春の訪れを告げるカーニバルが終わりを迎えた翌朝、昨日までの文字通りのお祭り騒ぎの名残を感じながら仕事に励んでいたリオンは、日を追うごとに春らしい気配が街中に広がるのを肌で感じるだけでつい浮き足立ってしまう。
厳しくて長い冬が終わりを迎え、これからは一日が長くなって明るさを取り戻すのだ。
春が来れば何故か浮かれるリオンにハンサムの同僚がお前は動物かと嘲笑するが、俺が動物ならお前も動物だと言い返してささやかな内乱が勃発するが、彼らの上司が厳つい顔を赤く染めて怒鳴り散らした結果、その内乱はあっという間に鎮圧されてしまう。
そんな平和なことこの上ない午後を過ごし、仕事が終わったその足で恋人が開業しているクリニックに向かったリオンは、鼻歌交じりに階段を駆け上り、重厚な両開きのドアの前に立つと勢いよくドアを開け放つ。
「・・・もう少し静かに入って来られないのか、リオン」
「ハロ、オーヴェ」
その物音にびくんと肩を竦めたらしい恋人の苦笑に笑顔で片手を挙げたリオンは、ウーヴェが両手で花瓶を持っている事に気付いて軽く目を瞠る。
「どうしたんだ?」
「・・・いきなり飛び込んでくる奴がいるからな。護身の為にこれを持っていたんだ」
「は!?」
それはもしかして、もしかしなくても俺の事かと素っ頓狂な声を挙げたリオンの前ではウーヴェがにやりと意味深な笑みを浮かべ、キッチンスペースへと姿を消す。
「ちょ、オーヴェ、マジでそれを使って殴る気だった・・・!?」
「もしそうだと言ったらどうする?」
ウーヴェの後を追いかけて駆け寄るリオンを煩そうに見つめて囁けば、リオンの顔がみるみるうちにその瞳と同じ色合いに変化をする。
「・・・冗談だ」
「んなー!お前の冗談は笑えねぇ!!」
己の後ろでがなり立てるリオンの前でわざと耳を押さえて煩いと意思表示をしたウーヴェだったが、次いでがっくりと肩を落とした恋人に眼鏡の下で瞬きをし、どうしたと声を掛ける。
「どうせ・・・俺は煩いですよーだ」
そんな意地悪な事を言うオーヴェなんか嫌いだ、くそったれ。
ぶつぶつと文句を垂れればウーヴェからさすがに言い過ぎたかと己の言動を反省するような気配が伝わってくるが、そんな事では許しませんと鼻を啜る。
「煩い俺は帰ろうかなー」
「リオン?」
「せーっかくさぁ、暖かくなって嬉しいしカーニバルを見に行ったときも楽しかったから、それで嬉しくなってるだけなのになぁ」
そんな俺の気持ちを少しも理解してくれないウーヴェなんか嫌いだと言い放つと、花瓶に水を注いでいた手が止まって花瓶をシンクに下ろしたかと思うと、頬に宛がわれてそっと撫でられる。
「・・・リーオ」
「・・・んだよ」
「うん────悪かった」
小さな声で謝罪をしつつ額に額を重ねてくるウーヴェに内心ほくそ笑んだリオンだが、その思いを顔に出してやらないと決めつつも、額と頬から伝わる優しい温もりには勝てずについつい痩躯に腕を回して抱きしめる。
「許してくれないか、リオン」
「どうしようかなー。オーヴェ次第だな」
お前を傷付けるつもりは無かったんだと、言い訳ではない本心から告げられてすっかり浮上するが、自分を傷付けたと思って不安に陥る恋人の顔など滅多に見られるものではない為、あと少しだけ堪能させて貰おうと決めて何をしてくれるんだと問い返す。
「・・・お前は、何をして・・・欲しい、んだ・・・?」
途切れ途切れの声からもその思いがウーヴェの心の奥底から発せられている事を確認し、さすがにその声を出させるまで追い詰めるつもりはなかったリオンが瞬間的に表情を切り替えてウーヴェの白い髪に手を差し入れると、息苦しさを訴えるほど抱きしめる。
「────キスしてくれよ、オーヴェ」
それで全て許しましょうと明るい声で告げたリオンは、再度頬を包まれる感触に目を伏せ、微かに震える唇がおずおずと触れたその時を狙って腰に回した手で身体を抱き寄せる。
「・・・ん・・・っ」
「・・・はい、良くできました」
最高のキスをありがとうと囁いて白い髪に口付ければ、安堵の溜息がこぼれ落ちる。
「な、オーヴェ、新しい花でも買ってきたのか?」
「ああ、リアがスイセンを買ってきたんだ」
「ふぅん」
ここのクリニックの本棚には一輪挿しがいくつか飾られたり、オルガが受付をするデスクの横には今ウーヴェが水を入れていた花瓶が邪魔にならないように飾られたりと、季節の花々がひっそりと疲れた心で訪れる患者達を出迎えていた。
その一つが今が盛りと咲き誇るスイセンの為に用意されている事を知り、花にあまり興味のないリオンでさえも知っているその花を花瓶に挿したウーヴェが花瓶を両手で持つが、ひょいとリオンの手がそれを奪い取る。
「リアのデスクに飾るのか?」
「ああ」
先程の怒りの片鱗すら見せずに笑顔で花瓶を抱えるリオンに苦笑し、ありがとうと告げたウーヴェは、彼がその花瓶を望みの場所に下ろしたのを見計らい、背中から腕を回してそっと抱きつく。
「オーヴェ?」
「・・・ごめん、リーオ」
許してくれと消え入りそうな声で謝罪をするウーヴェに目を細めたリオンは、ウーヴェの腕の中で何とか身体を反転させると、俯いたままの頭を胸に抱え込む。
「今日さ、トマトソースのパスタが食いたいなー、なんて思うんだけど、オーヴェはどうだ?」
「・・・ペペロンチーノが良い」
「んー。それも良いな。食いに行く?それとも・・・」
お前の家で二人で一緒に作ろうかと陽気に誘いかけると、お前は食べるだけの人だろうと問われてその通りと胸を張るときに出す声で返事をすれば、ようやく胸の辺りから小さな笑い声が流れ出す。
「俺の家でペペロンチーノを作ったらさ、明日すげーニンニク臭ぇだろうな」
ああ、そのニンニク臭い口でボスに盛大に文句を垂れてやろうかなと、お前はアクマかと言われるようなことを嘯くと小さな笑い声が少しだけ元気を取り戻したように明るさを増量させる。
「・・・トマトのパスタとペペロンチーノと。あ、そうだ。グリッシーニも食いたいな」
「帰りに店に寄って買おうか」
「賛成!」
パスタなどイタリア料理が食べたくなったときに通う店があるのだが、これからその店に立ち寄ってグリッシーニとパスタを買って帰ろうとウーヴェが告げるとリオンの顔にも明るさが増す。
「じゃあさ、早く帰ろうぜ、オーヴェ!」
「ああ」
早くもこの後の食事に意識が向いたリオンが本能の叫びを上げ、聞き慣れているウーヴェも己の腹の虫がつられるように悲鳴を上げたことに気付いて苦笑し、戸締まりなどをしてくるから待っていてくれと告げて診察室に戻るのだった。
一歩間違えると大げんかにもなりかねなかったが、ウーヴェがすぐに謝罪をし、リオンがそれを許すことでまたいつものようにキスをしハグ出来るようになり、並んでクリニックを出て行く二人の背中を花瓶の中から頭を垂れながらも白と黄色のスイセンが見送っていた。
2011/03/19


