032:泡沫

Lion&Uwe

 真冬にしては珍しく晴れ渡った青空を見上げ、こんなに天気がいいのにどうして仕事をしているんだ、天気の良い日はオーヴェとデートをして一日中くっついていたいのだから休ませろと、一日中一緒に居たいウーヴェの父であり己のボスであるレオポルドの前で自作の休みたいソングを堂々と披露したリオンは、あまりの言葉に何処からツッコミを入れれば良いだろうかと思案しつつも、結局どこからも突っ込めずにただ深い溜息を磨かれたデスクに落としたレオポルドにニヤリと笑う。
 「そー思いませんか、ボス」
 「・・・・・・馬鹿なことを言ってないで仕事をしろ」
 「してますよー」
 書類仕事ばかりで眠くなるから歌ってるのにと、口で嫌だの何だのと不満を訴える程は苦手でもない書類のファイリングをしながら尚も笑うリオンに何も返す気力がなくなったレオポルドは、以前の上司であるヒンケルも同じような思いを抱いたのだろうかと思案し、己のそれが正鵠を射ていることを何となく察するが、その時、リオンのデスクの電話が鳴り、ファイルを片手に受話器を耳と肩で挟んで返事をする。
 「Ja,ケーニヒです。ああ、はい。・・・・・・ボス、副社長から電話です」
 「ああ、回してくれ」
 そこからここの距離で電話を回す意味が分からないと呟きつつもレオポルドのデスクに電話を回したリオンは、ファイルをキャビネットに戻しつつデスクに座り、ラップトップを開いて今日の予定を確認するが、定時に帰宅する以外の予定が特に入っていないことから、今日は早く帰って何をしようかと考えるが、映画を観に行っても良いかも知れないと思い、上映映画の情報を検索する。
 ただ残念なことにリオンが観たいと思う映画の上映がなく、今日は大人しくお家でデートだと笑った時、電話を終えたレオポルドがさっきとは種類の違う溜息を零したため、何か問題が発生したのかと内心危惧しつつ仕事モードで上司の様子を窺う。
 「リオン」
 「Ja,どうかしましたか?」
 「先週の会議に出席していたのは誰か覚えているか?」
 少しだけ苛立った様子のレオポルドに珍しいことではないと分かっているリオンが、金曜日朝一番の会議であれば各営業所の所長が全員揃っていたこと、本社からは広報、企画からそれぞれの部長が出席したと、斜め前に回答でも書いているかのように上空を見上げつつ返事をすると、副社長がどうかしたのかと顔を戻す。
 「会議の議事録が欲しいらしい」
 「へ?まだ副社長に上がってないんですか?」
 リオンの素っ頓狂な言葉にレオポルドが溜息を零し、そんな瑣末なことを俺に言うな、副社長付きの秘書がいるのだからそいつに頼めば良いだろうと、今度は明確に苛立った様子で呟いた為、ボスが一番時間に余裕があるとでも思われたんじゃないかと笑うと、息子と良く似た双眸がじろりと睨んでくる。
 「俺を睨んでも知りませんよ」
 「余計な口をお前が叩くからだ」
 「八つ当たりはんたーい」
 今のは明らかに八つ当たりではないと、ここにウーヴェがいればすかさず反論しただろうが、広い会長室にレオポルドとリオンの二人きりのために奇妙な沈黙が流れるが、それを破ったのもリオンのデスクの電話の呼び出し音だった。
 受話器を取り先ほどよりは丁寧に受け答えをしたリオンだったが、通話を終えて不機嫌な顔の上司の前に向かうと、磨かれたデスクに片手をついて苦笑する。
 「相談役からの伝言です」
 「・・・・・・何だ」
 「下のカフェで人数分のコーヒーを用意してもらっているから頃合いを見て誰かに来てもらって欲しい、だそうです」
 相談役が珍しく会社に来る事を今朝レオポルドから教えられていたリオンは、彼女がくるのだから不機嫌なままだとまた何を言われるか分からないぞとニヤリと笑い、上司の不機嫌さを軽くさせようとする。
 「・・・・・・それもそうか」
 「そうそう。せっかくムッティが来るんだし。コーヒー、取りに行って来ます」
 「ああ、頼む」
 相談役、つまりはイングリッドが来るのだから不機嫌を直せと言外に告げてロビーに行って来ると伝えたリオンは、先程の議事録は議事録フォルダに保存してある事を副社長に伝わるようにヴィルマに伝言しておきますとも残すと、助かると頷くレオポルドにひらひらと手を振り、コーヒーを取りに行くために会長室を出て行くのだった。

 

  人数分のコーヒーとおまけのビスケットを器用に運んで来たリオンは、会長室の前の秘書室で今日は一人で仕事をしているヴィルマにまず差し出し、ビスケットも選んでもらうと、先程の副社長からの一件を伝え、彼女の同僚でもある副社長の秘書の無能ぶりを笑顔で罵るヴィルマに肩を竦め、副社長に渡るようにして欲しいと伝えると、溜息交じりにヴィルマが頷く。
 「会長に電話をする前に私に電話をくれれば良いのに」
 「そーだな、俺もそう思う。俺に電話をして来たけど、俺は書類仕事が出来ないと思ってるみたいで、ボスに直接電話をしていたからなぁ」
 仕方がないが愉快ではないと笑うリオンにヴィルマがなんとも言えない顔で頷くが、兎に角相談役が待っているのだから早く行ってと促される。
 「戻りましたー」
 「ありがとう、リオン」
 「ご苦労だったな」
 些か乱暴にドアを開けて入って来るリオンにもはや慣れてしまったのか、二人は何も言わずにソファでリオンを労い、お前もこちらに来いとレオポルドに手招きされる。
 「今日の仕事は終わりだ」
 「いやっほぅ」
 レオポルドの言葉に口笛を吹いて歓喜を表したリオンは、イングリッドが微笑ましそうに見守っていることに気付いて僅かに顔を赤らめる。
 「今日はベルトランのお店でランチをして来たのよ。リンゴのタルトを焼いてもらったから持って帰ってウーヴェと一緒に食べなさい」
 「マジ!?ダンケ、ムッティ!!」
 マジで嬉しい。オーヴェも喜ぶと、イングリッドに飛びかかりかねない勢いで喜ぶリオンをレオポルドが咳払いで制止し、早く座れとソファを示したため、二人と向かい合う形で腰を下ろす。
 「どうですか、二人とも変わりはありませんか?」
 「んー、平気。ああ、最近寒いのと乾燥してるから傷が痒いみたいで、良く背中を撫でてくれってオーヴェが言ってるなぁ」
 「乾燥?」
 「加湿器を置いてるんだけどな、リビングもベッドルームも広いからあまり効果が無いみたいなんだよ」
 昨夜も風呂上がりにボディクリームを塗って欲しいと頼まれて塗ったが、それでも夜中に痒くて目を覚ましていたみたいだと伝え、何か傷にも良い保湿クリームがないかとイングリッドを見たリオンは、今使っているのが肌に合わないのかと問われて小首を傾げる。
 「良く分かんねぇ。湿疹が出たり赤くなったりしてねぇから大丈夫だとは思うけどな」
 「保湿効果のある入浴剤を入れてみればどうだ?」
 「へ?そんなのあるのか?」
 「ええ。帰りにドラッグストアに行ってみなさい。色々なものがあるわ」
 香りを楽しむもの、肩凝りや腰痛に効くものから、オイル状になって素肌をしっとりさせるものや泡風呂も楽しめると教えられ、どうせなら泡風呂が良いとリオンが笑い、イングリッドも楽しそうに女性の方が色々詳しいだろうから、ウーヴェの秘書の彼女に聞いてみなさいとも教えられて大きく頷く。
 「背中の傷はどうだ?」
 「傷を薄くするオイル使ってるからちょっとずつマシになって来てる。ああ、そうだ。親父とムッティに報告しなきゃってオーヴェと言ってたんだけどな・・・」
 コーヒーを飲みながらウーヴェの傷の様子を問われて頷いたリオンが、何事かを思い出した顔で二人を見、暖かくなる前にウーヴェの腰の最も酷い傷を覆い隠すためのタトゥーをそろそろ入れて貰うつもりだと背筋を伸ばして報告すると、二人が顔を見合わせた後、ただリオンを信じている顔で頷く。
 「ウーヴェもそう言ってるんだな?」
 「うん。傷もこれ以上は良くも悪くもならないってアニキも言ってたから大丈夫だって」
 もうすぐ2年を迎えるあの事件、それを思い出させる傷を少しでも目立たなくさせるため–と言うよりは、これからもこの傷を抱えながらも自分らしく前を向いて歩いて行くための決意表明のようにタトゥーを彫る事を二人で相談していた事を報告すると、二人のことを信じきっている両親が頷くが、デザインなどあまり派手派手しいものはどうかと思うと控えめに提案された為、リオンが己の左足のタトゥーと同じデザインだと告げ、首を傾げられたために靴下を脱いで左足を二人の前に見せる。
 「それ?」
 「そう。これを大きくしてもらって、傷口を覆って貰う」
 リオンの左足には小さな太陽と同じく小さな三日月に前足と尻尾を絡ませたトカゲのタトゥーがあり、これと同じものを頼むつもりだと笑い、寒いからと靴下を履いてソファの上で足を組む。
 「これを彫ってくれたのはホーム出身のデザイナーで、俺とオーヴェの関係を良く知ってる」
 だからこその太陽と三日月だと照れたように笑うリオンにレオポルドとイングリッドが顔を見合わせた後に任せておくと再度頷き、それでウーヴェが少しでも傷を隠したいと思わないようになればと祈り、三人同時にウーヴェの横顔を脳裏に描く。
 「大丈夫だって、ムッティ。あ、入浴剤ってドラッグストアで売ってるんだよな?」
 「ええ。色々ありますよ。おすすめは泡が出るものだけど、もし迷いそうならフラウ・オルガに聞いてみなさい」
 「そーする。オーヴェどんなのが好きなんだろうなぁ」
 以前の大きなバスタブ–ジャグジーの付いたものでなくて良かったと笑いながら、どんな香りのものにしようか、泡が出るものが良いと想像し、イングリッドに先日買ったものもよかったと教えられたため、どこのメーカーか盛り上がり、レオポルドに些か呆れられてしまうのだった。

 

 日中の晴天は夜になっても続いていた為、冬の星座が澄んだ空気の遥か上空でキラキラと光り、その下をご機嫌の証の鼻歌交じりにリオンが運転する。
 助手席では1日の診察の疲れを両肩に乗せているような顔のウーヴェがシートを半ば以上倒していたが、入浴剤を買おうと思うと告げられてシートの上で身体ごとリオンへと振り向く。
 「入浴剤?」
 「そう。昨日も夜中に身体が痒いってモゾモゾしてただろ」
 部屋の乾燥が傷口も乾燥させてしまい、結果痒みを覚えているのではないかとリオンが赤信号で停止したのを良いことに、ウーヴェへと顔を向けて額を撫でる。
 「・・・そうかも知れないな」
 「だろ?で、ドラッグストアで色々あるから探せってムッティが教えてくれた」
 「母さんが来たのか?」
 「うん。ランチでゲートルートに行ったって。あ、そうだ。りんごのタルトを貰ったからメシ食ったら後で食おうぜ」
 「うん」
 余程疲れているのか、起き上がる事をせずにただ頷くウーヴェの髪を撫でてちょっとドラッグストアに寄るから待っていてくれとキスとともに告げ、信号が変わると同時にアクセルを踏み込む。
 「リーオ、どうせなら泡が出る入浴剤にしないか?」
 「ん?泡風呂が良いか?」
 「気持ち良さそうじゃないか」
 「そーだなー。それも良いなぁ」
 泡で全身を包んで温まった後、保湿効果の高いボディクリームでマッサージをしようと口笛を吹くリオンに頷いたウーヴェは、寝ているからドラッグストアでの買い物は任せる、今日の晩ご飯はピッツァで良いかと問いかけ、返事の代わりに大きな手が再度髪を撫でたために安堵のため息をこぼし、取り出したスマホからいつものイタリアンレストランにテイクアウトのピザの注文を済ませると、デザートのジェラートも忘れずにオーダーし、二種類のデザートが食べられるとリオンを更に喜ばせるのだった。

 イタリアンレストランでピッツァとジェラートを受け取り、ドラッグストアで数種類の入浴剤と泡が出るタイプのものとボディミルクと呼ばれるスキンケア商品を買い込んだリオンは、ウーヴェの疲労がいつも以上にひどい事に気付き、夜中ほとんど寝ていないのではないかと危惧してしまう。
 エレベーターを降りて自宅に入ると同時に疲労のため息を零すウーヴェに予想的中と呟くと、ピッツァとジェラート、ベルトランのリンゴのタルトを駆け足でキッチンに運び、ジェラートを冷凍庫に投げ込んだリオンは、同じ速さで玄関まで戻ってくると、疲れた顔で待っているウーヴェを荷物か何かのように抱き上げ、いつもならば羞恥から投げかけられる制止の言葉が聞こえてこない事にそのままリビングへと向かう。
 「リーオ?」
 「風呂の用意をしてくるからここで待ってろ」
 暖炉の炎が小さいながらも残っている為に暖かいソファベッドにウーヴェをそっと下ろしたリオンは、訝る顔にキスをし、風呂の用意をしてくると告げるが、どの入浴剤を使うと問いかけて買って来たばかりのものをウーヴェの前に並べる。
 「・・・泡が出るやつ」
 「んー、これかなー」
 オレンジ色のボトルを片手に待っていてくれと再度言い残してリビングを出て行ったリオンだったが、ウーヴェが自宅に戻って来た安堵からうたた寝をしてしまい、気づいた時はリオンによってベッドルームに運ばれていた。
 ベッドの上で目を覚まし、珍しく呆然と周囲を見回したウーヴェは、気持ち良さそうに寝ていたが風呂の用意が出来た為に起こしたとリオンにキス交じりに告げられて頷き、風呂に入るから服を脱げと言われて素直に服を脱ぎ始める。
 「こんなに素直なオーヴェなんて年に何回あるかなー」
 本当に珍しいと笑いながらウーヴェが脱いだ服をひとまとめにしてランドリーボックスに無造作に放り込んだリオンは、己も服を脱ぎ出すものの、睡魔がたゆたう双眸に不思議そうに見つめられて居心地悪そうに眉を寄せる。
 「どうした?」
 「・・・いや、お前も入るのか?」
 「入る!あの泡を見て入らないのはもったいねぇ!」
 バスルームが映画の世界になっていると、訳のわからない感動に拳を震わせるリオンに無言でため息をついたウーヴェは、今日は足に力が入らないからと言い訳をし、下着一枚になったリオンに手を伸ばす。
 「リーオ、連れて行ってくれ」
 「ん、了解」
 珍しく甘えてくるウーヴェに顔を綻ばせつつ難なく痩躯を抱き上げたリオンは、バスルームに入ってほらとウーヴェの視線を誘導するように呼びかけると、確かにそこだけが映画の世界のようになっていた。
 バスタブに溢れ出しそうなほどのキメの細かな泡が盛り上がり、その泡を押しのけて入る事に躊躇いすら感じる程だった。
 「頑張ってあわ立てたのか?」
 「いや?キャップ一杯入れて湯を張っただけ」
 すごく泡立ちが良いと感心しつつウーヴェをバスタブ横の椅子に座らせたリオンは、ノロノロと下着を脱ぐウーヴェを尻目に自らも裸になり先にシャワーブースでシャワーを浴びると、泡を潰すようにバスタブに飛び込む。
 「こらっ」
 「オーヴェ、気持ちいい!早く入れよ」
 子供のように騒ぐリオンを少しだけ睨んだウーヴェだったが、同じくシャワーブースでシャワーを浴びると、リオンの手を借りてバスタブに入る。
 途端、身体に纏わりつくキメの細かい泡に感動すら覚えそうになり、両手で泡を掬っては落とすという手遊びをしてしまう。
 「気持ちいいな」
 「良いよなぁ。何で今まで知らなかったんだろ」
 今まで泡が出るものと言えば香りが良いシャワージェルで、ひどい時にはその泡で髪も洗っていたと笑うリオンにウーヴェが苦笑し、確かにそうだったと、結婚するまでのリオンの様子を思い出す。
 「バスタブが無かったからじゃないか?」
 「そう言えばそうだったっけ」
 バスタブがあるほど広い家に住んで無かったと笑うリオンにウーヴェが当時を思い出して肩を揺らすが、再度両手に泡を掬うと、リオンのくすんだ金髪にまるで王冠よろしくそっと載せる。
 「オーヴェ?」
 「・・・王に相応しいと思ったけど・・・」
 王というよりは蜘蛛の巣を頭に貼り付けてしまった間抜けな冒険者みたいだと、己の伴侶の様子にくすくすと笑うとリオンの頬が次第に膨らんでいく。
 「どーいう意味だよ、オーヴェ!」
 「ははは、うん、どういう意味だろうな」
 「こっちが聞いてるんだっての!!」
 人の頭に泡を載せて何を楽しそうに笑っているんだと詰め寄るリオンとの間に手を立てて顔を押しのけようとするが、この野郎と一声吠えたリオンがウーヴェの頭にも髪と似たような色合いの泡を載せた為、こらと睨んでみても全く効き目はなく、それどころかニヤリと笑って挑発された為、更に泡をくすんだ金髪に載せていく。
 「オーヴェ、やめろって!」
 「うん、似合うな」
 「そーゆー問題じゃねぇ!!」
 あーもー、俺の陛下は一度ツボに入ったら何をするか分からないと吠えたリオンがウーヴェの両手を封じる為にその手首を掴むが、ウーヴェの目が見開かれたと同時に素早く引き寄せてキスをする。
 「────っ!!」
 「はいはい、大人しくしなさーい」
 驚くウーヴェの身体を泡と一緒に抱きしめてくるりとバスタブの中で反転させたリオンは、ウーヴェの薄い腹の上で手を組み、顎に肩を載せてそっと後ろから抱きしめる。
 「泡風呂、気持ち良いな、オーヴェ」
 「・・・ああ」
 予想外に気持ち良いものだなと、リオンの胸板に背中を預けて頷くウーヴェがリオンの手を掴んで泡の中から引っ張り出した為、何をするのかを見守っていると、泡が流れ落ちた掌に小さな音を立ててキスをする。
 「ダンケ、リーオ。これで少しは傷が痒いのが治るかもしれない」
 「そっか。そうなれば良いな」
 「ああ」
 無理ならまたボディクリームを塗ってくれないかと、ウーヴェが軽く顎を持ち上げて振り返った為、頬にキスをしたリオンがもちろんと頷くが、ボディミルクってのも買ったから好きな方を使おうと笑いかけ、バスタブに凭れ掛かりながらウーヴェの身体も引き寄せる。
 さっきとは違って大人しく引き寄せられるウーヴェの髪にキスをし、痛みはどうだと問いかけ、腰の傷が時々どうしようもなく痛くなるが大丈夫だと返されて安堵の溜息を泡に落とす。
 「親父とムッティにタトゥーの話した」
 「うん・・・大丈夫、だ、な・・・」
 「ああ、大丈夫。リッシーもベラも分かってる。俺も横にいるから」
 だから不安かも知れないが、彼女たちに全て委ねてしまおうと誘うと、不安を払拭するようにリオンの手の甲を撫でながらウーヴェが頷く。
 「・・・リザードが、還ってくる・・・」
 「ああ。ちょっと形は変わるけどな、やっとお前のリザードが還ってくる」
 あの事件で身体をなくしたリザードが形を変えてお前の腰に新たな生を受けるのだとリオンが囁き何度目かのキスをウーヴェの髪に落とすと、ウーヴェが全幅の信頼を置いている証に頷き、どんなデザインか楽しみだと告げ、先ほどキスをしたリオンの手を顔の前に掲げると、薬指に光るリングに口付けて小さく欠伸をする。
 その、甘えているような仕草にリオンがウーヴェの疲労度を推し量り、本当に疲れているなと呟いて肩に湯を掛ければ、ホッとしたような吐息が一つ落ちる。
 「今日は随分疲れてるな、オーヴェ」
 「・・・患者が多かった訳じゃないけど、何か疲れた」
 「そっか。メシ食えるか?」
 無理なら頭を洗ってそのままベッドで横になっても良いぞと心配を隠さないで囁くリオンの頭を後ろ手に抱き寄せたウーヴェは、ダンケ、今日はもうこのまま寝ると伝えると、リオンが労うようにウーヴェの髪をかき上げ、姿を見せた額にそっとキスをする。
 「出たらマッサージするからまだ寝るなよ」
 「・・・うん」
 寝るなとリオンに釘を刺されるものの、バスタブの温もりと背中を預けているリオンの肌に触れている安堵と疲労から瞼が下がってきてしまい、リオンの呼びかけに答えられなくなってしまう。
 ウーヴェから微かな寝息が聞こえてくることに気づいたリオンが仕方がないと溜息を零すが、覗き込んだ顔が本当に穏やかなものだった為、うたた寝を二度も起こすのも忍びない思いから極力静かにウーヴェを抱き上げてバスタブから出るものの、身体中に纏わりつく泡を流すのに少しだけ苦労してしまうのだった。

 今日は雪が降って朝からどんよりしている、こんな時はオーヴェをハグして暖炉の前のソファで寝転んでいたいのにどうして仕事をしなければならないんだ、休みになってしまえば良いのにと、昨日とは真逆の理由から休みたいソングを出勤直後から歌っていたリオンは、最早突っ込む気力もなくした顔のレオポルドにニヤリと笑いかけ、下のカフェで買って来たコーヒーを上司に差し出す。
 「おはよう、親父」
 「・・・おはよう」
 「昨日ムッティが教えてくれた入浴剤、試してみた」
 始業時間前だからと、二人ソファに向かい合って腰をおろし、自分達のために淹れてくれたコーヒーをゆっくりと味わっていたが、リオンが良いものを教えてもらったと礼を言い、レオポルドが良かったかと問い返すのに大きく頭を上下させる。
 「泡が出るものにしたけど、すげー気持ちよかったみたいで、オーヴェ、風呂の中で寝ちまった」
 「風呂で寝たのか?」
 「うん。まあ昨日は一緒に入ってたから問題は無かったけど、一人の時は危険だから使わない方が良いかも」
 「・・・一緒に風呂に入っているのか?」
 「へ?親父は入ってねぇのか?」
 レオポルドの素朴な疑問がこの世で最も愚問だと言いたげな顔でリオンが返し、二人の間になんとも言えない沈黙が流れるが、咳払いをしたレオポルドよりも先にリオンが不気味と称される笑みを浮かべてソファの上で胡坐をかく。
 「親父、ムッティと一緒に風呂入ってねぇんだー?」
 「そ、それがどうした!」
 「べーつにー?何か可哀想だなーって思ったなんて言ったら親父が可哀想だから言いませーん」
 「!!」
 リオンのその言動にレオポルドの顔が見事に真っ赤になり、つい拳を握りしめて腰を浮かせてしまうが、己の身に危険が迫った時のリオンの身のこなし方は誰にも真似できない素早いものがあり、ソファの背もたれを軽々と飛び越えると、それをバリケードのようにしてレオポルドと対峙する。
 世界的な企業の重厚さが十分漂う会長室で繰り広げられるそれは、到底この部屋にはふさわしくないものだったが、当事者にとっては真剣そのものだったため、ドアが開いてヴィルマがおはようございますと挨拶をした時でさえも二人はソファを挟んで睨み合ったままだった。
 「・・・・・・会長?リオンも何をしているの?」
 事情が全く読めない彼女が珍しく躊躇しつつ問いを発するが、二人同時に捲し立てられてしまい、私は古代の聖人ではない、一人の言葉しか聞き取れないから同時に喋らないでくれと呆れられてしまい、レオポルドが醜態を見せたことに気づいて咳払いをする。
 「・・・おはよう、ヴィルマ」
 「おはようございます、会長。────リオン、どうしたの?」
 「親父がムッティと一緒に風呂に入れないからって八つ当たりしてくるんだよ」
 「誰が八つ当たりをした!」
 「親父!!」
 ヴィルマの問いにリオンの顔に不敵な笑みが浮かび上がるが、言い放たれた言葉がある種の爆弾となって彼女の顔面で炸裂したのか、ヴィルマが目眩を堪える顔でうつむいてしまう。
 「・・・会長、八つ当たりも程々にしてください。リオン、ウーヴェ様と一緒にお風呂に入るのはいいことだけど、朝一番で聞きたい話題じゃないわね」
 場所を弁えなさいと、男二人が唯一の女性であるヴィルマにビシッと釘を刺されてしまい、どちらも喉の奥で奇妙な声を発してしまう。
 「そろそろ始業時間です」
 「────リオン」
 「Ja」
 「今日は午前中に書類仕事を終わらせたら午後から外出する。一緒に来い」
 「了解です」
 先程まで下らないといえば本当に下らない事で睨み合っていた二人だったが、始業時間となれば気持ちを切り替えることが出来るため、今日の予定を確かめること、午後からの外出には一緒に行くことと再確認をすると、リオンも仕事へと気分を切り替えた顔で小さく頷く。
 そんな二人の様子にやれやれと溜息を絨毯の上に落としたヴィルマは、ギュンター・ノルベルトと少し遅れて入ってきたヘクターにどうしたと問われ、なんと返せば良いのか分からないと肩を竦め、後から入ってきた男二人の頭を混乱させてしまうのだった。

 

 その後、二人が気に入った泡が出る入浴剤だが、使うと高確率でウーヴェがバスタブの中で眠り込んでしまうことが発覚し、溺れてしまっては大変だからと、使いたい時には必ずリオンが一緒に入ること、リオンが出張などで不在の時には絶対に使わないことが二人の間で取り決められる。
 だが、リオンがいる時にはほぼ毎日ウーヴェがそれを入れてくれと頼むため、またリオン自身も気に入っていたため、この冬の間のウーヴェの自宅のバスタブは常にキメの細かい泡に覆い尽くされ、温かな湯気とともにモコモコと幸福感すら覚える光景を見せているのだった。

2019.02.10
やっぱりね、リオンはどこにいてもリオンでした(爆)諦めろ、親父(・_・;


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