冷たい雨が夕方から降り続き、いつしかそれが雪交じりの雨へと変化をした夜半近く、恋人が冗談半分で買い求めてきた子供用のガウンがちょうど良い大きさだった彼、森千暁はそれがやけに気に入ってしまい、冗談だから大人用の物と交換してくると恋人が苦い顔をしてもこれで良いと言って手放さなかったそれを着込み、一人静まりかえった広いリビングのソファでテレビを見ていた。
こんな寒くて静かな夜はまるでこの世に一人きりになってしまったような錯覚を抱くと、なるべく考えないようにしている事が脳裏を過ぎり始める。
この家の主であり、千暁の同性の恋人でもある赤い髪ののっぽさんこと、カイン・ハイドフェルトは、ドイツ国内でも有数の金融市場を持つこの街で若手のバイヤーとして名を馳せていて、その資産は友人から聞かされただけでも千暁からすれば生涯を掛けても稼ぐことの出来ないものだった。
見た目の特徴はやはりその身長だが、先日友人が遊びに来た際に冗談交じりに身長を測ったのだが、明らかに190センチは越えていた。
毎日毎日牛乳を飲んだり背伸びをしたり、様々な民間療法を取り入れて身長を伸ばそうと懸命に努力しても150センチを少し越えるぐらいにしか伸びなかった千暁からすれば、40センチ近くの身長差は嫉妬の対象から外れてただ開いた口がふさがらないと言う心境に陥れてくれるだけだった。
赤い髪ののっぽさんと千暁が表現するように、仕事中はいつも丁寧に撫で付けられて額を見せているカインの頭髪は一見不自然なほどの赤毛で、赤毛の特徴でもあるらしく肌は驚くほど白かった。
千暁からすればその肌の白さなどには憧れを抱くが、染色したのかと疑われかねない赤い髪と白い肌、そして何よりもカインという名前のせいで、幼い頃から良く虐められた事もあったらしいが、成長してからはそれを逆手に取り、バーで知り合った女性を口説き落とすときのネタにしたりと、幼い頃の虐められた記憶を踏み台にしたたかな大人に成長していた。
そのカインを特徴付けるのは身長と髪の色だけではなく、切れ長のグレーの瞳と左右の耳に開けられている合計10個のピアスだった。
仕事中はさすがにピアスを外しているが、一つだけ外さないピアスがあった。
それはトラガスと呼ばれる耳の軟骨に付けたピアスで、幼馴染みとの約束を忘れない為のものだそうで、シャワーを浴びるときも寝るときもそれを外しているのは見たことが無く、せいぜい汗を掻いたときの消毒などで外す程度だった。
仕事柄清潔感と真面目さが必要不可欠なはずなのだが、それだけは許容されているのか、それともそれを不謹慎だと思う声をかき消すほどの実績を上げているからか、同僚や会社、そして顧客からのクレームを受けたことはないそうだ。
そんな特徴だらけと言えばその通りのカインと知り合ってからは割と長いが、付き合いだしてからはまあだまだ日が浅い千暁は、彼とはまるっきり対照的な外見的特徴を持っていた。
身長は先にも書いたが150センチ少々で、近所の小学生にも背を抜かれている程小柄だった。
幼い頃からピアノが中心の暮らしをしていた為か、余り外で遊ぶことも出来ずに肌は日本人にしては白かったが、頬だけはいつも何故かうっすらと赤味を帯びていた。
もしも願いが叶うのならば後20センチは身長が欲しい事と、この童顔を何とかして欲しいと願ってしまうほど千暁は童顔だった。
この街に初めて留学生としてやってきた時などは、大学が用意してくれた共同住居に共に暮らす事になった面々に小学生かとからかわれた程だった。
だが、黙ってからかわれる程千暁は大人しくもなかった為、笑い飛ばす連中の臑を思い切り蹴り飛ばして痛めつけ、言葉の暴力は身体の暴力よりも痛いんだと英語とドイツ語と日本語混じりの言葉で訴えた。
それが功を奏したのか、共同生活を送る様になった面々にはあっさりと打ち解け、その後の学生生活をかなり満喫させてくれるようになったのだが、そんな笑い話では済まされない事件を巻き起こすほどに彼は童顔だった。
千暁の髪はアジア人に多い黒に近い色で、瞳も少しだけ色素の薄い黒目がちな瞳だったが、その大きさもまた彼の悩みの一つというか、彼の童顔を強調する程の大きさを持っていた。
驚くべき目の大きさと童顔、うっすらと赤味を帯びた頬と背の低さから、この街を歩いていると警察官から身分証の提示を良く求められたりもしていた。
己のコンプレックスが童顔と身長の低さだと誰よりも知っている千暁は、自分とは正反対の恋人の容姿を脳裏に思い描き、このまま付き合っていても良いのだろうかと今更ながらに悩み始める。
千暁の感覚からすれば、背も高くて稼ぎも良いカインは女性から見れば彼氏にしたいと思うタイプだろう。
人それぞれ好みはあるだろうが、背が低いよりも高くて、稼ぎが少ないよりも多い方が良いに決まっている。
しかもひょんな事情からカインの家に同居するようになってからは、毎夜のように美しく着飾った女性がその家に出入りしていたのだ。
そんな姿を見てきた為に、今カインが自分と付き合っている事が何やら不思議に感じてしまい、本当に自分で良かったのだろうかと過去を振り返って思案してしまう。
その思案の糸を断ち切ったのは微かに聞こえてきた車のエンジン音だった。
すっかりと聞き馴染んでしまった恋人の愛車のエンジン音につい笑みが浮かび、ガウンの襟元をしっかりと合わせてソファから立ち上がる。
ガレージ内に車が入ってきた音が響き、程なくしてドアが開く音が遠くに聞こえた後、次第に足音が大きくなってくる。
そしてデザイン性の高い磨りガラス製のドアが開き、長身の足が姿を見せる。
「まだ起きていたのか?」
「お帰り、カイン!」
ソファを回り込んで長身の彼の前に飛び跳ねるように向かった千暁は、ご飯はどうする、酒は何か飲むのかと口早に問いかけて灰色の瞳に煩いと睨まれてしまい、眉尻を下げてごめんと肩を落とす。
「────メシは要らない。ビールを飲む」
「うん。じゃあ用意してくるから、着替えを・・・?」
カインの言葉に気分を切り替えてビールを出しに行くと笑顔を浮かべる千暁は、踵を返してキッチンへと向かおうとするが、腕を掴まれてしまって動きを止められてしまう。
「カイン?」
「ビールは止めだ」
「え?」
その呟きが聞こえた瞬間、千暁の視界が急に暗くなったかと思うと、背中が大きな温もりに包まれる。
カインに抱きしめられている事に気付いたのは、カインが首筋に顔を埋めるように擦り寄せ、愛している、千暁と呟いたからだった。
「────うん」
日本では言ったこともなければ言われたこともない言葉をドイツ語で言われてしまい、当初はただただ照れと戸惑いにどんな言葉も返せず態度でも受け入れる事も出来なかったが、その一言に込められている思いを、頭髪と同じ色に顔を染めたカインに告げられてからは、短い言葉でも返すようにはなっていた。
その、千暁の精一杯の短い言葉にカインが頷いて小さな身体をそのまま抱き上げ、見下ろしてくる大きな瞳に目を細めると、そっと口付ける。
「・・・ビールの代わりに白ワインを開けよう。アキも飲むか?」
「ホットワインにしても良い?」
「ああ」
お前の好きにすればいいと頷くカインの首に腕を回してしっかりとしがみついた千暁の顔にじわりじわりと笑みが浮かび上がり、ウーヴェがお裾分けにくれたバゲッドがあるからブルスケッタを作ったと伝えれば、美味そうだという声が返されて更に嬉しさが増してくる。
「一緒に食べよう、カイン」
「ああ」
だったらキッチンで用意をしているから、着替えを済ませてキッチンに来いと告げた千暁にカインが笑みを浮かべて頷いて小さな身体をリビングの床に下ろす。
くしゃくしゃと黒髪を撫でるカインに嬉しさを隠さない千暁が笑いかけ、精一杯背伸びをすると、微かな笑みが浮かんでいる唇に小さく音を立ててキスをする。
「お帰りなさい、カイン。お仕事お疲れ様」
「ああ。ただいま」
やっと言いたかった言葉を伝えた千暁にカインも彼から教わった日本語で返せば、更に千暁の顔に笑みが浮かぶ。
その顔が見たくて毎日毎日働いていると言っても過言ではないカインだった為、望むものを見られた歓喜に唇の端を持ち上げてもう一度彼の黒髪をくしゃくしゃにすると、着替えてくると言い残し、キッチンとは反対側にある磨りガラス張りのドアを開けてベッドルームに向かうのだった。
白をベースにした明るく広いキッチンの中央に、4人は並んで座れる長さと幅を誇る白いカウンターがあり、背の高いチェアが対面に二つずつ並べられているが、今日はどうやらカインの気分がそうだったらしく、いつもは向かい合わせに座って食べるのに、並んで肩を寄せ合うように座っていた。
二人の前には千暁が丹精を込めて作ったトマトやマッシュルームを使ったブルスケッタが香ばしく焼かれて食欲をそそるような匂いを立てていて、白ワインが注がれたグラスと湯気を立てるマグカップも置かれていた。
「美味しいね、カイン」
「ああ」
千暁の嬉しそうな顔とは対照的に素っ気ない顔で頷くカインをちらりと見た彼は、無理矢理食べさせているのではないのかとの思いを抱き、無理に食べないでも良いよと言い掛けた矢先、カインの手が千暁の頭にぽんと載せられる。
「要らないときは要らないと言う」
「・・・うん」
例え自分が余り嬉しそうな顔をしていないとしてもお前の料理は出来る限り食べると苦笑混じりに告げてくしゃくしゃに髪を乱すと、止めてよと文句を言いながらも千暁の顔に笑みが浮かび上がる。
上手く思いを伝えられずに悲しい顔をさせてしまうが、カインが望んでいるのは千暁の笑顔だった。
己の不器用さを内心自嘲しつつも、やはり見ることの出来た笑顔にカインの心も無意識に丸くなってくる。
「これ、クリームチーズとかモッツァレラとか載せても美味しいかな」
「どうだろうな。リオンがいるときには止めておけよ」
「え?」
ブルスケッタを頬張りながら呟く千暁にカインがたいそう真面目な表情で告げると、どうしてと振り仰いできた為、リオンの好物は何だと片目を閉じる。
「・・・・・・あ」
「あいつのことだ、上に乗っているチーズだけを食い尽くすぞ」
「うわぁ・・・それはヤダなぁ」
それじゃあ単なるガーリックトーストになってしまう事に気付き、くすくすと笑う千暁に肩を竦めたカインは、だからもし作るのならばそれはウーヴェに任せてアキは他のものを作ってくれと告げると、程なくして勿論というやけに頼もしい声が返ってくる。
「次の休みはカインはどうするの?」
「・・・・・・・・・金曜に休みを取るから、三連休になる」
だからお前さえ良ければ旅行に行かないかと誘われ、大きな目がこぼれ落ちそうな程見開いた千暁は、瞬時に表情を切り替えてどこに行くのと頬杖を着く。
「そうだな・・・ハイデルベルクなんてどうだ?」
「何があるの?」
「色々あるぞ」
「ふぅん・・・・・・カインの車で?それとも電車?」
「車だな」
じゃあ楽しみにしていると浮かれる千暁に約束のキスを頬にしたカインは、ごちそうさまと、これもまた千暁に教え込まれた日本語で挨拶をすると、白ワインを飲み干して立ち上がる。
「あ、そのままで良いよ。後で片付けるから」
「馬鹿。片付けなど明日の朝に纏めてやってしまえ」
いちいち洗わなくても食器類もカトラリーもあるだろうと呆れた様に告げられた千暁は、この国に初めて来た時にも教えられた習慣だがやはりまだ慣れないと肩を竦めると、恋人に習って背の高い椅子から飛び降りる。
そして今度はカインの背中に飛びつくと、重いと言いながら腕を掴んで片手で尻を支えると器用に前に抱き直されてしまう。
「そろそろ寝るか?」
「明日も頑張って働いてね、カイン」
僕は本当に何も出来ないけれどと思わず自嘲を零すと、磨りガラスのドアが勢いよく開けられて大股でベッドルームをカインが横切り、二人で使うには十分の広さがあるダブルベッドに荷物よろしく放り投げられてしまう。
「うわっ!!」
「今何かくだらな言葉が聞こえたんだが、気のせいか?」
ベッドの中央で上体を起こした途端、長身のカインにのし掛かられてしまい、千暁が苦しいと悲鳴を上げて手足をじたばたとさせる。
「何か言ったか?」
「い、言ってない!言ってない!!」
つまらない事なんて言ってないと叫んだ千暁をにやりと笑みを浮かべたカインが見下ろし、彼が着ているガウンの紐をするりと解いてあっという間にパジャマすら脱がしてしまう。
「・・・っ!!」
下着一枚の姿にさせられて羞恥の余り真っ赤になった千暁だったが、見下ろしてくるカインの顔がやけに真剣なことに気付いて目を瞠り、降ってくるキスをしっかりと受け止めながら目を閉じる。
「周りが何を言っても気にするな」
お前がここに、俺の横にいてつまらない事で膨れたり、他愛もない事で笑ったりする、それ以上に大切な事なんて何も無いと告げられ、目を閉じたまま頷いた千暁は自嘲ではなく、明日は今日よりも少しでも成長する為の誓いとしてごめんと告げると、その真意を察したカインが優しく千暁を抱きしめる。
「────温かいね、カイン」
きみのことを冷たい奴だと言う人もいるが、僕や僕たちの大切な友人にとっては本当に暖かな人だと囁き、自分と比べれば遙かに広い背中に腕を回して身を寄せれば、そっくりそのまま同じ言葉を返すと言われて瞬きをする。
「本当に温かいのはお前だ、千暁」
「本当にそう思う?」
「ああ」
お前は自分にとって太陽のような存在だと言い掛けた言葉をさすがに気恥ずかしさから飲み込んだカインは、恋人の表情が一変して泣き笑いの顔になった事に気付いて灰色の目に驚きの色を滲ませる。
「・・・ダンケ、カイン」
きみにそんな風に言われるなんて本当に嬉しいとその顔のまましがみつかれ、宥めるように背中を撫でたカインは、いつもならば言わないで己の裡に収めた先程の言葉を告げると、驚いたような気配の後、言葉には言い表せない歓喜の気配が伝わってくる。
その歓喜に心が喜んでいる内に、即物的と言われようが今すぐ中に入りたいと囁いたカインは、やや躊躇うような、だがそれでも決して拒否をしない恋人に受け入れて貰い、その後お互いの熱に荒い息を吐いて二人同時に快楽の海に溺れてしまうのだった。
そうして素肌のまま抱き合って息を整えた二人は、真冬に逆戻りしたような外気の寒さを当然感じることも室内の裸では感じてしまう寒さも感じる事はなく、ただお互いの体温で互いを暖め合って穏やかに眠るのだった。
2011/03/21


