きに検討するとリオンに伝え、満足そうな笑みで見つめ返されるのだった。


2020.10.13
おやおや、甘えん坊ウーヴェさんです(・・;)


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