クリスマスイブの真夜中に教会で満足するまで祈る時間を持ったテッドが、こんなことを言って良いのかどうなのか悩ましいと言いたげな顔で、新聞をソファに広げて情報収集をしているノアに告げたのは、言われたノアにとっても茫然自失になりそうな言葉だった。
「────デートをしないか」
初めて出会ったのはもう四年近く前になるだろうか、半年間の遠距離恋愛を経て三年前にニュージーランドに移住して以来、ノアが仕事で海外に行かない限りはほぼ毎日一つ屋根の下で暮らしている恋人のテッドからデートの誘いを受けるなど、ノアの未来には記されていなかった。
だから呆然としたのだが、厳つい顔に残念そうな笑みを浮かべてやはりダメかと呟かれた瞬間、運動神経の良さを見せつけるようにソファで飛び上がり、仕事で鍛えられている、タトゥーが彫られた肌に抱きつき、ダメなはずがない、いきなり誘われたから驚いただけだと先ほどの己の態度を説明したノアは、どこに行くんだと褐色の顔を覗き込む。
「まだ秘密だ」
「むぅ」
教えてくれても良いのにと、片頬を膨らませる顔はいつもテッドが揶揄うように小型の動物のようで、頬袋が出来ていると笑いながら突くと唇の両端が不機嫌さを表す角度に変化をする。
こうなった場合の対処法はこの三年の間にテッドも学習しているのか、尖っている唇に小さな音を立ててキスをすると、膨らんだ風船から空気が抜けるような音が漏れ出し、下を向いていた唇の端が綺麗な弧を描いて上を向く。
「多分、喜んでくれるとは、思う」
「ふぅん・・・分かった、じゃあ楽しみにしてる」
お前がどこに連れて行ってくれるのかを楽しみにしているがそのデートの予定はいつだとテッドの頬にお返しのキスをしたノアだったが、準備が出来次第家を出ると言われてロイヤルブルーの双眸を限界まで見開く。
「これから!?」
「ああ」
「あーもう!嬉しいけど、すぐに準備するけど、待っててくれ!」
お前とのデートはやぶさかではないがいくら何でも急すぎるとさっきはしがみついていた恋人から勢いよく離れたノアは、微苦笑するテッドにすぐに用意をするけど絶対に持って行ったほうがいいのは何だと問いかけつつリビングを出て行こうとする。
「・・・お前の愛用のカメラだな」
「ん?それだけ?」
「ああ」
それならばいつでも使えるように準備をしている為、カメラバッグ一つを持ってくれば大丈夫と些か拍子抜けしたような顔で瞬きをするノアにテッドが一つ頷き、他の準備は俺がするから大丈夫と告げると、うんと素直な返事が聞こえる。
ノアには突然の誘いで驚かせてしまったが、ニュージーランドは星空観測でも名を馳せていて、世界にも名の通った観測地区があった。
ノアがそもそもこの国を気に入った最大の理由が、この小さな家の庭から見上げた満天の星空で、今ではテッドが同居記念として購入した天体望遠鏡に立派なカメラをセットし、星空の撮影もするようになっていた。
そんな恋人に、世界でも有名な星空を唐突に見せてやりたくなったのだ。
天体望遠鏡の知識もカメラの知識も何もないテッドだったが、肉眼で見上げる星の美しさは知っていた。
だが、この家に引っ越してくるきっかけになった事件以来、星空が美しいこと、その星空が太陽の光にかき消された後、澄んだ青空や灰色の雲から一つまた一つと落ちてくる雨粒といった、自然の美しさに目を向ける心を喪っていた。
その心を少しずつ取り戻し、星だけではなく青空も曇り空も全ての空が美しいと気付かせてくれたのは、ノアが折に触れ撮影してはどうだろうと見せてくれる写真や、二人で庭の芝生に寝転がって星空を見上げるようになってからだった。
以前のような心の動きを取り戻すことができ、それ以上に世界が美しいと思えるきっかけをくれたノアにテッドは本当に頭が上がらない思いだった。
ただ、その感謝の気持ちをどのように伝えれば良いのかが分からず、言葉で伝えるのが苦手なことを理解してくれているのだからとノアをデートに誘ったのだ。
遠距離恋愛中はデートに誘うことなど出来る筈もなく、またそれを解消してからは毎日のように一緒にいるのだから敢えてデートに誘ったりはしなかった。
仕事終わりのランチを食べに行こうと誘うとデートだと嬉しそうに笑うことがあったが、こんなランチがデートなのかといつも疑問に感じていた。
だが、いざ街中で待ち合わせをしてランチを食べに行くだけで、いつも家で二人で食べる時とは気持ちが何か違っていたのだ。
この気持ちの差をデートと表現しているのだとすれば、己の恋人は感覚の世界に生きているのではないかという疑問が芽生えてくる。
テッドにとっては思考回路の中に存在し得ない感覚の世界。
そこに根を張りしっかりと生きるノアとはもしかすると分かり合えないのではないかという不安が頭を擡げるが、分かり合えないかもしれない、だからと言ってそれを放棄してしまえば永遠に分かり合えない、そんなのは嫌だといつか泣きそうな顔で訴えられたことを思い出したテッドは、ああと無意識に息を吐いて己の恋人は未知の世界を先導してくれる水先案内人だったことを改めて思い出す。
昨日古い友人に神が遣わしたような人と称されたが、本当にその通りだと目を細め、水先案内人になってくれと言った己の言葉も思い出す。
テッドにとってはまるで目隠しされたまま行き先を告げられずに先導されているようなもので、今までならばその行き先にただ不安を感じて一歩も動けなかっただろうが、己を導いてくれるのがノアだという事実はそんな不安を一掃してくれるものだった。
一寸先の闇に足が竦んだとしても、大丈夫と隣で穏やかな顔で笑ってそっと背中を押してくれる強くて優しい人。
そんなノアは己には勿体無いと思うが、その反面、他の誰にも渡したくないという強い独占欲が最近芽生え出してきていた。
人に対して独占欲を抱くなど今まで無かったのに、ノアが他の誰かに笑顔を向けるだけで息が苦しくなる時があった。
小さな己に呆れつつも笑顔を見るだけで幸せに感じている己もいて、相反する気持ちにただ呆れることしかできなかった。
「────お待たせ、テディ。・・・テディ?」
リビングで突っ立ったまま考え事をしているテッドの前に戻ってきたノアだったが、どうしたと目を瞬かせた後、テッドの顔の前で手をひらひらと振る。
この手が、己に比べれば遥かに細いがそれでも男のものとわかる手が星一つ見えない暗い闇の底から救い出してくれたのだという思いが不意に湧き起こったテッドは、顔の前でひらひらと揺れる手を掴んだかと思うと、薬指に口付けて短く息を呑む音を響かせる。
「・・・ダンケ、ノア」
「・・・っ!!」
薬指へのキスと感謝の言葉にテッドが少し目を細めてノアの顔を見ればエビかタコを茹でた時のように真っ赤になって微かに震えていて、大丈夫かと顔を覗き込むと英語かドイツ語かも分からない、そもそも言葉になっているかどうかも不明な声が震えながら流れ出す。
「あ、ぁあ、いき、なり、何をするんだよ・・・っ!」
ロイヤルブルーの双眸を限界まで見開いて顔だけではなく首筋まで真っ赤に染めたノアの狼狽えぶりに驚いたテッドだったが、あぁだのうぅだのと意味の無さない声を流す年下の恋人が可愛くて、くすんだ金髪にポンと手を乗せる。
「何となくやってみたくなっただけだ」
「〜〜〜〜!!」
お前の顔が好きすぎるから急に顔を近づけるなと何度も言っているのにと、恨みすらこもっているような顔で上目遣いに睨まれたテッドは、そんな顔をするなと笑って熱を帯びた頬にキスをし、そこのバスケットに必要なものを詰めてある、車に積んでくれとダイニングテーブルの上を示すと、子供のように舌を出したノアがそれを引っ掴んでリビングから出ていく。
その仕草がテッドにはただ愛おしくて、どこに連れて行ってくれるか分からないミステリーツアーに参加している気分だが、二人でいればきっと楽しいと思える世界に導いてくれる案内人が早く来いと叫ぶ声にああと返事をし、戸締りの確認をするとリビングから出ていくのだった。
これから二人が向かう先は星空観測で有名な地区だったが、少しだけ顔の熱を下げたノアが助手席で行き先を想像しては楽しそうにテッドの横顔を見つめ、その視線に気付いたテッドもサングラスの下から見つめ返すのだった。
2021.12.26
Gardenにupした、silent night.の続編のようなお話になりました(・_・;
それにしても、ノアの素直さや真っ直ぐさは本当に貴重ですね(笑)


