053:スクランブル

Garden of Southern Cross.ーテッドとノアー

 己が所属する小隊への出撃命令が出たのは、紛争への派兵要請があった国にやって来てすぐの時だった。
 オーストラリア軍と協力しての作戦は今回が初めてではなく、行動を共にする兵士たちにも顔馴染みもいて、知らない土地での緊張を強いられる作戦行動の中でも少しだけそれを和らげてくれていた。
 そんな緊張と不思議と感じるリラックスの空気の中、スクランブルが掛かった事を知る。
 紛争解決のためにやって来た自分たちに本来の目的通り働けと命令が下り、働くことは構わないが民間人に被害が及ばないように気を付けようといつも頭のどこかにある事を考える。
 そう考えながらも、敵から銃口を向けられれば同じように向けるだけだと冷静に呟く己もいて、軍人というのは度し難いと思いつつも両手は愛用のライフルがいつものように働いてくれるようにと動作の確認と弾倉の確認もし、安全装置がしっかりとかかっている事を確かめると、乗り込んだヘリの床に腰を下ろし、立てた膝の間にライフルを挟んで母艦を飛び立つ振動に身体を揺らせるのだった。

 

 ふ、と意識が浮上し、眠い目を強制的に瞬かせたのは、今日は漁に出ない為に久しぶりに恋人と同じ時間で生活できるはずのテッドだった。
 だが、毎日の習慣というのは恐ろしく、目覚ましを合わせていないのにいつもの起床時間になると目が覚めてしまうようで、見ていた夢の名残もあり、一つ溜息をついてベッドからそっと抜け出す。
 テッドが一人で寝るには十分な広さのベッドだったが、流石に成人男性二人が使うには手狭に感じるようになり、恋人が今取り組んでいる仕事が無事に終わり報酬を得ればさらに大きなベッドを買うと決めていた。
 この少しの手狭さも嫌ではないと思いながらも、ベッドを買うという目標を原動力に仕事を張り切る恋人に水を差すことなど出来ず、なら自分はそんなベッドで使うリネン類を買うから好きなものを教えてくれと伝えていた。
 そのリネン類を買い替えるというある意味簡単な事で恋人が見せた小さな不満そうな顔が忘れられなかったテッドは、どうしたと問いかけても明確な返事がなかった事を訝しんだが、何か言いたいことがあれば言うだろうとの思いからそれ以上何も問いかけることはなかった。
 そんな数日前の出来事を思い出し、キッチンで水を飲んで一息ついた時、恋人と一緒に暮らすようになってからは見る回数も減っていた軍隊時代の夢を久しぶりに見た事に気付き、何かあるのかと一瞬考え込んでしまうが、眠っている間に一日に得た情報を整理しているらしい脳みその動きなど専門家でもないテッドに分かるはずもなく、グラスを軽く洗ってベッドルームに戻ると、己が抜け出した形のまま盛り上がっている掛け布団の中に静かに入る。
 「・・・ん・・・?」
 小さく聞こえる声に安心させるように息をそっと吐くと、無意識なのか恋人がテッドの方へと身体を寄せ、素肌の腰に手を回して安心したように何やら口の中で言葉を転がす。
 眠りながらのそれが子供のようで、十歳以上年下の恋人だが子供扱いはしないようにと気を付けているテッドの思いを最も容易く簡単に打ち破ってくる。
 可愛いと言えば目を釣り上げるか頬を膨らませるかは分からないが、良い気はしないだろうことも予測できたため、その言葉をグッと飲み込んでくすんだ金髪にキスをし、もう一度眠れるかどうかは分からないが寝る努力だけはしてみようと微苦笑するのだった。

 

 二度寝ができるかどうかが分からないと苦笑していたテッドだったが、どうやら知らないうちに眠っていたようで、カーテンを開けられた眩しさに顔を背けてしまう。
 「・・・Grüß Gott、テディ」
 朝が来たぞ、起きろと、寝起きに聞くには爽やかすぎる声に起こされ、瞬きを繰り返して寝返りを打つと、昨夜は組み敷いていた身体がのし掛かってくる。
 流石に寝起きに恋人の全体重を受け止めるのは難しく、短く呻き声をあげて目を開けると悪戯が成功し子供っぽい笑みを浮かべた顔が見え、思わず目を細めてしまう。
 「・・・モーニン、ノア」
 随分と楽しそうだなと笑ってくすんだ金髪に手を差し入れて頭の形を確かめるように撫でると、気持ちの良い朝なのにいつまでも寝ているお前が悪いと笑ってテッドの胸に顎を乗せて楽しそうに笑ったノアだったが、朝飯の用意ができたから良かったら食べないかと誘いかけ、風が少し気持ち良かったから庭にセッティングをしたと頭を持ち上げる。
 「良いな」
 以前の一人暮らしなら庭で食事をすることなど考えることもなかったが、ウィーン出身の年下の恋人、ノアと共に暮らすようになってからはノアが気に入っているという理由を差し引いても多い回数庭で食事をするようになっていた。
 その変化も嫌ではなかったために素直に受け入れていたテッドは、今日の朝飯は何を作ったんだと、ノアの頬を一つ撫でてその体の下から抜け出すと、テッドの体の上からノアがころりとベッドに転がり落ちる。
 「・・・犬みたいだな」
 「・・・せっかく美味いスクランブルエッグを作ったのに、食わせてやらないからな」
 テッドが笑いながら犬と称したことが気に食わないのか、反動をつけて起き上がったノアのロイヤルブルーの双眸がジロリとテッドを睨み、怒るなと笑いながら大きな手でノアの柔らかな髪を撫でる。
 「お前が作ってくれるスクランブルエッグは本当に美味いからな。食べさせてくれ」
 初めてそれを食べた時、素材の良さ以外の理由からも美味しいと感じ、それ以来テッドは朝食に必ずスクランブルエッグを食べさせて欲しいと頼んでいたのだが、それを今朝も食わせてくれとノアの手を口元に引き寄せてキスをすると、仕方がないので食べさせてあげようと寛大な言葉が聞こえて来て、ありがとうと覚えたばかりのドイツ語で礼を言う。
 「あのスクランブルエッグ、ウーヴェに教えてもらったんだよな」
 ベッドから降り立ったテッドに倣ってノアも起き上がり、自然と互いの腰に腕を回してベッドルームを出ると、ウーヴェがあんな美味いのを作るのかとテッドの目が丸くなる。
 「ん、いや、ウーヴェの姉が教えてくれたってリオンが言ってた」
 「そうなのか?」
 「うん、そうらしい。アリーセの夫のミカが好きだって言ってて、ずっと作ってるって言ってたから」
 同じものを食べて毎日暮らす家族間では当然の味覚の共有だったが、地球の赤道を挟んで北と南で、兄弟のパートナーから受け継いだ料理を食べている事実が何やら地球規模の壮大な出来事のように感じてしまい、庭に出るための掃き出し窓を開け、ベンチテーブルに用意されている朝食に目を細める。
 「今日は仕事もないし何をしようか」
 ベンチテーブルを挟んで向かい合わせに座り、ノアがこれまた定番になっている良く冷えたミルクと保温している紅茶のポットと大振りのマグカップをそれぞれの前に並べる。
 カフェなどではコーヒーも飲んでいるノアだったが、テッドと一緒に暮らすようになってから二人で時々出かける、山の上にぽつんとある趣味で開いているようなカフェで飲んだ紅茶が忘れられない程感銘を受けたらしく、それ以来こうして二人揃って朝食を食べる時には紅茶が出るようになったのだ。
 一人の時はインスタントコーヒーにバケット、時々ベーコンを焼く程度の朝食だったのが、今では雑誌などで紹介されてもおかしくないような立派な朝食になっていて、この一事だけでもノアと一緒に暮らすようになって良かったと胸の内で感謝する。
 向かい合わせに腰を下ろし、今日はイングリッシュマフィンにしたと、いちごジャムとバターを並べて笑うノアにどちらも良いなと同じ顔で笑って頷いたテッドだったが、スクランブルエッグを見た瞬間、もう一つのスクランブルを思い出してしまうが、そちらについては二度と己に関わってくることではないと気付き、記憶の奥底へと押しやり、早く食べなければ冷めてしまう事を訴えてくるような卵料理を前にフォークを手に取るのだった。


2021.10.12
テッドとノアの休日の朝の風景になりました(笑)
まさかエリーのスクランブルエッグがノアに受け継がれているなんて(笑)


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