清々しい春真っ直中の空の下、目にも鮮やかな緑や花々の色で溢れる庭に目を細め、満足そうに一つ頷いたのは、この家の家主であり恋人でもある赤毛ののっぽさんと一緒に暮らす森千暁だった。
小さな身体でも気概だけは負けないと言うように腕を空に向けて突き出し、身体を天と地へと向けて伸ばすと、背筋も伸びるようで心地よかった。
左右の腕を空へと突き上げる動作を繰り返した彼は、背後のテラコッタのタイル張りになっているスペースに置いた籐で出来たラウンドソファのクッションに埋もれるように腰掛けて空を見上げ、突き抜けるような青空にじわりと嬉しさが滲み出してくる。
つい最近まで彼は青空を見るどころか、光すら感じる事が出来なくなる傷を負い、ここから遠く離れた母国である日本で暮らしていたのだが、その時に交わした約束を守った恋人が治療費を真っ当な方法で稼いだと胸を張って迎えに来てくれたお陰で、再び光を取り戻した目で、いつも冷たく皮肉気に光るが自分を見るときだけはがらりと色を変える灰色の切れ長の目を見る事が出来る様になったのだ。
その感謝の思いはいつも彼の身体のそこかしこで溢れているが、ふとした瞬間に忘れている自分にも気付き、ダメだと昨日も反省したばかりだった。
空を見上げて心地よさに何度も深呼吸を繰り返す千暁だったが、その耳に微かに電話の呼び出し音が流れ込み、慌ててソファから飛び降りて開け放っていたリビングと通じる窓から家の中に駆け込んでいく。
「もしもしっ!」
慌てているとつい口をついて出てくるのがどうしても日本語になってしまい、受話器の向こうに沈黙を与えてしまった事に気付いた彼は、見えない相手に対しての羞恥から顔を赤らめつつどちら様でしょうかと小さな声で問いかける。
『────日本語だと分かっているが、いきなりその言葉を聞かされると驚くな』
聞こえてきた声は皮肉と冷笑とが絶妙なバランスで混ざり合う独特の響きを持つ恋人のもので、安堵すると同時に告げられた言葉の意味を理解した千暁の顔が更に赤くなる。
「慌ててたんだから仕方ないだろ!?」
『何かしていたのか?』
「庭に水をやってた。すっごく晴れてて気持ち良いし、ね、カイン、バラが咲いたよ」
この家の主でありもちろん庭の草木一本までも把握しているから分かっているだろうがと苦笑しつつ、先程水やりの時に見た一輪のバラを脳裏に思い浮かべて告げれば、やっと咲いたかと意外にも感情が籠もった暖かな声が耳に流れてくる。
その穏やかな声を日中に聞ける事など休日の庭いじり以外では少ない為、千暁の顔も自然と綻んで見えないのに大きく頷く。
『どのバラが咲いたんだ?』
「え、と・・・名前は分からないんだけど、オレンジ色っぽいバラ」
『分かった。ウーヴェのバラはまだ咲かないか?』
「まだみたい。小さな蕾は付いてたからもうすぐ咲くかな?」
電話の子機を片手に再度掃き出し窓から庭に出てラウンドソファに腰掛けた千暁は、目の前に広がる庭に目を細め、彼方此方で咲き始めた花々を眺めるだけでも嬉しいと告げて膝を抱える。
「早く咲いて欲しいな」
『そうだな』
彼らにとっての大切な友人であるウーヴェとその伴侶であるリオンが結婚をした記念でカインが密かに植えたバラの木があるのだが、中々花を付けないでいたのだ。
それがやっと蕾を付けた感激を声に載せれば伝わる声にも伝播したのか、本当に嬉しそうな吐息が一つ返ってくる。
「ね、カイン、この休みに天気が良ければバーベキューしない?」
『リオン達を呼ぶのか?』
「うん。ダメかな?」
『来週にしないか?』
後でリオンに聞いておいてやると言われて任せると頷いた千暁は、今日はこれからケーキでも作ると笑うと、楽しみにしていると素っ気ないがそれでも情だけは籠もっている声が返され、仕事に戻るから電話を終えると告げられ、名残惜しさを堪えて通話を終えると、膝の裏に腕を通してソファの中で身体を丸める。
「どんなバラが咲くんだろ、楽しみだな」
蕾の色から連想するものを脳裏に描くが、悲しいかな恋人のようにガーデニングに対する知識は皆無だった為に全く予想も付かないと肩を竦め、水を得た草花が太陽の光に鮮やかさを増す庭をただ嬉しそうに見つめ、近々この庭で仲の良い友人を交えて行うバーベキューへ思いを馳せ笑みを浮かべてしまうのだった。
先日同様晴れ渡る青空の下から賑やかな声が挙がる。
声の主は複数いて、一際賑やかな声を窘めるような穏やかな声、その窘める彼を煽るような声に少しだけ高い声が重なり合い、庭から立ち上る煙と共に白い雲に吸い込まれていく。
「────リオン、肉ばかり食ってんじゃねえよ!」
「バーベキューで肉を食わないで何を食うってんだよ!」
思春期真っ直中の頃からの友人である二人が騒々しいやり取りを繰り広げ、ラウンドソファではなく、日除けの付いた籐の椅子にゆったりと腰掛けてビールを飲んでいるウーヴェが形の良い眉をくっきりと寄せてバーベキューグリル傍での攻防に呆れた様な溜息を零せば、同じようにテーブルでホイルで包んで蒸し焼きにしたジャガイモにバターを塗っていた千暁がいい加減にすればと声を掛ける。
「二人とも、いい加減にしろ」
全く恥ずかしいと溜息を零してビールを飲み干したウーヴェは、新たなビール瓶をクーラーボックスから取り出して栓を抜くと千暁と自らのグラスにビールを注ぐが、その時、赤毛の青年とぎゃあぎゃあと言い合っていた金髪の青年が顔を勢いよく彼に向けて瞼を平らにする。
「オーヴェ、ビールばっか飲んでないでちゃんと食えって」
「・・・・・・食べているぞ」
幼馴染みとのバトルの矛先が自分に向いたことを知ったウーヴェが青い眼から顔を背けてぼそぼそと呟くが、目の前にやってきたリオンが腰に手を宛がって覗き込んできた為、食べていると不機嫌さを表に出す。
「────オーヴェ」
「・・・・・・・・・ジャガイモとアスパラが良い」
「分かった。アスパラはバターにするか?」
ウーヴェが渋々感を隠しもしない声で呟けばリオンが満足そうに吐息を零し、ホワイトアスパラの食べ方はどうすると問いかけるが、バターではなく卵黄とバターで作られたソースが良いと小さく笑われ、すぐに準備をするから待っていてくれとウーヴェの頬にキスをしてグリルの前に戻っていく。
その様をジャガイモを頬張ったまま見つめていた千暁は、ウーヴェの視線に気付いて目を丸くするが、お互い気恥ずかしさを感じて照れ笑いを浮かべてしまう。
「ウーヴェはあまり食べないよね」
「そうか?」
「うん。ぼくと同じぐらいしか食べないよね」
テーブルに頬杖を着いてビールグラスを傾けた千暁の問いにウーヴェが苦笑し、楽しい時はついつい酒が進んでしまい、食べる事が疎かになると肩を竦めると、程なくして出来上がったらしいホワイトアスパラを山盛りにした皿が二人の間にあるテーブルにどんと置かれて瞬きを繰り返す。
「お待たせ、ダーリン」
「ありがとう・・・アキはソースはこれで良いのか?」
「へ!?」
リオンが運んできた山盛りのホワイトアスパラに呆気に取られていた千暁だったが、二人の会話にも気を取られてしまい、ウーヴェに問われたが咄嗟に返事が出来なかった。
「何をそんなに驚いてるんだ?」
「え?あ、や、え、と・・・ソースはバターが良いな」
「分かった」
その言葉にウーヴェがテーブルに置いてあったパセリ入りのバターをアスパラに添えて千暁に手渡し、自らの分はリオンが手早く取り分けてくれたものにソースを掛けていく。
「ねえ、ウーヴェ、リオン」
「ん?」
「どうした?」
七面鳥が焼けたと合図を送ってくるカインの元に戻ろうとしていたリオンを呼び止め、アスパラをナイフで食べやすい大きさに切り分けていたウーヴェも呼んだ千暁は、前から疑問だったと前置きをして問いかける。
「リオンはウーヴェの事をダーリンって呼んでるの?」
「へ?ああ、まあそうかな」
己の永遠にして最後の恋人であり生涯の伴侶と決めたウーヴェをダーリンと呼んでいるのかと問われたリオンが苦笑し、圧倒的にオーヴェと名前を呼ぶ方が多いが、そう呼ぶ事もあると首を傾げると、千暁の頬がアルコールの成分以外の理由から赤くなる。
「どうしたんだ?」
「こっちの人ってさ・・・良くそんな風に呼び合うよね」
留学して何年か経過してこちらの暮らしや文化にも慣れたつもりだったが、やはり日本とは違うそれらに触れる度に驚かされてしまうと頭に手を当てた千暁は、ウーヴェが苦笑しながら日本ではそんな風に呼ばないのかと問いかけた為に黒い髪を上下に揺らす。
「梨花ちゃんと雅生くんはお互いの名前を呼んでたけど、ダーリンとかハニーとかは・・・」
呼ばなかったと俯く千暁に信じられないような言葉が告げられる。
「ハニーって呼びたいんだけどさ、呼べば1ユーロ取られちゃうもんなぁ」
「今言ったから1ユーロだな、リーオ」
「げ!」
「・・・何をやってるんだ?」
リオンの悲しげな呟きに何故かウーヴェのにっこりとした笑みを彷彿とさせる声が重なり、千暁が顔を上げて二人を見つめるが、せっかく焼けた肉が焦げてしまうぞとやってきたカインの言葉に手短に事情を説明する。
「こいつがウーヴェをどう呼んでいるかが気になった?」
「うん」
ひとまず焼けた肉を取ってこいとリオンに告げたカインは、千暁がちびちびと飲んでいるビールを一気に飲み、アスパラをひょいと摘んで青空を見上げて目を細める。
「そういう君たちはどうなんだ?」
俺とリオンの事を聞くのならば教えろと頬杖を付いたウーヴェが千暁を見れば、ああだのうぅだのと意味のない音を発した千暁が顔を真っ赤にして視線を彷徨わせるが、脳内で何を考えているのかを教えて欲しいと、見ているこちらが思わず頼みたくなるほど狼狽えながらそんな事は言わないと身振り手振りを交えて言い放つ。
「・・・確かにダーリンやハニーは言わないな」
「ね、言わないよね、カイン!」
恋人の言葉に大きく何度も頭を振った千暁だったが、次いで聞かされた言葉に限界まで顔を真っ赤に染めると、テーブルに突っ伏して頭を抱えてしまう。
リオンとはまた違った落ち着きのなさや陽気さが楽しくてついつい意地悪な事を言ってしまうウーヴェだが、さすがに目の前での挙動不審としか言いようのないその動作に呆気に取られてカインを見れば、切れ長の灰色の双眸に不気味な色を浮かべて千暁の黒髪を見下ろしたかと思うと、真っ赤に染まる耳朶にキスをし、思わずウーヴェでさえもぞくりと身体を震わせるような声でシャッツェと囁き、頬にもキスをして黒髪をくしゃくしゃと掻き混ぜると、千暁がぐったりと頬をテーブルに着けて両肩を落とす。
「・・・・・・愛されているな、アキ」
「もー!どうしてそんな事を言うかなっ!恥ずかしいから止めてって言ってるのにっ!!」
俺の宝物などと言われれば羞恥のあまり飛び跳ねてしまいそうになると、実際椅子の上で身体を揺らし始めた千暁にウーヴェがついに吹き出してしまい、大きな黒目がちの瞳に涙すら浮かべた顔で睨まれてしかつめらしく咳払いをする。
「・・・良いじゃないか」
リオンの傍に向かう高くて広い背中を見つめたウーヴェが目を細め、彼にとってきみは何にも得難い宝なんだろうと穏やかに笑うが、分かっていても恥ずかしいと小さく吼える千暁にただ苦笑する。
「昨日なんて天使とか言うし・・・!」
ああもう恥ずかしいと顔を赤くしながら叫ぶ千暁の様子を少し離れた場所で見つめていたリオンが問いかけ、カインが煙草に火をつけながらごく普通に呼んでいるだけだと答えるが、唇の両端が不気味な角度で持ち上がった事に気付き、リオンがカインの煙草を一本拝借し、同じように火をつけてこれまた似たような笑みを浮かべる。
「シャッツェかぁ・・・お前にも宝が出来たんだな」
「・・・・・・うるせぇな、良いだろうが」
「悪いなんて言ってねぇよ。────良かったな、カイン」
「ふん・・・お前もな」
学生の頃、自らの心裡で荒れ狂う嵐を宥め賺しながら毎日を過ごしていた事をお互いに知る二人は、拳と拳を軽くぶつけ合わせた後、何の話をしているんだとやってきた千暁に笑みを浮かべ、焼けた肉と野菜を千暁にも渡すと、ウーヴェが待っているテーブルに戻る。
「お待たせ、オーヴェ」
「ああ」
カインとリオンの為に新たにビールの栓を抜いたウーヴェは、グラスに注ぐ前に二人の手がそれぞれの瓶を持って行った為、自分はビールの次だと言わんばかりに白ワインのボトルを手にするが、そっと伸ばされた手が重ねられてちらりとターコイズで見つめれば、今も上空で光り輝く太陽のような笑みを浮かべたリオンにこの七面鳥を食ったら飲んでも良いと条件を付けられてしまい、上目遣いに見つめ返す。
「・・・オーヴェ、その顔反則!」
どうせそんな顔を見せるのなら、今ではなくベッドの中にしてくれと心の声を垂れ流したリオンが情けない声を挙げるが、その横では千暁がカインの為にゼンメルに焼いた肉を挟んで差し出していた。
「カイン、ありがとう。これ、すっごく美味しい!」
恋人が焼いてくれた肉と野菜を美味しそうに口に運ぶ千暁の様子に、ビールを飲んでいたカインも目を細めて満足そうに吐息を零すと、今はアルコールの成分で赤くなっている頬にキスをする。
「っ!!」
「美味けりゃそれで良い」
真っ赤になって目を白黒させる千暁にリオンもウーヴェも堪えきれずに吹き出してしまい、笑うなんて酷いと怒りに目を吊り上げる彼に肩を竦め、焼き上がった肉を食べ始めるのだった。
静かに降り注ぐ雨を、リビングのソファでカインにもたれ掛かって見つめていた千暁は、雨が降り出す前に家に何とか辿り着いたとリオンからメールを受け取り、濡れずに済んで良かったとカインと笑っていたが、リビングに控え目の音量で流れているピアノの名曲にうっとりと目を閉じると、カインに触れていない肩に温もりを感じる。
肩を抱かれて身を寄せれば何よりも安心出来る温もりに包まれる為、無意識に安堵の吐息を零して頬を厚い胸板に寄せれば、どうしたと囁かれて吐息で何でもないと返す。
「アキ?」
「本当に何でもないんだ、カイン」
今日は楽しかったと思い出し笑いをすれば、頭上から呆れた様な吐息が落ちてくるが、肩を抱く温もりや強さは全く変わらず、アルコールの勢いを借りてしまおうと密かに決意をし、それを実行する為に一度カインの腕の中から抜け出すと、何をするのか驚きの色を瞳にだけ浮かべた顔で見つめてくる恋人に満面の笑みを浮かべる。
「今日は楽しい時間をありがとう、カイン」
「気にするな」
そんな事は一々口にしなくても分かるとカインの口元が皮肉気に歪むが、千暁の黒髪が左右に軽く揺れて否定をされたことに気付き、その先を促すように目を細めて手を伸ばす。
「分かってくれる事も分かる。でもやっぱりその時にお礼を言いたいんだ」
リオンときみのように学生の頃からの付き合いがあるわけじゃないし、あの二人の様に言葉に出さずとも互いの心を理解し合うのを理想にしつつも、まだまだ言葉に出さないと分からない事が多い自分たちだからと、卑下するではなく事実をありのまま告げる千暁の頬にカインが手を宛がうと、その手に手が重ねられて大きな瞳が姿を隠す。
「ダンケ、カイン────大好きだよ」
リオンとはまた質の違う心からの笑みを浮かべた千暁は、羞恥から震える腕を内心で叱咤しつつ伸ばし、軽く目を瞠る恋人の首に腕を絡めて頬に頬を擦り寄せる。
「・・・・・・千暁、俺の天使」
いつも元気いっぱいで怒ったり笑ったりしながらも、お前が毎日を楽しく笑って過ごせるようにするからどうか今のような笑顔を毎日見せてくれと千暁以外聞くことのない声で懇願されてしまい、小さく頷いて安心させるように赤い髪に手を差し入れる。
「ぼくのカイン・・・きみがぼくに笑ってくれと言うなら、きみも笑って欲しい」
「ああ」
自分だけが笑うのではなく、二人で同じものを見て感じて笑いあえる、同じ思いを抱けると本当に嬉しいと囁き、あの二人のようにケンカをしても仲良く手を繋いでいられるようになろうとも告げると、もちろんそのつもりだと教えてくれるのか、背中に回った腕に軽く力が込められる。
「今日は楽しかったね。またバーベキューをしようよ」
「今度はウーヴェの家でやらないか?」
「それ良いね、賛成」
顔を離してくすくすと笑いあった二人だったが、千暁が口を開こうとした瞬間、カインが小さな身体をしっかりと横抱きにするとそのまま唇を重ね合わせるのだった。
楽しい時間を過ごした二人を、家の外から見守るように雨が静かに降り注ぐのだった。
2011/05/29


