006:不実な恋

ー Lion&Uwe ー

バルツァーの社長という偉大すぎる肩書きを持つギュンター・ノルベルトが、己の命や地位よりも何よりも大切にしているものがあった。
 それは、彼と親しくしている者ならばすぐに理解出来るのだが、関係が浅く、彼の足を引っ張ろうとする事で己の地位を押し上げようとする者や、純粋に興味のある者などからすれば誰のことかを想像するしかなく、喉から手が出るほど欲しい情報でもあった。
 世界でも有数の大企業になった会社の社長であり、年収は間違いなくドイツ国内でもトップクラスに入り、自由にできる金には不自由していなかったが、ゴルフは付き合い程度でしか行わず、野生動物のハンティングなども家族−特に弟の猛反対があり一切手出しをしていなかった。
 仕事一筋で厳しい顔を見せることが多いが、プライベートとなればマスコミが定期的に記事にする、結婚相手に相応しい男ランキングに入るほど引く手数多の、余人からすればどんな美男美女も選び放題で羨望の的のはずだったが、世間の予想に反して当人はといえば、休日はゆっくり自宅で過ごし、時折気心の知れた友人達と趣味のビリヤードで遊んでいるのが幸せと公言しているほどだった。
 公私を含めた交友関係は広く浅いだろうに、その何処からも浮いた話が漏れてこないのは、これだけは非難の対象になってしまう、複数人の彼女との付き合い方と長年友人をしている地元新聞のお偉方がいるおかげだった。
 趣味はビリヤードや映画鑑賞といったどちらかと言えば大人しいものだったが、一人の女性と三ヶ月付き合うと、カレンダーをめくる気軽さで別の彼女と付き合い始める事だけは、常にマスコミなどに狙われていた。
 ギュンター・ノルベルトの恋人達は、三ヶ月ごとに交代するシステムを取っていて、恋人の期間は他の女には目もくれず、ただ自分だけを見てくれる為、三ヶ月が経過すると、次の自分のための三ヶ月を心待ちにするようになるのだ。
 ここ数年は四人の女性が固定しており、そのうちの一人は最も付き合いが長く最もギュンター・ノルベルトを理解している秘書でもあるヴィルマであることは公然の秘密だったが、他の三名は小説家や大学の講師などで、芸術で生計を立てているような人たちだった。
 三ヶ月の自分の期間が終わりを迎えると次の彼女にバトンタッチをするのだが、その時には不思議なことに彼女達だけで夜通し飲み明かす一種の儀式のようなものを行なっていた。
 彼女達の間に嫉妬はもはや無く、逆に嫉妬するような女性はそもそもギュンター・ノルベルトが選ぶはずもなかった。
 それ故、世の独身男性から恨まれそうな付き合いをしているギュンター・ノルベルトを快く思っていない人も多かったが、当の彼女達がそんな関係を認め受け入れている為、問題になることもなかった。
 そんな不実な関係を良くもまあ続けながら後ろから刺されたりしないことだなと、半ば呆れた顔でその当人がトップに鎮座する会社のロビーにあるカフェのカウンターで、己好みのカフェラテを飲みながら新聞を読んでいたリオンが、ある事件で知り合った友人と同じ名前を持つ店主に笑いかける。
 「なー、ノア、見てみろよ、社長のプライベート旅行写真が出てるぜ」
 「・・・それ、本当なのか、リオン?」
 まあいい年をした独身男性がプライベートで旅行に行こうがどうしようが勝手だがと、カップを拭きつつ微苦笑するノアににやりと笑いかけたリオンは、長い足を持て余し気味に組んでカウンターで頬杖を着く。
 「今は確か大学の講師と付き合ってる時期だからなぁ。大方あれだろ、学校が夏休みだからそれを利用して旅行に行きたいって言われたんじゃねぇの?」
 ギュンター・ノルベルトの彼女の一人が大学の講師であり、纏まった休みには彼方此方に旅行に行く話を以前聞いたことがある為、今回スクープされたのもそれだろうと、サングラスで表情を隠しているものの、親密であることがわかる二人の顔写真の記事を指で突く。
 「この記者、兄貴のことを全く知らねぇんだろうな」
 どちらかと言えば批判的な文言が並んでいるが、何より笑ったのはその講師のことを最愛の人だと表現したと書いている事だと、多少の意地の悪さを込めて笑ったリオンにノアが意外そうに目を瞠るが、何を言わんとするのかを察して無言で肩を竦める。
 ギュンター・ノルベルトが人生で最も愛する人-正確には人達-が誰であるかを知っている数少ない一人であるリオンが新聞を指さした後、鼻歌を歌い始めた為、ノアが意外そうに首を傾げる。
 「そう言えば・・・会長はもう帰ったし今日の仕事は終わったんだろう?まだ帰らないのか?」
 「んー?ああ、今日はダーリンとデートだ」
 さっき往診先を出たと連絡があった、もうすぐ迎えに来てくれるだろうと、会社のトップであり義兄でもあるギュンター・ノルベルトをからかう時とは打って変わった表情で、文字通り歌い出しそうな雰囲気を滲ませながら呟いたリオンだったが、ふと表情を変えて蒼い目を瞬かせる。
 少しの時間でもくるくると表情を変える男だなと、ノアはリオンがここでコーヒーを飲むようになって親しくするようになってから気付いたのだが、これは近々兄貴が家に来るなと呟き、社長が来るのかと問い返すと、なんとも言えない顔でリオンのブロンドの尻尾が左右に揺れる。
 「・・・旅行先で大量に土産を買い込んできてるはずだぜ」
 そしてそれを持って行く事を口実にして家に来るはずだと、確実に訪れる未来を予測してげんなりした顔でロビーの天井を見上げるように振り仰いだリオンだったが、その姿勢のまま動きを止めてしまい、ノアがどうしたと声を掛けるが、何故リオンの動きが止まったのかを人影で察する。
 「・・・まだ帰らないのか?」
 「・・・・・・そーゆー社長こそ、まだ帰らないんですか」
 熱愛中の最愛の人が待っているんじゃ無いのかと、不敵すぎる笑みを浮かべ、背後から見下ろしてくる端正な顔を見上げたリオンは、馬鹿なことを言うなと鼻息荒く言い放たれて旅行先でケンカでもしたのかと尚も笑いかけると、額に手刀が叩き込まれて奇妙な声を零してしまう。
 「んがっ!」
 「バカたれ。・・・ノア、水をくれないか」
 「はい。ガス入りですよね」
 「ああ」
 奇妙な声を発したまま固まるリオンの横のスツールに腰を下ろし、ふぅと疲労の滲んだ溜息を零したのは、たった今まで二人で話題にしていたギュンター・ノルベルトだった。
 彼のために炭酸入りのミネラルウォーターを差し出したノアは、リオンがおもちゃのように勢いよく頭を振って姿勢を戻したことに飛び上がりそうになる。
 「ノアを驚かせるんじゃない」
 「一番驚かせてるの兄貴だろ」
 二人並んでこうしてコーヒーを飲みながら他愛も無い話をするようになったのは、リオンが会長の秘書として働き出してからのもので、他の社員からすれば驚天動地の出来事だったが、今ではすっかり定着していて、それどころか社長の仕事中には見ることが出来ないリラックスした姿を見られると、一部の社員からは好評だった。
 そんな背中を、仕事を終えて会社を出て行く社員に見せながら水を飲んで満足そうに溜息を零したギュンター・ノルベルトは、同じようにカフェラテを飲みながら鼻歌を歌うリオンに視線を向け、まだ帰らないのかと再度問いかける。
 「んー?今日はオーヴェとデート」
 往診がさっき終わったと連絡があったから迎えに来てくれるのを待っていると、待ち合わせの時間もデートの一環だと笑いながら告げたリオンにギュンター・ノルベルトが懐かしそうに目を細めるが、口に出したのはまだデートをするのかとの皮肉だった。
 義兄の皮肉など馬耳東風と言わんばかりに鼻歌を続けるリオンだが、ギュンター・ノルベルトの本心が何処にあるかを見抜いている為、ふふんと余裕の笑みを見せてカップを両手で包む。
 「・・・一度手放して喪って。でも、見捨てずに一緒にいてくれる人なんだぜ、夢の中まででもデートしてぇなぁ」
 「・・・・・・」
 リオンが夢を見ているような顔で呟く言葉にギュンター・ノルベルトが無言で目を伏せるが、カウンターの反対側からノアだけが見た二人の顔は、言葉では言い表せない穏やかなものだった為、見て見ぬフリをしつつ店を閉める準備に入る。
 「・・・夢の中でも、か」
 「そうそう」
 新聞に書かれた彼女ではない、兄貴が誰よりも愛する人とは夢の中でデートしているだろう。
 その言葉はリオンが視線だけで投げかけたものだったが、しっかりとそれを受け取ったギュンター・ノルベルトが、たった一人しか満足させられない男が偉そうなことを言うなと、聞き様によってはとんでもないことをさらりと吐き捨ててリオンの目を見開かせる。
 「・・・ノア、ここにお金を置いておく」
 「ありがとうございま・・・え?」
 リオンの言葉に返事をせずに立ち上がったギュンター・ノルベルトは、水の代金にしては随分と多い100ユーロ紙幣を差し出し、ノアとリオンの視線になんでもない事のように頷く。
 「これでそのたった一人をもっと満足させてやれ」
 夢では金を使いたくても使えないからと笑うギュンター・ノルベルトにリオンが目を細めた後、何も言うこともなく素直にそれを受け取って小さな音を立ててキスをする。
 「・・・ダンケ、兄貴」
 「ああ────ノア、明日も美味いコーヒーを飲ませてくれ」
 「お疲れさまです。ありがとうございます」
 ノアの言葉に既に背中を見せていたギュンター・ノルベルトだったが、片手をヒラヒラと振ると、今帰りですかと笑顔で話しかけてくる社員に同じく笑顔で返し、自動ドアを潜るのだった。
 その背中をただ黙って見送ったリオンは、口が裂けても言うつもりはないが、大企業の社長の顔も、四人の女性を満足させることが出来ている男としてもただただ感心ものだと、滅多に見せることの無い本心をぽつりと零すと、カウンターの内側で片付けをしていたノアも感心しきりの顔で頷く。
 「確かに、すごいね」
 「・・・そんな男が誰よりも何よりも愛する男に愛されてる、か」
 俺は最悪の生まれだったが、周りの皆が最高級の銀のスプーンを咥えさせてくれたみたいだと、穏やかさに満ちた笑みを浮かべたリオンの呟きを聞き取れなかったノアが何だってと聞き返すが、何でも無い、俺は本当に幸福な男だと笑い、伸びをした後ギュンター・ノルベルトの水代をコインケースから支払う。
 「また明日な、ノア」
 「ああ、お疲れさん」
 ギュンター・ノルベルトへの挨拶と比べると遙かに気軽なそれにリオンも手を上げて答え、自動ドアの向こうに滑り込んできた白のBMWを発見すると、ついつい口元が緩みそうになる。
 「今日のデートは何をしようかなー」
 兄貴や昔の己とは違い、今はただ一人にだけ向ける愛情から鼻歌交じりに、久しぶりのデートだ、映画を見ても良いし兄貴に貰った金でたらふく美味いメシを食って家で仲良くするのも良いなと、軽やかな足取りで義兄と同じように横合いから話しかけられては笑顔で返事をしながら自動ドアから出て行くのだった。

 

 翌日、昨日のデートはどうだったとギュンター・ノルベルトに朝一番に問われたリオンは、最高だったとだけ短く返すが、事情を教えろと迫るレオポルドに不気味な笑みを見せ、兄貴が100ユーロだったから親父は200ユーロだと言い放ち、意味が分からんと憤慨しつつ拳を頭に押しつけられて情けない悲鳴を上げてしまうのだった。
 そんなリオンを心底呆れた顔でギュンター・ノルベルトが見守っていたが、朝になって命よりも大切な存在からありがとうと一言だけ書かれたメッセージを受け取っていた為、いつもならばうるさいと二人を呆れたように怒鳴るのを大らかな気持ちで見守っているのだった。

 


2020.06.08
メインがギュンターのお話になりましたが・・・兄貴よ、問題発言をするな(笑)


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