冬の重苦しい空気が、誰も望んでいないのに半年後の来訪を約束して飛び去っていった冬の女王が一掃したおかげで、春の陽気が街中を覆う様になった頃、冬の到来と共に気鬱になっていた人々の気持ちが軽くなり、休日になれば緑地や公園などにピクニックに出かける様になっていた。
そんな街の様子に気付いていたのは、春がやって来たことで塞ぎ込んでいた気持ちが日に日に軽くなっていく様を感じ取っていたウーヴェだった。
冬の間は誘拐事件についてどうしても考え塞ぎ込んでしまう為に俯き加減になってしまっていたが、日差しが明るく温かくなって来ると同時に、心を塞いでいたものが影を潜めていく。
完全に消え去るわけではないそれだが、日常で感じる回数が少なければ少ないほど当然ながらウーヴェの心身の負担が軽くなる為、最近では寝る前にリオンが背中にキスをする際、癒されていく感覚よりもくすぐったいという自然な感覚を強く覚える様になっていた。
だから昨日もそれを笑顔で伝えると、キスを終えたリオンの顔に本当に嬉しそうな笑みが浮かび、手を伸ばしてくすんだ金髪を胸に抱え込んだが、胸にリオンが頭を逆に押し付けた為、くすぐったさが倍増して二人で使えば少し狭いベッドの上で二人涙を滲ませるほど笑ってしまったのだ。
発作の様な笑いが治った後は、どちらも口を開かずにただ互いの背中に腕を回して抱きしめあっていたが、その時、リオンが天気の良い休日にどこかピクニックに行かないかと囁いた。
もちろん、休日に出かける事に異論も反論も無かったが、やはり気になるのは悪くした左足で、大丈夫かと小さな声で問いかけたウーヴェにリオンがキスの合間に任せておけと告げたのだった。
そして、リオンが楽しみにしていた土曜日、白のBMWの運転席で楽しみにしているピクニックだと鼻歌を歌いながら濃い色のサングラスをかけたリオンがステアリングを握り、助手席ではうウーヴェもいつもより浮かれた様子で同じくサングラスをかけた目を細めていた。
春というよりは夏を感じさせる日差しを車内で受け、眩しさよりも心が浮足立つ様なそれに窓に肘をついて頬杖を着くウーヴェにリオンがそう言えばと話しかける。
「うん?」
「この間、何かで見たんだけどな、フルーツとか生クリームを柔らかいパンで挟んだサンドイッチがあるんだって」
「それは、デザートなのか?食事なのか?」
「んー、どっちも?」
甘い生クリームだとすればそれはデザートではないかと苦笑するウーヴェにリオンが肩を竦め、チーズとハチミツのピッツァがある、あれはどうなんだと横目で見つめたため、ウーヴェが一瞬考え込む。
「・・・その人がデザートだと思っていれば、そうかもな」
「うん。でさ、レシピとか調べるから、今度作ってくれよ」
「それを?」
「食ってみたい!」
朗らかに言い放たれて返事ができなかったウーヴェだったが、ちらりと見たリオンの顔が心底楽しみにしていると言いたげだったため、小さく吐息を零していつか作ろうと甘い顔を見せてしまう。
「やっほぅ。楽しみにしてる」
「ああ」
今日のサンドイッチはエビとアボカドで、レバーケーゼもサンドイッチに出来るよう、パンとチーズ、レタスなども別に持って来ているとウーヴェが答えて少し窓を開ける。
「気持ちいいな」
「ああ。すげー気持ちいい」
これがスパイダーなら幌を開けて走っていただろうが、今の車はコンパーチブルではないためにそれは出来ない、だがそれでも窓を開けて走れば気持ちいいと、街から郊外へと向かうアウトバーンに難なく合流し、いつからか二人が時々出かける様になっていた、池のほとりにある公園へと向けて車を走らせるのだった。
池のほとりに手入れされた芝生が広がり、元々植えられていたのか、それとも何かの記念行事に合わせて植えられたのか、桜の木が淡い花をつけてひっそりと咲いていた。
木の大きさの割には何故かひっそりと、と言いたくなる樹体にゆっくりと近づき、車から運んで来た荷物を木から少し離れた場所に置いたリオンは、いつもはベランダに置いてあるアウトドア用チェアを先にセッテイングしてウーヴェを座らせ、自らは慣れた手つきでテキパキとテーブルをセッティングし、ウーヴェが本格的に座れる準備を整える。
以前までならば、面倒臭いだの何だのと言って自ら進んで行動をすることは少なかったりおんだったが、ウーヴェが退院したのを機に変化をしていた。
その変化にウーヴェが気付いたのは退院後間も無くだったが、己の負傷がそれをさせたことへの負い目を感じ始めた時、そんなウーヴェの心の動きも読み取ったリオンが太い笑みを浮かべ、見くびるんじゃねぇと、言葉遣いはあまり褒められたものではないが、お前の為にするものは全て俺がやりたいと思っていることだから気にするなと言い放たれたのだ。
その言葉に籠る思いを感じ取ったウーヴェは、申し訳なさを表明するよりかはと、以前までならば考えられなかったが、リオンと付き合いだしてから考え方が少しづつ変化をしていたようで、助けてくれてありがとうと、感謝の思いを伝えるようにしたのだ。
どうやらそれは正解だったようで、その日を境にウーヴェはリオンが自らのために何かをしてくれるたびに、周囲からすれば過剰ではと思えるほど感謝の思いを伝え、それを聞いたリオンもその為の労力がただの徒労ではないと伝える代わりに自信に満ちた笑みで返事をするようになっていた。
だから今も、テーブルセッティングを終えたリオンにウーヴェが手招きをし、顔を寄せるリオンの頬にキスをすると、ありがとう、少し休憩してサンドイッチを食べようと囁きかけたのだ。
「・・・んふー、幸せ」
「そうか?」
「そう!」
地面にピクニックシートを広げて座ることが難しくなったためにテーブルセッティングをしたリオンは、ウーヴェと向かい合わせに座ってテーブルに上体を預けると、準備が出来ないぞとウーヴェに苦笑されてしまうが、頬杖をつき、芝生の上を渡っては桜の木を軽く揺らしていく風に目を細め、幸せそうな笑みを浮かべる。
「これだけ気持ち良いと裸足で歩いてみたくなるな」
リオンの風に乱れた髪を撫で付けながらウーヴェも密かに感じている多幸感を言葉の端に滲ませつつ呟くと、リオンがその手を取って掌にキスをする。
「そっか?じゃあサンドイッチ食ったら裸足でちょっと散歩しようぜ」
「・・・・・・」
何気ないリオンの誘いに素直に頷く事が出来なかったウーヴェを小首を傾げて見つめたリオンは、あ、また何か妙なこと考えたと小さく呟くが、特にそれ以上は何も言わず、あぁ気持ち良いと、感じている心地良さを口にする。
「なあ、リーオ」
「んー?」
「ビールを飲まないか?」
「良いな」
運転者であるリオンが酔っ払ってしまう訳にはいかない為、アルコール度数の低いラドラーと最近よく飲んでいるIPAのボトルを取り出すと、チーズやオリーブ、スモークサーモンの器を並べてリオンが摘まみ出す。
「こら、サンドイッチの具が無くなるぞ」
「平気平気。ほら、オーヴェ」
オリーブをフォークで突き刺して満面の笑みでウーヴェに向けて差し出すリオンに思わず頭を仰け反らせてしまうが、周囲を素早く見回し、ここに到着した時から人の姿を見ないことを思い出して最後の抵抗のように咳払いをした後、早く食えと笑って急かすリオンの手を掴んでオリーブを食べる。
「うん、美味いな」
「美味いよなー。白アスパラガスが出たらさ、家でバーベキューしようぜ」
「ああ、それも良いな」
春になれば目にも鮮やかな色の花が咲き始め、人が口にする食べ物も美味しいものが増えてくるが、春を代表する白アスパラガスの季節が早くこないかと、以前ならば二人とも意識することも無かったが、付き合いだして一緒に暮らすようになり、結婚という公的にも認められた家族になってからは、その季節毎に食べられるもの、見る事ができる自然などを満喫したいと思うようになっていた。
人間、変われば変わるものだと感心しつつビールを飲んで摘みを食べていると、髪を軽く揺らす風が吹き抜け、改めて心地良さに気付くことができる。
「オーヴェ、さっき言ってたけどさ」
「うん?」
「メシ食ったら裸足で少し歩こうぜ」
ここの芝生ならば素足に当たっても痛く無いだろうし、何よりも気持ち良いと笑うリオンにウーヴェが軽く目を伏せるが、やはり己の足が気にかかり、お前だけすれば良いと返してしまう。
「むぅ。デートしてるのに一人で行けなんて言うのかよ、ダーリン」
なんてひどいダーリンなんだ、イジワル、トイフェル、悪魔と突っ伏して肩を揺らすリオンに呆気に取られたウーヴェだったが、その肩が悲哀からでは無い理由で揺れ始めたことに気づき、くすんだ金髪に掌を軽く叩きつける。
「いて」
「バカたれ」
「へへ・・・。でもさ、ステッキもあるし俺もいる。だから裸足で散歩しても問題ねぇって」
恐らく素足を傷つけるようなものも少ないだろうし、大丈夫だと笑ってスモークサーモンをペロリと食べたリオンは、そうだと目を丸くした後、行動を見守っているウーヴェの前で立ち上がり、その横に移動してきたかと思うと、徐に座り込んでウーヴェの左足をジーンズに載せる。
「リオン?」
「はい。靴脱いでー。靴下も脱ぐー」
歌い出しそうな雰囲気でウーヴェの靴と靴下を剥ぎ取ったリオンは、おいと目を丸くするウーヴェに片目を閉じて右足も同じように脱がせると、自らの靴も同じように脱ぎ去ってしまう。
素肌で感じる桜の木の根の感触、生えている草の感触や芝生のそれを素足で感じながら気持ち良いと笑うリオンに呆気に取られていたウーヴェだったが、それだけでは面白く無いと気付いたのか、感覚が残っていて感じることのできる右足でリオンと同じように自然の感触を楽しむ。
「気持ちいな」
「だろー?歩くのが無理ならこれでも十分だな」
歩けないと言うのなら座っている今それを感じれば良いと笑うリオンに頷いたウーヴェは、どうすればそんなにも簡単に発想を変換できるのかとの疑問が芽生え、何故だと問いかけるが、唐突すぎていきなり何故だと言われても分からないと睨まれてしまう。
「今のことだ」
「へ?ああ、散歩にいけねぇのならってことか?」
「ああ」
自分は散歩に行くことに対し躊躇し、一緒に行けないことに負い目を感じてしまうのに、お前はどうしてそう切り替えられるんだと問われて目を激しく瞬かせたリオンは、ラドラーをぐいっと飲んだ後、本当に俺の陛下は生真面目なんだからーと息を吐く。
「一緒に散歩にいけねぇってだけで負い目感じてたら生きにくいぜ」
「・・・・・・そう、だな」
「そう。それが楽しめねぇのならこっちで楽しめば良い。それだけだろ?」
だからそう真面目に考えこむな、ハゲるぞと指を突きつけるリオンに再度頭を仰け反らせたウーヴェだが、うちの家系にハゲはいないと負け惜しみを返すだけが精一杯だった。
「ふふーん。最近親父、毛が薄くなってきたって言ってたぜ」
「・・・・・・」
己の父でありながら顔を合わせることは月に数える程のウーヴェとレオポルドだが、その秘書をしているリオンは仕事の日には当然ながら毎日顔を合わせているため、ウーヴェが知らない情報を持っていることも多くなっていた。
それが貴重だと言いたげに目を細めるリオンに溜息をこっそりと吐いたウーヴェは、そっと手を伸ばして視線で追いかけてくるロイヤルブルーの双眸に笑いかけると、伸ばした手でピアスが嵌る耳朶をそっと摘み、笑みを深めつつ力を込める。
「いたたたたた!ごめんごめん、お願い許してオーヴェ!」
「うるさい」
「ごめーん!」
春風の下、情けない声で謝罪をするリオンの声が響き、わざと冷たく返すウーヴェの声も少し小さめに響くのだった。
持ってきたサンドイッチを全て食べ終え、ラドラーと小さな白ワインーこれは当然ウーヴェが一人で飲んだーを飲み干した二人は、ウーヴェが珍しくリオンにお願いをした為、桜の木の根元に二人で座り、目の前に広がる芝生と池とその上を渡る風の痕跡を目で追いかけていた。
歩くことに不安があるが裸足のまま気持ちがいい芝生の上に居たいと、サンドイッチを食べ終えたウーヴェが呟き、リオンがそれを無視するはずもなかった為、桜の木の幹に手をついて何とかウーヴェを地面に座らせたのだ。
「このまま昼寝してしまいそうだな」
「確かになぁ」
美味いサンドイッチを食ったし酒も飲んだから眠いと笑うリオンの肩に軽く頭を預けると、嬉しそうな吐息が真近に一つ落とされる。
「白アスパラガス楽しみ。ベルトランに言って美味い料理作ってもらおうぜ」
「そうだな、出回り出したら教えてくれるだろうから、作ってもらおうか」
雑誌でもいつも紹介されるレストランのオーナーシェフが幼馴染で良かったと二人で笑い合うが、ウーヴェが何かを決したように小さく頷き、隣のリオンに向き直るようにもたれかかっていた幹から体を起こす。
「オーヴェ?」
「・・・・・・リーオ、立たせてくれないか」
座っているのも良いが立っていたいと緊張気味に笑うウーヴェに破顔一笑したリオンは、勢い良く立ち上がると同時に、意中の相手をダンスに誘う時の様に優雅な手付きでウーヴェの手を取り、驚くほど軽々と立ち上がらせる。
「・・・・・・うん、座ってる時よりも、気持ち良い」
「そーだな」
さあ、立ち上がるという世界への一歩を踏み出したオーヴェ、何処に行きたいと、なんなら空も飛べると言い出しかねないリオンにクスリと笑みを零したウーヴェは、お前が行きたいところなら、と返して覗き込んでくるロイヤルブルーの双眸にキスをする。
「お前となら、何処にでも行ける気がする」
足が不自由になろうとも、たとえ今よりも酷い、車椅子での生活を余儀なくされたとしても、きっとお前とならば何処にでも何処まででも行けると笑うウーヴェにリオンが腿の横で拳を一つ握りしめるが、その手を解いてウーヴェの腰に回し、何処に行こうかダーリンと歌うように囁きかける。
「・・・・・・池に足をつけるのはまだ早いか?」
「どーだろ、行ってみるか」
立ってしまえば後は歩き出すだけだと笑うリオンの腰に腕を回し、池の水は冷たいかと笑うウーヴェにリオンが試してみようそうしようと笑い、そちらに向けてゆっくりと歩き出すのだった。
運転席で疲れを全く感じさせない顔でステアリングを握るリオンだったが、右手をずっとウーヴェが握っていて、シフトチェンジをしなくてもすむ車種だから問題ないが、どうした、甘えん坊オーヴェになってると笑ってサングラスの下から助手席を見ると、目尻のホクロをわずかに赤くしながらウーヴェがうるさいと口を尖らせる。
「もー。まーた素直になれないんだからー」
別に良いのにと、責めるつもりも詰るつもりも全くないリオンのそれにウーヴェが大きな手を口元に運んだかと思うと、リングが光る薬指の爪に軽く歯を立てる。
「いてっ。いてて。────どうせ噛むならベッドの上にしろよ、オーヴェ」
「どうしようかな」
「あー、そりゃないぜハニー」
リオンが情けない声を出すと同時に1ユーロと宣言されて肩を落とすが、分かった、ちゃんと豚に食わせる代わりに俺にお前を食わせろと小さく叫ぶと、助手席から聞こえてくる態とらしい反対意見を無視する宣言をし、アクセルを踏む足に力を込めるのだった。
ピクニックで最近お気に入りになっている公園を二人ゆっくりと裸足で芝生の上を歩いたり、池に足をつけたりして休みを満喫した二人だったが、何処まで行こうかと話し合った続きを、自宅のソファの上でも続け、例年の秋の休みに今年はトルコに行かないかとウーヴェがこれもまた密かな決意を込めた問いを発した為、後ろからウーヴェを抱きしめてソファに寝そべっていたリオンが反対する筈もなく、トルコにいる友人に案内してもらおうと笑い合い、心身共に満足する休日を過ごすのだった。
2019.04.27
息抜き息抜き(笑)


