003:激しい恋

It’s a Wonderful Life.ーリアム&慶一朗ー

 一生に一度の恋になるかも知れない。
 その自覚が芽生えたのは、今隣で信じられないほど穏やかな、寝ていても端正な顔を見せてくれている男と出会った時だった。
 数年前の出会いを振り返ってもまるで昨日の出来事の様に新鮮に思い出せるそれを脳裏に描いた時、小さな声が聞こえ、視線を向けると日本人にしては薄い茶色の双眸が眠たげに瞬いてゆっくりと瞼が持ち上がる。
 「・・・起こしたかな?」
 「・・・・・・眠れないのか?」
 小さなあくび混じりに問われた言葉に無言で肩を竦めると、布団の下から姿を見せた手に招かれてしまい、何事だと顔を寄せる。
 「・・・キスをしてやるから、いい子で寝ろ」
 寄せた顔を抱き寄せられてクスクスと笑い声混じりに囁かれ、滅多に聞くことも見ることも無い顔を恋人が見せている事に気付くと、その誘惑を利用して背中を抱きしめる様に腕を回す。
 「・・・Süß Prinz,一緒に寝ろ」
 「・・・そのカワイイ王子を辞めてくれたら寝ても良い」
 「そうか・・・」
 鼻先が触れ合う距離でクスクスと笑いながら囁き、このあと訪れる時間を想像すれば自然と熱がこもり始める。
 眠る直前までもう無理だと思うほど抱き合ったのに、こうしているだけでまた熱が上がる、そんな思いを持つ相手と付き合った経験が無く、戸惑いながらも目の前の端正な顔を見つめると、羞恥や臆する事から視線を逸らすこともなく真っ直ぐに見つめ返される。
 「大阪に帰る前に牧場でチーズを買って帰らないか?」
 「お前が食べたいのなら、そうすれば良い」
 でも、今食べたいのは牧場で作っている絶品のチーズでは無いだろうと、己の心を見透かされて軽く目を見張るが、その通りと太い笑みを浮かべると、同じ顔で笑い返される。
 「・・・Guten Appetit.」
 「Danke.」
 耳元で零れ落ちる夜の色香の滲んだ囁きに礼を言い、抱き寄せた腰から手を滑らせると、その先を察した脚が軽く持ち上がる。
男にしてはきめの細かい肌を撫で、熱を帯びる声に無意識に煽られながら、一生に一度の恋の相手の全てを手に入れようと、己よりは細身の身体をシーツに押し付けるのだった。

 

  朝の気配が六甲山の冷えた空気とともに流れ込み、暖かな羽布団に包まれていても寒さからくしゃみをしたのは、端正な顔立ちとどちらかといえば痩身の杠 慶一朗で、布団の隙間から入り込んでくる冷気を何とか感じない様にする為、羽布団を身体に巻きつける。
 「・・・おはよう、ケイさん」
 「・・・・・・寒いから窓を閉めろ、リアム」
 「え、これぐらいどうということはないだろう?」
 今感じている寒さが夜のうちに冷え込んだ室温からではないと気付き、眠い目を瞬かせながら冷気を生み出した犯人に不満を訴えると、これのどこが寒いと信じられないと言いたげな声が羽布団に反射する。
 「ケイさんは細いからなぁ」
 「うるさい、筋肉ダルマ!」
 「酷いなぁ」
 筋肉量が圧倒的に違う事を仄めかす恋人、リアム・フーバーの笑いながらのそれに羽布団の中から目元だけを出して叫んだ慶一朗は、筋肉ダルマと評した恋人が羽布団の上からのしかかってきた事に気付き、重いから降りろと叫ぶが、気持ちのいい朝だ、朝食の用意をするから一緒に食べようと悪意のない顔で誘われてしまい、それ以上不満を訴えにくくなる。
 「・・・ベーコンはまだあったか?」
 「あるよ。あなたの好きなヴルストもある」
 「じゃあ食べよう」
 その声にのそのそと起き上がり、その場で両手を突き上げて伸びをすると、隣に腰をおろしていたリアムが腕をついてベッドを軋ませ、寝起きの慶一朗の頬にキスをする。
 「今日もハンサムだな、ケイさん」
 「・・・毎日それを言って飽きないか?」
 毎朝、起き抜けに聞かされるその言葉だが、寝起きのいい年をした男が何もしていないのにかっこいいはずが無いと呆れた声を出すが、リアムの頭が左右に振られ、信じられないとオーバーアクション気味に肩を竦められてしまう。
 「ケイさんは寝起きでも仕事中でもハンサムだ」  熱量に若干の違いがあってもそれでも愛している男−羞恥に穴を掘りたくなるから絶対に言わないが−に朝一番に褒められて嫌な気はしないが、流石に毎日言われると嬉しさよりも習慣化しているだけだと疑ってしまいたくなり、本当にそう思っているのかと意地悪く問いかけると、さっきまで戯けた様な笑みが浮かんでいた顔が一瞬で表情を変え、昨夜同じ顔をベッドの中で見たと気付くが、起き上がったはずの背中が再びシーツに触れたことにも気付いて色の薄い双眸を見開いてしまう。
 視界いっぱいに広がる、光の当たり具合によっては琥珀色にも見える双眸に見下ろされて一瞬呼吸を忘れそうになるが、それを素直に出すはずもなく、何だと言おうとした時、色気よりも悪戯っ気を感じさせる様に下唇を唇で挟まれてしまう。
 「────Mein Kaiser,俺の言葉に嘘はない」
 下唇を自由にした後、間近で囁かれるドイツ語にどきりと鼓動を早め、恋人の言葉通り先ほどの言葉が嘘ではないと気付いた慶一朗は、疑った事を謝罪する代わりに目の前の鍛えられている背中に腕を回し、自分よりは遥かにがっしりとした肩に頬を当てる。
 「・・・腹が減ったな」
 「そうだな・・・昨日買ってきたバゲットを焼こう」
 ベーコンかヴルスト、卵も焼いて食べようと笑いながら背中を撫でる大きな手の感触に自然と吐息をこぼした慶一朗は、何も言わずに理解してくれるリアムに感謝するが、それはあくまでも慶一朗の胸の中での話であり、口に出したのは暖かいミルクが飲みたいという子供じみた一言だった。
 「もちろん、用意してある」
 だから早く起きよう、いつまでも此処にいるというのなら、いわゆるお姫様抱っこでキッチンまで連れて行くぞと笑われてつい今まで抱きついていた身体から勢いよく離れた慶一朗は、ニヤリと笑う男前に小さく舌を出してベッドから抜け出すが、素っ裸である事を思い出し、ついで冷気を直に受けて身体を震わせる。
 「リアム、窓を閉めろ!」
 「さすがにこれは寒いな」
 床に落ちている下着、脱ぎ散らかしたままのジーンズに足を突っ込みながら怒鳴る慶一朗の声にリアムも流石にこれは仕方がないと笑って窓を閉め、上半身裸のままベッドルームを出て行こうとする恋人に呆れつつ、ソファの前に落ちているシャツを掴んで少し遅れてベッドルームを出るのだった。

 素肌の上半身を覆う様に、少し大きめのシャツを引っ掛け、ベンチに座りながら眼下に広がる神戸の街並みへと目を向けていた慶一朗の耳に、リビングの掃き出し窓が開く音が聞こえ、顔をそちらに向けると、二人分の朝食をトレイではなくワゴンで運んできたリアムが見え、テーブルに並べられる料理を見守ってしまう。
 キッチンで朝食を食べようと言った慶一朗の言葉を頬へのキスで封じ、天気がいいからウッドデッキで食べたいと笑い、その言葉通りにまるでホテルで頼むルームサービスの朝食の様にワゴンで運んできたのだ。
 程よい焼き色のバゲットにはバターやジャムを、半熟がいいと慶一朗が言ったからと、自分の好みよりも恋人のそれを優先してくれるリアムの甲斐甲斐しさに何とも言えなくなった慶一朗は、並べられた朝食に感動し、心なしかぼんやりとリアムの顔を目で追ってしまう。
 「ケイさん?」
 「・・・食べるか」
 「うん、食べよう」
 二人向き合って食べようとリアムが笑顔で頷くが、何かを考え込む様に首を傾げた慶一朗の様子に目を瞬かせ、どうしたと問いかけた直後、慶一朗が己の横に座るために移動し、少しずれてくれと微苦笑したことに驚いてしまう。
 「・・・早くしろ」
 「ああ、うん」
 その声にこもる感情が羞恥だと気付き、慌てて慶一朗が座るスペースを確保したリアムは、隣に座って食事を始める慶一朗の端正な横顔をじっと見つめてしまうが、何だと問われて反射的に首を左右に振る。
 此処で驚いたなどと言えば目元を赤らめて席を立つことに気付き、ぐっとそれを堪えて小さく笑みを浮かべ、慶一朗が食べるだろうバゲットにバターを塗る。
 「ジャムはいるか?」
 「バターだけで良い」
 当たり前の顔で隣に座って己が作った朝食を愛する人が食べてくれる、それがこれほどまでも嬉しいことなのかと感慨に耽りそうになるのを堪え、ヴルストを行儀悪くフォークで突き刺すと、薄い色の双眸が行儀が悪いと言いたげに見つめてくるが、口に出して出た言葉は、ナイフも使えと言うものだった。
 相手の行動で気にくわない事があれば指摘をするが、直接ではなく遠回しに言うそれにもどかしさを感じたこともあったが、それが慶一朗なりの愛情表現だと気付いている今は素直にありがとうと言える様になり、今もその言葉を伝えると己の思いが伝わった安堵に目元に柔らかな笑みが浮かび上がる。
 その控えめすぎる笑顔もリアムが愛する表情の一つで、存在そのものが奇跡のような男の横顔を見つめてしまうと、その居心地の悪さに慶一朗が何だと問い掛け、うん、食べている時もハンサムな人はそうそういない、だからあなたはやはりハンサムなんだと笑うと、慶一朗の喉が奇妙な音を立ててしまう。
 「・・・分かった」
 「うん」
 己の言葉を今回は素直に聞いてくれたことも嬉しくて、バケットに手を伸ばしたリアムだったが、それを横合いから奪われてヘーゼル色の双眸を見開くが、その前で仕事では誰にも真似が出来ないような動きで手術を進める器用な手が、バゲットにジャムを塗り、無造作にリアムの皿にそれを置いていく。
ちらりと見た横顔がジャムと同じ色合いになっている事に気付いたリアムだったが、今もまた何も言わずにそれに齧り付き、感心される食べっぷりで食べ始めるのだった。

 大阪の自宅に帰るのは明日のため、リアムが一度行きたいと行っていた南京町に出向いた二人は、初めてのチャイナタウンに感動し、有名どころの肉まんを食べたり、怪しさ全開の店で浮かれているからこそ手を出してしまった、おもちゃのアヒル掬いなどを楽しんでいた。
 お互いの存在を知り、その存在から目が離せないようになり、付き合い出してから今に至るまでの間、苦労自慢ではないが並大抵のことでは乗り越えられない出来事を二人が努力し決して諦めることがなかった為、こうして休日のデートを満喫できるようになったのだ。
 その涙ぐましい努力−時には流血混じりのそれ−を思い出せば、今では笑って済ませられる事もあるが、今でも時々ぶり返して口論になることもあった。
 一生に一度の恋に落ちたのかもしれない。
 それは、年季の入ったシドニーのカフェで初めて出会った時に感じたことだったが、その思いはいまも当然持ち続けていて、今まで付き合って来た彼女達の存在がまるで異星人のように思えるほどだった。
 アジア圏特有の妖しい雰囲気をワザと作っている店先を、二人きりの時には滅多に見せない笑顔で覗き込む慶一朗の横顔を見つめながら思い出していたリアムだったが、何を考え込んでいるとドイツ語で問われて我に返る。
 「・・・楽しくないのなら帰るぞ」
 「違う・・・お前が楽しそうだったのが嬉しかっただけだ」
 考えていたのはお前の事だと素直に告げると笑顔の中でも笑っていなかった双眸に驚きの色が浮かび、それが消えたかと思うと外では滅多に見ない穏やかな笑みが双眸だけではなく口元にも浮かび上がる。
 「何だそれは」
 「楽しそうなお前を見ているだけで満足だ」
 だからすぐに帰るなどと言わず、もう少しチャイナタウンを楽しもう、そして足が少し疲れて来たらどこかのカフェに入ってコーヒーを飲もう。
 目元と口元に浮かぶ笑みから明るい色のゆるくカーブを描く髪を指の背で撫でると、納得したように口角が一瞬だけ更に角度を上げる。
 「帰り、運転してくれ」
 「分かった」
 車の鍵が付いているキーホルダーを手渡されて音を立てて受け取ったリアムは、手招きされたことに気づいて顔を寄せ、囁かれた言葉に了解と嬉しさを隠さない顔で頷き、明日の朝食のパンを買いに行こうと顎で誘われてそれにも素直に頷くのだった。

この別荘の購入の決め手の一つとなった、見晴らしの良い大きな窓があるバスルームの中、湯気が上がるジャグジー付きのバスタブの縁に腕をつき、そこに顎を乗せてぼんやりと夜景を見ているのは慶一朗で、大人二人が入っても狭さを感じない為にリアムも一緒に入って夜景を見ている慶一朗を見ていた。
 大阪市内の私立病院で腕を振るう慶一朗だったが、仕事でストレスが溜まり、危険な水域に達する前になると必ずここにやって来て、このジャグジーのぬるま湯にひたすら浸かって疲れやらストレスやらを洗い落としていたのだ。
 その癖を良く知る双子の兄の総一朗やその恋人の一央には、カッパになりに行くと笑われていたが、お前も母星が懐かしいエイリアンになるだろうと笑い返していた。
 総一朗曰くのカッパに今日はなる必要は無く、でも視界に入る夜景に見入っていると、背後で水音が聞こえ、次に背中にリアムが覆い被さった感触がし、顔だけを振り向ける。
 「何だ?」
 「・・・そろそろ出ないか?」
 これ以上ここにいればふやけてしまうと苦笑されて小首を傾げた慶一朗だったが、確かにふやけてしまうと笑って背後に手を伸ばし、後ろ手でリアムの頭を抱き寄せると、間近にある頬にキスをする。
 「・・・ケイさん?」
 「・・・・・・歩くのが面倒くさい。ベッドまで運べ」
 自然となされる命令にリアムが慣れ切った顔で頷き、バスタブから一足先に出ると、脱衣所にあるバスローブを持って戻ってくる。
 「ありがとう」
 濃紺のそれを受け取り、ワインレッド色のそれを着込んだリアムの前で立ち尽くしたようになったことに気付き、どうしたと問いかけると、慶一朗がゆるく頭を左右に振った後、唇をぺろりと舐める。
 それが意味するところを察し、ベッドルームに行こうと笑いかけながら慶一朗を子供を抱き上げる気軽さで抱き上げ、ハニーブロンドの髪に口付けされたことに気づいてリアムが笑みを浮かべる。
 「ベッドまで我慢できない?」
 「・・・早く行け」
 二階にあるベッドルームに早く運べと笑う慶一朗にリアムも同じ顔で笑い、成人男性を抱き上げているとは思えない身軽さで階段を駆け上がり、ベッドルームに駆け込んだかと思うと、ベッドに慶一朗を荷物よろしく投げ出す。
 「こら!」
 人を荷物のように扱うなと、後ろ手で体を支えつつ上体を起こした慶一朗だったが、膝をついて顔を寄せてくるリアムから余裕が消えたことに気付くと、ベッドヘッドにクッションを立て掛けて背中で凭れかかる。
 「・・・来い、リアム」
 リアムに向けて伸ばした右手で招く形を作った慶一朗は、その誘いに間違いなく乗ってくるリアムの頭を両手で抱き締め、重なる唇を受け入れるように薄く口を開き、差し込まれる舌も受け入れてその先すら受け入れるように短いストロベリーブロンドの髪に手を這わせるのだった。

 静かな激情と呼ぶしかないような激しさを受け止め、己の思いも同じように受け止めてもらったリアムは、守るように抱き締めた背中が規則正しく上下し、穏やかな寝息も同じペースで聞こえてくることに安堵し、大きく欠伸をする。
 男を恋愛対象にしたのは慶一朗が初めてだった為、同性同士のセックスも当然ながら初めてだった。
 そんな初めてを別に笑うでも貶すでもなく、ただ一言、俺でいいのかと、シドニーのハーバーブリッジを支えている巨大な石柱の側に停めた車の中で問いかけられたことを思い出し、お前でなければ嫌だと返したことも思い出すと、自然と脳味噌が過去の出来事を順番に引っ張り出してくる。
 初めてキスをしたのはその石柱を見上げながらで、その後、偶然隣合わせに住んでいたユニットに帰り、リアムが借りていた部屋で慶一朗を抱いたのだ。
 女を初めて抱いた時以上に興奮したことを思い出し、その興奮は今でも胸の内で小さな炎を灯している事に気付き、寝息を立てる頬にそっとキスをする。
 あの夜灯った炎は静かだが決して消えることも忘れることもない激しさで胸の内を焦がし続けていて、いつかきっと己はこの炎に焼き尽くされると自嘲してしまうが、慶一朗が生み出した炎に焼かれてしまうのならば本望だという思いが不意に沸き起こる。
 「・・・おやすみ、ケイ」
 明日大阪に戻れば、ここで見ていた穏やかな顔はなかなか見ることはできなくなるが、仕事中の恋人の顔も愛している為、ハンサムなその顔を見るためにまた頑張って働こうと欠伸をしつつ頷いたリアムは、決して消えない炎の熱と、己が両腕で抱きしめている慶一朗の温もりから眠気を誘われてもう一度欠伸をし、恋人を追いかけるように眠りに就くのだった。

 

 

2020.11.01
初めましての、リアムと慶一朗のお話。


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