005:抑え切れない思い

-Lion & Uwe -

 薄く雪が積もる駐車場の来客スペースに車を止めて運転席から降り立ったウーヴェは、白い息を吐きながらステッキを頼りに建物の入口に向けて歩いて行く。
 自動ドアを潜り、受付にいる二人の女性と目が合い、初めてここに来た時の醜態を思い出して僅かに心が疼くが、それを押し殺しながら会釈すると、相手もちゃんと認識をしてくれているからか、笑顔で頷かれて安堵する。
 いつもならばそのままエレベーターに乗って最上階の父の執務室に向かうのだが、今日はちょっと気分を変えたいのと、待ち合わせ時間まで三十分以上もあったため、ロビー奥にある小さなカフェスペースに足を向ける。
 ここのコーヒーはウーヴェも何度か飲んだことはあったが、それは父や兄の執務室であり、ここで座って飲んだことはなかった。
 今日は時間があることからカフェに寄っていこうと決め、窓際におかれたテーブルではなく、カウンターの端に腰を下ろすと、裏で作業をしていたらしい店主が物音に気付いて顔を出す。
 「ハロ、今日も寒いですね」
 「ハロ。寒いですけど、雪が降ってない分昨日よりマシですね」
 カウンターの椅子に腰を下ろし、ステッキを端に引っ掛けたウーヴェに気づいた店主のノアの目が軽く見開かれるが、雪が降っていなくて良かったと笑みを浮かべ、注文が決まったら教えてくれと小さな手書きのメニュー表を差し出してくる。
 それを受け取り、少し甘いものが欲しいとの心の声に耳を傾けたウーヴェは、カフェモカでホイップクリームを載せないでくれとオーダーすると、甘さ控えめのカフェオレが好きでしたよねと返されて眼鏡の下で目を瞬かせてしまう。
 「・・・知って、いましたか?」
 「ええ。リオンが良くあなたの話をしていますから」
 毎朝出勤し職場に上がる前に必ずここでコーヒーを飲んで行くのだが、その時にあなたの話が必ず出て来ますと穏やかに笑われ、羞恥に目尻を赤くしてしまう。
 「・・・恥ずかしい話も聞かされてそうですね」
 「昨日は珍しく寝坊をして朝食を食べられなかったから、晩飯がめちゃくちゃ豪勢だったそうですね」
 「・・・言うかな」
 カウンターに頬づえを突きながらボソリと呟くウーヴェにノアが微笑ましさと羨ましさをない交ぜにした笑顔で頷き、カフェモカの準備を始める。
 「今日は待ち合わせですか?」
 「え?ええ、少し時間が早かったんです」
 いつも上で飲んでいるコーヒーをここで飲んでみたかったと笑うウーヴェにノアがありがとうございますと礼を言い、いつもはオレかラテでしたよねと、客の注文に関する記憶力の良さを発揮すると、ウーヴェが微苦笑交じりに頷き、プライベートに関してはあまり記憶していませんと少しだけ口早に言い訳をする。
 「ああ、大丈夫です、気にしていませんよ」
 エスプレッソマシーンから聞こえる音とコーヒーの香りに心がふわりと軽くなり、微かに感じる羞恥も湯気とともに霧散して行くのを自覚したウーヴェは、カウンターの端に並ぶスナック菓子と手作りらしいクッキーの袋に目をやり、これはあなたが作ったのですかと問いかける。
 「はい、と言いたいのですが、僕のパートナーが作りました」
 将来自分の店を持ちたいと、パティシエの修行に励んでいるのですがと前置きをするノアに笑顔で頷いたウーヴェは、己の職場にも店に出せるほど−実際には一時期店に出していた−お菓子を作ってくれる人がいるが、仕事が終わって一息つきたい時には本当にありがたいとクッキーの袋を手元に引き寄せ、これも一緒にとリボンを開ける。
 「ありがとうございます。────ホイップ抜きのカフェモカです」
 カップで提供されるカフェモカの湯気と香りに無意識にウーヴェの顔が綻び、窓から差し込む日差しに一瞬目を向け、ありがとうと礼を言ってカップに口をつける。
 「・・・美味しいな」
 「ありがとう。────リオンが毎日あなたの話をするのですが、コーヒーを淹れるのが役目になったと言ってました」
 会長や社長の話を聞いている限りではキッチンでは本当に役立たずだと思っていたのですが、コーヒーだけはリオンの役目なんですかと問われ、カップを下ろしてその縁を軽く撫でたウーヴェは、素直に謝れない時にコーヒーを淹れて謝罪の代わりにしていた過去をお思い出し、罰がわりだったようですと返すと、ノアの目が驚きに見開かれるが、リオンからある程度話を聞かされているのか、そうでしたかとだけ返される。
 「その伝統を受け継いで、家でも何かあいつが謝らなければならないことをした時、それで許していたのですが、足を悪くしてからはリオンが毎朝コーヒーを淹れてくれるようになりました」
 俺には何も言わないけれど、きっとあいつの中で考えた結果なんでしょうと、毎朝コーヒーを淹れると宣言した時の顔を思い出し、どうあっても抑えられない思いが胸を温める。
 「そうだったんですね」
 「はい」
 リオンの出自に関わる話の一端を聞いている様子のノアにウーヴェも警戒心を緩めたのか、お返しにチョコをくれとうるさいと肩を竦めると、ここでコーヒーを飲むときはいつもチョコを食べていますと教えられて肩を竦める。
 「リオンの為にミニサイズのチョコを買ってありますよ」
 「・・・ここで食べているのなら家では食べる必要はないと言いたいな」
 「ははは、それはちょっとかわいそうな気もします」
 「それもそうか」
 リオンが何よりもチョコが好きなことを知っている二人が顔を見合わせ、一方は何とも言えない顔でもう一方も微苦笑しつつ肩を竦め合う。
 昨日とは違って太陽が顔を出し、地上に残っている冬の女王の子供たちを空に返しているような暖かな午後、好みの甘さのカフェモカとクッキーを片手に、こんな穏やかな時間を過ごせる幸せにふと気づいたウーヴェだったが、自らのコーヒーも用意したのか、カウンターを挟んで向かい合って腰を下ろすノアに聞いて見たいことが思い浮かび、いつもリオンはどんな様子でここに座っているのかと問いかける。
 「え?」
 「あ、ああ・・・ああ見えても、あいつは仕事とプライベートをしっかり分ける方だから、仕事をしている時の顔はほとんど見たことがないんだ」
 だから仕事中のリオンの様子を知りたいと、右手薬指の二本のリングのうち一本をくるりと回転させながら問いかけたウーヴェは、おかしな質問かもしれないがと付け加えるが、いてもいなくてもその存在が騒々しいと、この間会長がグチをこぼしていた気がすると教えられて目を見開いてしまう。
 「え?」
 「悪い意味ではないと思うんですけどね」
そこにいれば動きは大きいし話し声も大きかったりして騒々しい、いないと静かになるはずなのに、いないということが気になってしまい、結局騒々しいと言いながらもその顔は、どうしようもない手の掛かる子供を愛する親の顔だったとも教えられて今度は目を細めてしまう。
 父がどのようなつもりでその言葉を言ったのかは正確には分からないが、己が常日頃抱いているものと同じ感想を父も思っていた事実に言葉にできない思いが芽生える。
 今の言葉で表されるように、リオンの存在は確かに騒々しいものだった。
 静かになっているのは寝ている時か何かを食べている時だけと、前職の愉快な仲間たちにも評されていたが、確かに結婚してからリビングでテレビを見ている時もずっと話しかけてきていて、静かになったと思ったら居眠りをしていたりしたのだ。
 以前の己ならばこんな騒々しい人とは一緒にいられないと早々に別れていただろうが、リオンの場合はなぜかその騒々しさも受け入れられるもので、父もそんな気持ちになったのだろうかとぼんやりと考えた時、ネクタイのセンスが良いと女子社員がいつも褒めていると教えられ、カップに伸ばした手が揺れてしまう。
 「え?」
 「いつもあなたがネクタイを結んでくれると言ってましたが、ネクタイを選ぶのもあなたですか?」
 ランチや休憩に降りてくる社員が色々な噂話に花を咲かせるのだが、リオンのネクタイのセンスが良い、シャツとネクタイの組み合わせがいつも同じなのに何故か新鮮に感じられると話していることを教えられてウーヴェの目尻が再び赤くなる。
 「・・・褒められるのは嬉しいことですね」
 「そうですね」
 それにしても、毎朝ネクタイを結んでやっているのかと問われて素直に頷いたウーヴェは、照れ隠しにカップに口をつけ、これも二人の間での決まりごとだと呟くと、自分たちの間にも決まりごとはあるが、ネクタイとコーヒーに関してはないと笑われる。
 「でも・・・そういう決まりごとも良いですね」
 「そうですね・・・リオンとは数え切れない程の約束をしていますが、この二つは今の所破られていませんね」
 カップの中身を飲み干し、クッキーも食べ終えたウーヴェは、壁に掛かっている時計が待ち合わせの時間が近づいたことを教えていることに気づき、美味しいカフェモカをありがとうと礼を言って立ち上がる。
 「こちらこそ、ありがとうございました」
 「じゃあ」
 代金を支払い、ステッキを頼りにスツールから降り立ったウーヴェは、少し離れた場所にあるエレベーターが開き、中から数人の男女が出てくるのを見守っているが、その中に見覚えのあるくすんだ金髪を発見し、声を掛けなくても気付くだろうかと、覚えた意地の悪い思いからじっと見つめていると、誰かと親しそうに話していたリオンのロイヤルブルーの双眸が一瞬だけこちらに向けられただけでこちらには振り向かず、話をしながら自動ドアの方へと歩いていく。
 その背中を見送ったウーヴェにカウンターの中から、リオンの日頃の口ぶりや性格から考えれば、そこにあなたがいればすっ飛んでくると思っていたと意外そうな声が聞こえてくるが、仕事中は気分の切り替えができる男なんですと、己が愛し、また愛してくれているのは、日頃は騒々しいしいつ如何なる時でも己の気持ちを優先させているような言動をとっていても、実際はその時々に相応しい行動を取れる尊敬できる男なのだとの自慢を顔中に広げたいのを必死に堪えたウーヴェは、メガネを軽く押し上げながら気付かなかったのは残念だと相反する言葉を返し、次に来た時にはリオンの奢りでコーヒーを飲もうと笑って一歩を踏み出す。
 「また来てください」
 「ああ、ありがとう」
 エレベーターに向けてゆっくりと歩くウーヴェを見送ったノアは、誰かを見送ったらしいリオンが自動ドアをくぐって戻って来た後、エレベーター前に軽い足取りで向かうのを見、確かに切り替えができるかもしれないが、ウーヴェに会えた嬉しさは隠し切れていないと、浮かれた様子のリオンの背中に小さく笑みを浮かべるのだった。

 


2020.01.11
想像していたよりも随分控え目な抑え切れない思いになりました(笑)


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